グリンカード、俺の11年戦争(2)ビザの発給上限、日本へ退去

私が申請したのはH1Bという特殊技能者が申請できる就労びざです。漢字で書くと大袈裟なのですが、要は専門職ようです。当時は寿司職人など日本人特有の仕事でかつアメリカ人の仕事を奪わないことが条件の一つでした。アメリカの会社はアメリカ人で済むのであればわざわざ外国人を雇うことは推奨されません。また外国人もビザサポートを条件に過酷な仕事を低賃金で負わされないように最低賃金を下回るような雇用は認められていませんでした。

幸運なことに、プラクティカルトレーニング中に当時勤めていた会社が西海岸の大手CDNに買収されました。その会社は日本にも支社があり、移民担当の人事もいたのでビザの申請はスムーズに行きました。

が時はドッドコムバブルで発給制限に達してしまい、年度内のビザ発給が困難でした。いや、期限を過ぎていたのかも。というわけで買収された会社の日本支社に間借りしてH1ビサが出るまで8月から10月まで日本からリモートワークしました。場所は築地のN T Tのデータセンター。食堂もあって楽しかった。その会社はdaijob.comのインタビューもうけて私も一緒に写真に載った気がします。


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