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管(くだ)としての私

人間は一本の管(くだ)に過ぎないと言った人がいる。

先週、大腸内視鏡検査を受けて、このことを改めて実感した。


内視鏡検査をスムーズにこなすには、大腸をキレイにする必要がある。今回の医療機関で指示されたのは、前夜から下剤を飲み、固形物をあらかた出してしまうことだった。そして、当日は朝から2~3時間かけて腸内の汚れを押し出すために、2リットルの液剤を飲用した。ほぼ水なのだが、腸で吸収されずにそのまま下から出てくる。車のオイル交換で、フラッシングをするようなものだ。

口から飲んだ薬液が、30分ほどすると下から出てくる。これくらいの時間で結果が出ると、口から出口まで一本の管であることを実感する。


いつもは、管の入り口から入ったものが、その途中で、消化されて、吸収されて、カスとして集約されて、出口から出るということだ。

外界から入ってくるのと、外界に出すのと、端的に言ってこの二つの出入り口しかないのだ。ああ、本当に管だよ、管だ、と。


水まきなどで使うホースのことを考えると、たいてい調子が悪くなるのは末端、蛇口との接続や、水出し口といった、酷使される部分だ。たまにホースの中程に穴が開くこともある。

これは、我々の身体も同じだろう。たいてい真っ先に調子が悪くなるのは、口元か、尻元だ。今回の検査でも、多数のトイレ通いを強いられたため、管の出口は悲鳴を上げていた。ああ、オレの管よ。


クラゲやナマコは、口しかない。口から食べて、口からカスを出す。人の身体で想像したらとんでもないことになる。細胞分裂からの発生の仕方が、人や動物と違うことは、生物学で習った。彼らは管ではなく、袋のようなイメージか。

人間をはじめとする動物、鳥類、は虫類、両生類、魚類は、全て口と排泄口があり、管に属するとのこと。「先口動物」「後口動物」って分類するヤツだ。久しぶりに生物学用語を思い出した。


ともあれ、人は管(くだ)である。


くだをまくのは、酔っぱらい。

「管を巻く」と書くのは当て字だそうで、この場合の「くだ」は「くだらない」の略だそうだ。


「くだらない」の中に愛が、、、と歌ったのは源さん。

髪の毛にパンを感じたことはなかったな。

今朝食べたパンは、くだ(管)の中にある。