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ベイスターズ映画がなかった年・2015年ってどんな年?

早いもので、4月も半ばを過ぎました。にもかかわらず、まあほんとに、誰もが決して望んでいない状況ですが、こういう状況になっております。
早く球場に行きたい!野球を観たい!という気持ちはあれど、なかなか…
かといって、イベントも今はできないし…

そんな折なので、今日は気晴らしに横浜DeNAベイスターズのドキュメンタリー映画などを観てみようかと思い、歴代のDVDを並べてみたわけです。

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2012年、ダグアウトの向こう 横浜DeNAベイスターズ1年目の記録。
2013年、ダグアウトの向こう2013。
2014年、ダグアウトの向こう 今を生きるということ。
2016年、FOR REAL ベイスターズ、クライマックスへの真実。
2017年、FOR REAL 必ず戻ると誓った、あの舞台へ。
2018年、FOR REAL 遠い、クライマックス。
2019年、FOR REAL 戻らない瞬間、残されるもの。
DeNAベイスターズになってから、8シーズンで7作を数える、ベイスターズの映画シリーズ。まさにダグアウトの向こうをリアルに見せてくれる、人気のシリーズです。

さて、今日はどれを観ようかな?
キヨシさんがこのチームの弱さがよくわかっちゃった2012年か。小池さん引退試合で泣きたい2013年か。梶谷無双も楽しいんだよねこの年。それともグリエルを久々に観ようか2014年。最下位だったけど楽しかったから2015年も悪くないね。
番長引退"永遠番長"に、初のCSの2016年。そうだ、白崎のソロを観ようか2017年で。ウッチーのホームランのところは飛ばそう。2018年もドラムうるさいけどたまにはいいな。井之脇海くんなんだよねナレーション。最近よく出てるよね彼。それともやっぱり筒香キャプテンで思いっきり泣こうか2019年で。
よし!今回は2015年にしよう。どれどれ…

…ない。2015年、ないじゃないかー!
あの筒香キャプテン最初の年で、ヤスアキがルーキーの年だよ!番長がギータにでっかいの打たれた年だよ!ちょっとだけ首位にもなってるんだよ!
なのになんで2015年だけ、映画ないの?え~

…と、わざとらしく書いてみましたが、そうなんです。
DeNAベイスターズになってから、昨年までに8シーズン。その中で、2015年のみ、ベイスターズのドキュメンタリー映画は制作・公開がなされていないのです。

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昨年末も公開されて好評を得た映画「FOR REAL」。「ダグアウトの向こう」時代から連なる年末のベイスターズ映画は、かつての寅さんに匹敵するかのような、ベイスターズファン年末の風物詩です。
しかし、前述のように、2015年のみ、この映画がないのです。
まあ、成されなかった理由はいろいろなのだと思います。でも、今はその理由はさておいて…

今もって、この年の映画がなかったのが、私は惜しくてたまらないのです。

なぜならば、今、この2015年を振り返ってみると、最終的に最下位ではありましたが、この年はベイスターズにとって、今につながる、いろいろな出来事・トピックがたくさん詰まっていたシーズンだったのです。

前述しましたが、筒香キャプテン1年目の年であり、山崎康晃投手のルーキーの年でもあります。そしてチームは首位に立っていたこともあります。
まあ、あれよあれよと最終的には最下位に沈み、その責任を取る形で中畑監督が辞任…という、激動のシーズンだったわけですが、それでも5年経った今振り返ると、この年は今につながるようなトピックが、エピソードが、けっこうザックザク見つかるのです。そういえば「この年からベイスターズのファンになった」「ハマスタに通うようになった」という人の存在も、けっこう耳にします。

今回はちょっとだけ、そんな1年を振り返ってみようと思います。
もしこの年に映画があったら、きっとこんな感じだったんじゃないかな、と、ちょっと妄想じみた内容になっていますが、もしお時間がございましたら、よろしければお付き合いください。

タイトルは、「ダグアウトの向こう2015」になるのでしょうか、それとも耳慣れた「FOR REAL2015」か。まあそれはどっちでもよいとして。
少しの間、2015年に、時を戻そう―

時は2014年12月25日(木)にさかのぼります。
この日、ベイスターズの公式サイトのトップで、謎のカウントダウンが突然開始されました。それも、なんと秒単位で。
そこで球団からファンに提示されたのは、「第2幕、始まる。」というメッセージでした。

