中島裕介に応えて(1)

小文は、いわゆる「ミューズ問題」について、主に中島裕介に応える形で綴るものである。Twitterが炎上したのが2019年2月17日であるから、今日現在およそ半年後ということになる。また、中島の短歌時評「ニューウェーブと『ミューズ』」(「短歌研究」2019年4月号)からは、4か月半後である。
あまりに時間がかかっているが、その間に自分の考えも変わってきている。あながち空費したわけでもないと思っている。

  加藤は(実際にどう考えているかは別にしても)「水原の容姿のみで人間性や主体を剥がした」うえで、「水原を対等な人間、対等な創造者として認めていない」ことになるのである。

これが、時評の結論的見解である。この見解を私は受け入れて、深く自分を省みている。
一方でこの見解は、自分の水原紫苑という存在への考え・思いとは懸離れている。私は、水原の作品に向き合ってきた。しかし、そういう見解を導いたのは全て自分のツイートによるものである。つまり、私は、自分で自分を裏切ったのである。
また、私は、理想の読者を期待した。それは無理な願いであった。つまり、今まで私が書いたテキストを読んで判断してほしいということであった。具体的には「言葉を危機に 『びあんか』をめぐって」という評論である。『TKO』(1995年)という評論集に収められている。しかし、この評論を読んでいる人はごく僅かだろう。
そうではなく、いつ、いかなるときも、よほど悪意のある部分引用でなければ、どこをどう引用されても、自分の書いたものは真正でなければならない。

問題は、複雑である。少しずつ解きほぐしていきたい。 (続く)

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