笹井宏之『ひとさらい』一首鑑賞

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす
                   笹井宏之『ひとさらい』


 ねむらない樹とは、子供に読んで聞かせてやる物語のようだ。樹は眠るのかもしれない。昼間は起きていて、鳥や虫や子供たちが自分の周りにいる。樹は声を出せないけれども、じっとみんなの動きを感じている。夜になってみな寝静まると、自分も眠るのだ。
 でも、わたしは眠らない。それは自分一人のことで、やはり周りの樹々は眠る。わたしは、ねむらない樹となる。あなたのことをずっと思っているからである。あなたの存在をずっと感じていたいからなのだ。樹となったわたしは、もう見ることはできない。あなたの気配を感じるだけだ。
 するとどうだろう。あなたはわたしの根もとにいる。かすかにワンピースが触れる。あのワンピースだ。あなたはここにいる。もうみな眠っている夜にあなたは家を脱け出してきたのだ。わたしは言葉を喪っている。あなたの姿も見えない。でも、あなたが来てくれた喜びを伝えたい。少し体を揺さぶって実を落とす。きっとあなたは、ワンピースを少し上にあげて、わたしの実を受け止めてくれるだろう。
 ずっとあなたのことを思っていたい。今もそしてこれからも。わたしの寿命は千年になったのだ。あなたがこの世から去ったあとも、あなたの気配が感じられるだろう。あのワンピースだ。
              〇
 歌から感じられた風景を書いてみた。ねむらない樹が実に豊かな想念をもたらす。ワンピースだから、どちらかというと幼い女の子が思い浮かぶ。それは誰の心のなかにもいる子供なのだ。
千年、あなたの傍にいるために、わたしは言葉を喪い、見ることもできなくなった。それでよい。大きな愛である。あなたを包み込むようだ。かけがえのないあなたであり、また、どこにでもいるようなあなたである。普遍的な愛を語っている。それは、やさしいだけの愛ではない。気の遠くなるような歳月をあなたに求めているように思われる。浮遊するような幸せではなく、全存在をかけた幸せを希求しているのだ。


初出:「ねむらない樹」vol.1 (2018年8月)

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