「没後十五年春日井建展」に寄せて 『青葦』のころ


 一九八四年に「現代短歌シンポジウム〈名古屋〉短歌VS劇」が開催された。春日井建は、会場に刊行されたばかりの『青葦』を用意していた。私は直ぐに購入した。そして、署名をお願いした。
「こっちにいらっしゃい」
 春日井建は、ソファーに私を連れていった。数メートルだった。何か詩歌の奥深い世界へ誘われるようだった。

まひるまに夢見る者は危し
           春日井 建
       十一月十日
        名古屋のシンポジウムの日

 万年筆で歌を書いていただいた。淡く美しい文字だった。この署名は、中井英夫への献本にもなされていた(「弟の旅 歌集『青葦』書評」)。春日井建は、ぼんやりした無名の青年にも等しい献辞を贈った。読者に貴賤はない。そういう信念だったと思う。
『青葦』の奥付には「一九八四年一一月一〇日初版第一刷発行」とある。シンポジウムの日に刊行するという決意があったのだ。「短歌VS劇」これほど春日井建に相応しいテーマはない。
 春日井建は、寺山修司の「新・病草紙」の上演を手がけた。演じたのは、ウィークエンド座。寺山修司の短歌を記した短冊を次々と天井から降らせて、それを拾い上げた役者が読み上げるという演出だった。まさに短歌と劇の融合である。
 シンポジウムの後半である。誰かの対談のとき、春日井建がそろそろと舞台袖から現れた。お盆でお茶を出すというシーンがあった。
「春日井建じゃないの?」
 客席が騒めく。ちょっとした洒落というか悪戯だったのか。茶目っ気のある春日井建らしい所作だった。たぶんアドリブだったのだろう。(こんなところにも劇はありますよ)というメッセージだった。

 まひるまに夢見る者は危しと砂巻きて吹く風の中に佇つ 
                    
 この歌は「砂丘にて」一連にある。「まひるまに夢見る者は危し」は、T・E・ロレンスの言葉「白昼に夢見る者は危険な男たちだ」(『知恵の七柱』)の短歌形式への翻案である。「まひるまに夢見る者は危し」に『青葦』即ち自らの再出発を託したのだ。
 春日井建が「短歌」の編集発行人を引き継いだのが四十歳。そして『青葦』の刊行が四十五歳。若かったというほかない。ちなみに、三島由紀夫の享年が四十五歳なのである。
 春日井建は、当時二十代の私にとっては、堂々たる壮年の歌人で、現代短歌を先導する存在だった。しかし、結社そして現代短歌を担うことは四十代には重責だった。それは『未青年』とは別の重さだったのである。
かつては、時代の寵児としての輝きを恣にすることが現代短歌を担うことだった。四十代は違う。若い世代を導く責任がある。結社にとどまらず「歌人集団・中の会」の活動など現代短歌を人的側面からも支えた。そして何より自らの作品で現代短歌をリードしなければならないのだ。
『青葦』のあとがきでは、父、友、三島由紀夫という「三つの死」が歌集を創らせたとした上でこう述べている。

 作歌の直接のきっかけとなったのは、父の死である。父が編集発行人をしていた歌誌『短歌』(中部短歌会)のあとを引き受けるという現実的な状況が、充塡された銃の引金をひかせることとなった。

 春日井建にとって父の死と結社の継承は不可分のものだった。父の死は作歌の大きな動機である。しかし、結社を引き受けることがなかったら作歌は再開されただろうか。
『青葦』に収められた「大鴉」「紫電」「ローマ行」「春」「水圏」「水妖」「砂丘にて」「ホモ・ファベル」「水の瞼」「頌歌」どれを読んでも「現実的な状況」に沈んだ作品は皆無である。抒情性と幻想性に溢れた歌群で、読者の期待に十分応えた。父の死、結社の継承、『未青年』の栄光という重圧を越えて、作品は軽やかに飛翔している。『青葦』は、奇跡の歌集だった。
 春日井建は「まひるまに夢見る者は危し」にどんな思いを込めたのか。『知恵の七柱』には「彼らは目を見開いて夢を行動に移し、現実のものにしかねない」と記されている。「現実的な状況」の中で夢を実行し実現する。それは凶行なのである。
 春日井建は「まひるまに夢見る者」として壮年を生き抜くことを決意したのだ。

2019年5月21日~6月30日に文化のみち二葉館で開催された
「没後15年 春日井建展」に寄稿したエッセイです。


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