好意の鏡的な性質


人間は往々にして親切や好意に関して鏡的な一面を持つと私は考えている。自分が受けたいと思う好意を、相手に与えたいとも思う傾向がある、ということだ。逆も然りで、与えたいと思う好意は、同時に自分が受けたいとも思う、という主張である。自分がされて嬉しいことは他人にもするに決まってるでしょ、というノリだ。

落ち込んだ時に放っておいて欲しい人間は、周りの人が落ち込んだ時に声はかけずに見守る傾向があるし、落ち込んだ時に話を聞いて欲しい人間は、周りの人が落ち込んだ時は積極的に話を聞く傾向があるだろう。
褒める時も同様である。外見に関してよく褒める人だとすると、外見を重要視していて、自分の外見にもこだわっている事が多い。それはつまり、外見に関して褒めてもらえると特に嬉しいということである。

それを逆手にとって、ある特定の人間を観察した時に、好意に関する言動に特定の傾向が見られた時には、その言動は自身が受けると嬉しい事でもある、と推察できる。
早い話、「あの人、イケメン!!超タイプ!」としばしば口にする女の子には、同じように外見に関する好意的な発言を返すと喜ぶだろうし、「その考え方素敵だね」と考え方を褒める発言をよくする人には、同様に考え方に関して好意を返すと喜ぶだろう。
あるいは、落ち込んでいる人にいつも必ず寄り添うような人が居れば、それは自身が受けたい優しさでもあり、反対にあえて声はかけずに時間が経つのを待つ人であれば、同時に自身が落ち込む時にはそうして欲しいと望んでいるというわけだ。

まとめると、
特定の好意を与える傾向がある≒同じような好意を受けると特に嬉しい、ということだ。

恋人が甘えてきたら、それは同時に甘えて欲しいということ。
話を盛り上げるために質問を沢山してくれる方は、それと同時に沢山質問してもらえると嬉しいということ。
よく笑う人は、一緒に沢山笑って貰えると嬉しいということ。
よく誘ってくれる人は、誘って貰えると嬉しいということ。
過保護な人は、同じように気にかけて貰えると嬉しいということ。
ノリがいい人は、同じようなノリを返して貰えると嬉しいということ。
よく褒める人は、沢山褒めてもらえると嬉しいということ。

好意を感じた際には、同じように返してあげると、今以上に仲良くなれるかもしれない。



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