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ちなみに、上の写真はカウントダウン途中のものです。

起算の段階で計算をしてみたら、これがゼロになるのは2015年1月26日(月)18時。この日この時に何かあるのか!という予感を漂わせながら、2015年は始まっていきました。

そのカウントダウン最中の1月16日(金)には、春田真オーナーから南場智子オーナーへの交代が発表。日本プロ野球チーム初の女性オーナー誕生のニュースがさっそく話題を呼びました。また1月22日(木)には、横浜ベイスターズ時代の最後の社長・加地隆雄氏が、1月13日(火)に急逝されていたことが判明するという悲しいニュースもあり、時代の移り変わりを象徴するようなニュースが続けざまに舞い込んでおりました。

公式サイトのカウントダウンがゼロになった、1月26日。横浜市開港記念会館で行なわれた「次の、横浜DeNAベイスターズ発表会」では、いろいろな新しいベイスターズの"進化"がプレゼンされました。

・チームカラーをネイビーからブルー(横浜ブルー)に変更
・選手ごとのパーソナルスローガン設定
・ハマスタ改修(モニターBOXシートやスカイバーカウンターなどの新設)
など、新たなトピックが次々に登場。さまざまな第2幕への"進化"が発表されていく中、もうひとつこの日に発表されたことがありました。それが、筒香嘉智選手のキャプテン就任。前年度にチームの四番打者として本格的なブレイクを果たした筒香選手が、石川雄洋選手からキャプテンマークを引き継ぎました。

そう、2015年は、筒香選手のキャプテンとしての初めてのシーズンだったのです。今思い返せば貫禄たっぷり、チームの支柱ぶりしか頭に浮かんでこないような筒香選手ですが、キャプテン1年目の2015年はきっと、試行錯誤の1年でもあったのでしょう(「孤独ですよ」という言葉も、後年の「FOR REAL」の中にありましたね)。
チームのキャプテンという重責を担ったそんな中でも彼は、打率.317(リーグ3位)、本塁打24本(同4位)、打点93(同3位)と、チームの4番として、リーグを代表する打者として、申し分ない成績を残します。そんな彼の初々しいキャプテン姿、2015年に映画があればきっと、堪能できたことでしょう。

そんな筒香選手を、きっと後ろから頼もしく見守っていたであろう、前キャプテンの石川雄洋選手。おそらくダグアウトの向こうでは、新旧キャプテンの、グラウンドとはまた違う光景が繰り広げられていたでしょう(ここは妄想込みですが)。
残念ながら石川選手はシーズン中盤にケガで戦線を離脱し、そのままシーズンを終えることになるわけですが、そんな前半戦の秘蔵シーンも、きっと楽しみのひとつになったのでしょうね。
ちなみに、"1番打者の雄洋が初回に出塁すれば勝つ!"という「石川くじ」がファンの間で話題になったのも、実はこの2015年のことでした。

2015年で忘れてはならないのは、前年にハマスタにさまざまな旋風を巻き起こしたユリエスキ・グリエル選手の契約問題。オフからキャンプに至る間にファンをやきもきさせ続けていましたが、入団が内定していた(応援歌まで用意されていた!)弟のルルデス・グリエルJr選手とともに、残念ながら2015年の来日は実現することなく、開幕直後にお別れとなってしまいました。グリエル選手の2年目を楽しみにしていた人も少なくなかったと思います。
しかし、この年には、グリエル選手の不在をも忘れさせてくれるような、新しい、そして頼もしい助っ人がベイスターズに来てくれた年でもありました。
その人こそ、ホセ・ロペス選手。今やチームに欠かせない"チャモさん"は、この年がベイスターズ所属として最初の年。ジャイアンツでの2年間以上の成績をこの年に残してくれたロペス選手の、チームに溶け込み、チームの中心人物となっていく姿もまた、堪能できたでしょうね。

チームは開幕から好調で、ゴールデンウィーク終盤には首位に!6連勝を記録するなど貯金10前後をキープする好調ぶり。特にハマスタでは負ける気がしなかった頃でもあります。中畑監督の舌鋒もまさにゼッコーチョー、誕生4年目にして、DeNA旋風がセ・リーグに巻き起こり始めていました。
そしてちょうどその頃に、ハマスタのライトスタンドをにぎわせ始めていたトピックがありました。
それこそが、今ではすっかりおなじみになった、"ヤスアキジャンプ"。ちょうど、芽吹きの頃です。

