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ただラーメンを食べることが、こんなにも骨が折れるなんて 第二話 丸信ラーメン福島店

「伊藤くん、明日から休みだっけ?」
「あ、はい、すいません」
「あ、いやいやそういう意味でなくて、一週間どこか行くの?」
「あ、はい、ちょっと福島とか東北に」
「へー、そうか。楽しんで来てね」
「ありがとうございます」
男は普段働いているコーヒーショップを一週間休むことにした。

男は福島に旅行に行くことにしていた。
昔一緒に働いていた同僚が住んでいたのだった。
同僚は福島出身だった。
しばらく前に亡くなった。

洋平はその日朝から起き出して、お気に入りのカーキのポロシャツにジーパンを履いていた。黒い革製ブーツはピカピカに磨き上げられていた。洋平は震える手でキッチリ紐を結んだ。
伊藤洋平、男は元傭兵だった。

洋平は高校を卒業後、親の仕事の関係でパリに移住した。パリでは大学に行く傍ら、アルバイトで民間の警備会社で働いていた。

洋平は子供の頃から空手をやっており、その警備会社で徐々に目立つ存在になっていった。そこに、日本人の3歳年上の男がいた。
彼は当時唯一の日本人の同僚となった自分にとても良くしてくれた。

「おい、洋平。命あってのものだねだ。無理はするなよ」
「はい、ありがとうございます」
折に触れて彼は助言を与えてくれた。
そのうち、その男、山口荘は民間の警備会社から外国人傭兵部隊に移籍した。警備会社よりも給料は上がり、待遇も良くなる。仕事にありつけない外国人にとっては、普通に選ぶ選択肢の一つだった。
「洋平、おまえもこっちにいつか…いや、やめておいたほうがいい」
「命あってのものだねだからですか?」
「ああ、そういうことだ」
山口は笑った。

しかしその一年後、伊藤は外国人傭兵部隊に入隊した。
「あれほどやめておけと言ったのに」
「すいません、なんだかやってみたくなってしまって」
「仕方ない、じゃ頼むぜ相棒」
「はい」
配属された部隊の日本人は山口と伊藤の二人だけだった。

部隊での訓練は過酷を極めた。警備会社とは比較にならなかった。
警備会社とは違い、命のやりとりを基本とするため、その覚悟が隊員に必要とされた。
彼は食らいついた。すぐに音を上げるアジア系の奴とみくびられていたことが発奮材料になった。
いつしか男は部隊でも信頼されるひとりの兵士として成長していた。

洋平は、空手を生かした体術により、次第に隠密行動や暗殺を得意とするようになった。

アフリカや中東、ユーゴスラビア連邦での工作も行った。
山口はどちらかと言うと後方支援部隊に回ることが多かったため、戦場を共にすることはほとんどなかった。

「相棒、最近活躍しているらしいな。Smith軍曹から聞いたぞ」
「いや、そんなことないですよ。でもだんだん任務が過酷になっていくような気がしています」
「そういうもんだ。リフレッシュは大事だぞ」
「そうですね。命あってのものだねですからね」
「違いない」
二人は笑い合った。

しかし、その山口は死んだ。橋の破壊工作任務を遂行している途中に、相手型にその工作が気づかれ、爆撃機による一斉掃射に遭い、舞台はほぼ全滅だった。

洋平はそれをパリで聞いた。
「命あってのものだねだって言っていたのに…」
洋平は彼が好きだったポインセチアを彼のパリの墓標に置いた。

あれから数年経った。
洋平は部隊から去り、今は東京のコーヒーショップで働いている。

洋平は東北に向かった。山口の実家がある福島の相馬市にも行ってみようと思っていた。

JRで福島駅に降り立つと、彼は駅の近くを散策した。このあとはレンタカーで山口の実家の相馬に行く予定であった。しかし、山口の親に会うとか、特に当てがあるわけではなかった。ただなんとなくその場所に行ってみたいと思っていたのだった。

「しかし、小腹が空いたな」
気がつくと彼は一軒のラーメン屋の前にいた。
丸信ラーメンとある。昼も少し外れているため先客はいない。静かだった。

次郎は左右と背後を確認して店に入った。
「もう左右と背後を確認する必要などないのにな…」
伊藤は独りごちた。

「いらっしゃい、お一人?」
「ええ」
「何にする?」
壁に何やらたくさん記載がある。

「じゃあ、チャーシューメンで」
「はいよ」
しばらく待つこと5分程度。
「お待ちど様、お客さん東京から?」
「ええ」
「そうですか、観光?暑いでしょ福島」
「あ、はい。蒸し蒸ししてますね」
「そうなのよ」
店主はそう言うと奥に引っ込む。何かを警戒されているわけではなさそうだ。

洋平はスープをレンゲにすくって啜る。
懐かしい素朴な味わい。醤油と鰹だろうか。なんだか涙が出る様なアッサリした味わいだ。

洋平は次に麺を啜った。
これもちぢれ細麺。特に大きな特徴はない。しかし悪くない。

「ん?」
洋平は少しスープを、かき混ぜるとスープの色が濃くなったことに気づいた。

わざとなのだろうか。二層式だ。
再びスープを啜ると、味が濃くなっていた。少し旨味が増した様だ。

洋平はスープを啜る。さっきよりも美味しく感じる。なんだか狐につままれたようだ。

チャーシューは硬めの、こちらも昔ながらの味。
山口も学生の頃はこんなラーメンを食べていたのだろうか。彼はいつからパリにわたったのか…。知らないことの方が多いことに気づいて苦笑した。このラーメンを食べることは、なんとなく供養をしているような、そんなセンチメンタルな気分になっていた。

ズルズルとラーメンを啜り、スープを飲んだ。
「ご馳走さまです」
「はいよ。気をつけてね」
洋平は店を出た。
店を出て素早く左右に目を走らせた。
左から急ブレーキを踏んで軽トラが止まる。
彼はポケットに手を突っ込んだ。ポケットには隠されたダガーナイフが静かに息を潜めている。

軽トラこらは白髪を刈り上げた酒屋が降りてきただけだった。

洋平は再びポケットから手を出し、レンタカー屋の方向へ歩き、ほどなくしてレンタカー屋に着いた。

手続きを済ませ、車に乗り込む。
すぐにエンジンは掛けない。暫く車内を確かめた。どんなトラップがさかけてあるかわらからないからだ。

しかし、ここではそんな必要はない。また癖が出てしまった。

窓ガラスを開けて、上を見た。綺麗な青空に、白い入道雲が出ていた。山口もこの空を見ていたのだろうか。

「この安達太良山の空には本当の空があったのかい先輩」
あの作戦の時、敵の飛行機の音を聞いた時、その空にはこんな入道雲があったのだろうか。そこから福島の空を、先輩はあの頃の空を思い出せたのだろうか。

必死で逃げただろうから、そんなことは考えもしなかったか。

雲の形が変形していく。その中に、山口がいるような気がした。

洋平は、目を瞑った。一呼吸置いて、レンタカーのエンジンを掛けた。
「これから会いに行くよ、先輩」
洋平は呟いた。

後部座席に置いたポインセチアの鉢植えの花びらが僅かに動いたように見えた。

続く。
***
丸信ラーメン福島 024-524-0858 福島県福島市置賜町5-13 https://tabelog.com/fukushima/A0701/A070101/7002712/






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