冷静と情熱のあいだ

とある女性に勧めてもらったことがこの本を読むきっかけだった。

その女性とは昨年の初夏ごろにとあるカフェで知り合って, 何度も食事や外出をともにする仲になった。

小さな店内で4人の客が話し合っているのをみて, 「お知り合いなんですか?」と声をかけたのを皮切りにお話が弾んでいったのを今でも覚えている。

去年の緊急事態宣言の頃、変化に飢えていた私にとってその縁は気持ちの良い風だった。

しかし正直私は動揺していた。今までの人間関係のどの引き出しにも納まらないこの関係性はどう大切にしたらいいのか, はたまた相手は大切にされることを望んでいるのか, と。

というのも「刹那的な」という言葉をよく選ぶ彼女にとっての[大切にする]には私のそれとは違った意味を持つのではないかと不安に思うことがあったから。

いま優しさとはというテーマがnote内にあるが, 私は優しい人は与えることができる人であって, 与えることができる人は自分が何を欲しているかわかっている人だと思っている。

自分の欲するものと相手の欲するものを重ねる人が本当の与える人だと思っている。

私は彼女と物理的に関係性がどこまで続こうと, 続かないであろうと, 優しくしたいと思っている。しかし, 私が彼女に何を欲しているかわからない。一方で彼女は私から何を得ているのかわかっているような表情でいつも微笑んでいてくれるので, それをみると少し安心できる。

自分が何を欲しいかって, いくつになったらわかるんだろう。それがわかっているような目をしている人のことを私は脅威とさえ感じるほどに憧れる。

まあ話が脱線しまくったけども, とにかく人間関係のサードプレイスのような彼女を大切に大切に思っているわけだ。

そんな彼女にオススメされた本。少し前によく流行ったんだとか。

違う作者によって書かれた対になった本を読むのは初めてだったけど, 恋愛は2人から始まるもので, 理解し得ない違う生き物同士で始まるんだから, ある意味とても現実的な恋愛小説に感じた。

私の感じたこととしては情熱と情熱で惹かれあった二人は付かず離れずを繰り返すことしかできないのかもしれない。ということだった。

情熱がある恋だから離れられないのに,情熱がある恋だから理性を失って持続可能な距離を保てなくなる。

情熱に理性で向き合えば, 片方だけが人生の柱を相手の手に握らせている状態になってしまうから, あなたの柱もちょうだいよと一人だけ悲壮に暮れることになる。

理性と理性じゃ執着が生まれないんだから, 少しの障壁で離れましょうとなってしまう。

私たちは情熱と冷静のどちらでもあり, どちらでもないような関係を理想としているのかもしれない。

私は情熱で惹かれた相手と結婚して, うまくいかなくなったらシングルマザーになるっていうのが理想。



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