そう、この年、ベイスターズにとっての一大トピックとなったのが、ドラフト1位・山崎康晃投手の入団。まさにこの年の、ベイスターズの顔でした。

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開幕直前のセ・リーグファンミーティングで中畑監督に守護神として公開大抜擢された彼は、本拠地開幕シリーズでのヒーローインタビューで、早くも自らを「ちいさな大魔神」と称し、チームの守護神として君臨していきます。
ピッチングのみならず、さわやかな笑顔、あふれる家族愛、行き届いたファンサービス、そして当意即妙のツイート…ネットをも使いこなす、新たな時代の担い手のごとく、康晃投手はこの年に飛び出してきたのです。

登場曲「kernkraft400」のリズムに合わせて客席がジャンプするーいわゆる"ヤスアキジャンプ"も、この節丸裕一さんのつぶやきをきっかけに広がりを見せていき、5月ごろから急速に、ハマスタ名物の光景として定着していくこととなります。

このヤスアキジャンプが、どんな時系列で定着していったのか。
これを正確に語れるメディアは、実はなかなかありません。
いつから誰がジャンプしたの?
いつから二次会で練習し始めたの?
いつから今みたいに球場全体にジャンプが広がったの?など。
そういった記録を残すという意味合いでも、この年の映画があったらよかったのにな、と感じているのです。

とにもかくにも康晃投手はチーム好調の原動力となり、結果を残し続け、ツイッターでもプロ野球選手1年目として、初々しく、さわやかな話題も振りまき続けます。康晃投手のお母さんとお姉さんもすっかりファンにはおなじみになっていきましたね。
6月には早くもTBS「バース・デイ」で康晃投手の特集が組まれたり、さらにオールスターファン投票・抑え投手部門でルーキーながら1位を獲得するなど、ベイスターズのみならずセ・リーグの顔として、康晃投手は年間を通して、輝きを放っていくのです。

また、康晃投手に負けじと、ドラフト同期の倉本寿彦選手も開幕一軍入りを果たし、"背番号5の遊撃手"が、明日の星をつかめよとばかりに、輝きを放ちます。また石田健大投手もシーズン後半戦から一軍ローテーションに定着し、この後欠かせない存在となっていきます。中継ぎで奮闘した福地元春投手や、独特のフォームが話題を呼んだ山下幸輝選手も含め、ルーキーたちのはつらつとした活躍ぶりも、この年の楽しみでした。

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交流戦前には、マツダスタジアムでカープの企画(※乗車魂)の影響により、ビジターパフォーマンスの座席が極端に少なくなるという出来事も賛否両論、話題を呼びました。しかし、圧倒的に真っ赤に染まったマツダスタジアムでの試合を、井納翔一投手の活躍でベイスターズが勝利できたことも、この頃のベイスターズのムードを押し上げる要因の一つになったかもしれません。
※率直にこの企画のスケールの大きさに度肝を抜かれたものですし、また僕はこの日、ビジパフォでカープファンの大学の後輩と10数年ぶりに逢えたりしたので、個人的には決して悪くない思い出です。

チームは5月中旬に最大貯金11を記録し首位に立つも、交流戦時期に12連敗を喫し一気に転落するなど、苦難の時期が訪れます。ちなみにその大型連敗の初戦が、あの三浦大輔投手が柳田悠岐選手からビジョン破壊のホームランを喰らった試合でした。あの記録もしっかりと残さないといけません。きっと、これからもことあるごとに目にしていく映像でしょうしね。

また2015年は、チーム周辺でも大きなニュースが山ほどありました。
これらはみんな、2015年の出来事なんです。

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・新ショップ「+B」、「BALLPARK COFFEE」誕生
・dianaがサポーティングガールズユニットとしてリニューアル、
 シーズン終盤にはCDシングルもリリース
・5回裏終了後の新ダンス「ハッピースター☆ダンス」が誕生

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・I☆YOKOHAMAシンボルキャラクター「BART&CHAPY」誕生
 ※この年は試合中にオリジナルアニメを上映。リアル化登場は翌年から
・スーパーバズーカー登場
・勝利後のビクトリーセレブレーション開始
 ※当初は土・日・祝日&特別日のみのイベント
・スターマン初のフォトブック発売
・初の球団オリジナル醸造ビール「ベイスターズエール」発売
 ※期間限定販売。売り子さんの販売やラガーの登場は翌年以降

