アルジャーノンに花束を

すっかりバタバタするようになって, ここに文章を残す時間も取りづらくなってしまった。

なのでこれからは本を読むたびに自分の考えをまとめていこうかなと思う。

タイトルは本だけど, ほぼ日記。

最近は知能指数って言葉を聞く機会が多かったこと, キリスト教の文化に触れてみたかったこと。いろんなタイミング的に今この本を読む事は合って居たと思う。

この本ではやはり知能が違えばフラットな人間関係はできないことを示しているけれど。みんな普通, IQというエレベーターがあるものだとしていて, 自分がその何階にいるのかを意識した事があるのだろうか。

正直私はなかった。逆に, どんな人からでも学びたいという姿勢でいようと思って居たし, 実際のところ本作で指摘している通り知能を得れば失うものもあるのだからそれは可能だと思う。

線を描く概念がないアスペルガーの少女が色鉛筆を使ってグラデーションのみで美しい絵を描いたように。

でも考えてみれば , マルチに入ろうとする旧友を心配した時, そのビジネス構造を説明しても伝わらなかった時腹が立ってしまった。

これは自分が話す事は伝わるだろうし誰の発信も理解できるだろうという奢りがあったということなのかもしれない。

それにものを正確に表現しようとすればするほど, 難しい言葉を使いそうになる。ちょうどものの大きさなんかを正確に示そうとして小数点がずっとふえていくように, それが目視できるレベルは人それぞれでも, 自分が確認できうる一番細かい数で表現しようとする。そしてそれが伝わらないと煩わしく思う。逆にじぶんが分かるより細かいものを見せられても困ってしまう。

この差に対して, じぶんが満足できる態度とはいかような態度なのだろうか。

対話する事は手段に過ぎない, 質問を繰り返したり, 噛み砕く努力をしないといけない事は, 自分を恥ずかしく思うことでも相手を見下すことでもない。

その対話の先に相手の幸せと自分の幸せを重ねられることができたら, そうできるように努められたら, ひとまず私は満足するだろう。

自分目線でばかり伝えようとする癖はいまの自分の悪いところだ。考えてみれば今まで自分の周りには, ある程度の知識を深めてきた人しかいない環境だった。これからもっと広い世界を見た時に, 相手とギャップを感じた時そう思えると嬉しい。

なんかこの本のせいで経過報告を書いているような気分になった。2021年の経過報告01。

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