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今となっては当たり前のハピスタやオリジナルビールが、この年にデビューしていたんですよね。そしてまだこの頃には、ベイスターズドッグ(2016年~)もベイ餃子(2018年~)もありません。
「第2幕」にともなうこのような変化も、みんな今につながっているもの。決して見逃すことはできないでしょう。この部分もぜひ、この年の記録に、ハマスタの風景に、しっかりと挿入したいところです。

また、ヤスアキジャンプの盛り上がり、そして浸透と呼応していくかのように、既に前年から右肩上がりを始めていた横浜スタジアムの観客動員は、この年にさらにハイペースに増加し、6月以降は平日も含め、ほとんどの試合で「満員御礼」を記録し始めます。

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「試合途中でふらっと来ても、チケット買えなくなったよ…」という以前からのファンの声は、この頃から日常のものとなっていきます。かくいう私も実感として、6月の交流戦あたりからは、もう試合途中から格安で入れる「待ってたぜ!チケット」は買えなくなっていた覚えがあります。

交流戦後半から連敗地獄に陥りながらも、実はこの時、セ・リーグ6球団がほぼ交流戦で総崩れ。12球団中最高順位がタイガースの6位というドロ沼状態にも助けられ、リーグ首位の勝率が5割に届くかどうかという混戦を極める中、ベイスターズは善戦を続け、なんとか食らいついていきます。
そして、ついに!オールスター直前の最後の試合で、僅差ながらついに首位に立ちます。dianaとして5年目を迎え、ずっと最下位、よくて5位ばっかりを見てきたdianaメンバー・彩花さんが、首位と言う言葉に涙を見せるシーンも、グラウンドにはありました。

しかし…
その栄光の日々は、長くはありませんでした。

オールスターをはさんでの、後半戦開始直後。ベイスターズはいきなりの3連敗でBクラスに転落、その後もチームは失速を続けてしまいます。
揃わない先発陣、なかなか結果を残せない中継ぎ陣。「平田を上げる」「小杉を上げる」「国吉を」「福地を」etc…これらの言葉を何日かおきに繰り返していた印象の強い中畑監督。チームの急失速に、監督の持ち前の明るさも、どこか陰りが見え始めていました。

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失速の中でも、8月後半に開催のYOKOHAMA STAR NIGHTではスワローズに勝ち越し。この中で康晃投手も新人セーブ記録を樹立するなどのハッピーな話題も。しかしチームを支え続けた彼もこの後ついに不調に陥り、リリーフ連続失敗という苦境に立たされます。

そんなチームを助けてくれたのが、シーズン途中から中継ぎへと配置転換されていた、須田幸太投手でした。8月に一軍に復帰すると、負けが込み始めていたチームの苦しい台所事情の中で、須田投手の存在は日に日に大きなものとなっていました。
中でもその白眉は、9月5日のジャイアンツ戦、9回表。6対5でベイスターズが1点リードの中、山崎康投手が連投による休養で登板を回避した状況で、迎えてしまった一死1・3塁の大ピンチ。ここで登板した須田投手は、アンダーソン選手を三振に。そして堂上剛裕選手を、約5分間にわたる勝負の末に抑え込み、チームに勝利をもたらしてくれました。

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この場面、満員のハマスタで1球ごとに沸き起こっていた、ハマスタスタンドからの大声援は、今のハマスタで見られる、投手がピンチを迎えた時の拍手の光景の原点かもしれません。ジャイアンツ側の声援とのぶつかり合いは、今観ても緊迫の空気が伝わって来るようです。
この後、須田投手の存在感はさらに増すこととなり、リリーフカーでの登場する時に流れる「GUTS!!/嵐」も、ヤスアキジャンプとはまた違うハマスタ名物として、しっかりと定着していくこととなります。

苦闘を続けてきたベイスターズ。「最後まであきらめない」その言葉の下、最後の最後まで踏ん張り続けました。しかしー
9月29日の甲子園球場。
ワイルドピッチにエラーにパスボールという、何とも言えない幕切れでタイガースにサヨナラ負けを許し、最下位に転落した際、徹頭徹尾「最後まであきらめない」ことを信条とし、自ら4年間その言葉をナインに植え付けてきたはずの中畑監督の口からついに、「ギブアップだな」という言葉が発せられてしまいます。この場面も、目をそむけるわけにはいかないでしょう。この映像があれば、よりリアルにこの時の記憶がよみがえることと…
そこからついに浮上することなく、ベイスターズは2015年のシーズン、最下位で終えることになりました。それまで慣れ切っていたはずの最下位という位置。しかしこれは、3シーズンぶりの最下位でした。

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最下位の責任をとり、中畑監督は辞任を表明。「今日午前4時解禁」とでも決まっていたかのように、一斉にそのニュースが10月1日(木)のスポーツ紙の1面を埋め尽くしていました。
10月3日(土)の最終戦、最後の挨拶、そして場内一周。その中には、止まらない涙をユニフォームの袖でぬぐう、康晃投手の姿もありました。
その後、ビクトリーコート(ハマスタ13通路にあるカフェ)で中畑監督の辞任会見が行われましたが、部屋の外のYYパーク(現在のBAYSTORE HOME周辺)には、監督を慕う大勢のファンが集い、その場を埋め尽くしていました。会見が終わると中畑監督は窓を開け、帽子をとってファンたちに手を振ってくれました。

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「また逢おうぜ!」
中畑監督のその言葉に、多くのファンが手を振り、そして涙を流しました。
就任4年で6位⇒5位⇒5位⇒6位と、客観的には決して良いとは言えない成績ではありましたが、チームを「最後まであきらめない」集団に変え、梶谷や筒香などを一人前に育て上げ、あきらめきっていたファンの冷めた想いをもその熱さと明るさで解かし、温め、ファンと一緒に喜び、悔しんで、苦しんで、そして笑ってくれた中畑監督。
最下位という結果にも、その場にいた多くのファンからの感謝は、決して尽きることはありませんでした。

こうして幕を閉じた2015年シーズン。しかし、その後にはすぐ、新しい出会いもありました。
後任監督は誰なのか?池田純社長の「横浜の花は薔薇ですよね?」発言にファンが色めき立ちますが、最終的には球団OB、アレックス・ラミレス氏が監督へと就任。中畑監督から明るさを受け継いだように見えて、ほとんどの人が考えてもいなかったラミレス・ワールドが広がり始めるのは、翌年以降の話となります。
さらに直後のドラフトでは今永昇太投手、柴田竜拓選手、戸柱恭孝選手といった、のちにベイスターズの主力となる選手たちが次々に指名されていきます。
新しい時代が、すぐそこまでやってきていました。

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さらにこの年の11月には、筒香選手・康晃投手が侍ジャパンの一員として参加した、第1回WBSCプレミア12が開催されます。惜しくも優勝こそ逃しましたが、代表の主力として活躍した2人の姿は、翌年への希望として、しっかりと刻まれています。
そしてオフ。筒香選手は自ら志願してドミニカのウインターリーグへ、康晃投手もまた、自らの見聞を広めるべく、ロサンゼルスに短期留学へと旅立っていきました。

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本当に強いチームへ。
2016年への戦いはもう、既に始まっていたのです。

と、こんな感じで振り返ってみましたが、あらためて2015年はトピック満載だったなと!「第2幕」にふさわしい、ターニングポイントとなった1年であったのだと再確認しました。
やはり、この年の映画がない、というのは今もって残念ですね。振り返るチャンスが少ないんですよ、筒香キャプテンの1年目とか、康晃投手のルーキー時代とか…今だからこそ、とても観てみたいシーンですよね。
とはいえ、記録がないからこそ、記憶のある人たちが、新しいファンの皆さんに伝えていくという楽しみもありますね。

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2015年という1年は、調べれば調べるほど、趣深い年です。「第2幕、始まる。」というコピーが決して伊達ではなかったぐらい、ハマスタが、ベイスターズが様変わりし始めた1年でした。もしかしたら、本当のDeNAベイスターズとしての1年目が、この年だったんじゃないかな、とも思います。
また機会があれば、この2015年、検証してみたいなと思っています。

現状はいろいろと厳しくて、今年は交流戦も中止になってしまいましたし、その後も不透明。

球音をすぐそばで感じられる日が今年中に本当に来るのか、来たとしても、これまで通りの光景の中に身を置くことができるのか…
考えるほど、不安な想いが大きくなるばかりです。
でもこんな風にできてしまった今の時間だからこそ、時には昔の話をつまみに楽しむのもいいのかもしれませんね。
記憶をたどりながら、昔の話を思い出しながら。またそのうちちょっと、誰かがちょっと時間をつぶせるような、そんな話を残せればと思います。

そしてやっぱり、笑いながら、
これからの未来の話もしていきたいですね!

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皆さんにとって今日が、そして今日より明日が、
よりよい1日に、なりますように。

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