味ごはん

恐怖の折檻部屋と味ごはん

最初の結婚は、ロクなもんじゃなかった。若すぎるがゆえに、ごく普通の出会いを「運命」と勘違いした私たちは、運命だから結婚しなくてはならぬ、そうだ、結婚しよう!と突っ走った。付き合って3日めにプロポーズ、その週末には彼の実家へ突入していた。法事の最中、女づれで突然現れた息子に周囲はさぞ驚いたことだろう。本当に「若さ」とは「バカさ」と同義である。

義両親もまた、若かった。嫁と戦う体力は十分にあるし、若い女なんかに負けてたまるかという気力もプライドもたっぷりある。東京などというチャラい場所からやってきた嫁に、この土地のしきたりを叩き込む意欲もたっぷりある。そんなわけで私の「多勢に無勢で四面楚歌」な結婚生活は、式の当日からお先真っ暗な予感と共に始まったのだ。

夫の基本スペックは、1日数本のバスしか通らない山あいの小さな町の、70年ぶりに本家に生まれた長男である。物心ついたときにはもう周囲すべての人間からチヤホヤされ、お前は特別な人間なんだよと選民思想を植え付けられてきたという。特に義母はかしずかんばかりに息子に奉仕し、叱るどころか意見を違えることすら一度もなかったそうだ。義母の望みはただひとつ、息子と愛し愛され濃密な暮らしをすることである。息子の結婚を許したのは「結婚=同居」と思い込んだ義母の、痛恨のミスだったのだ。

さて結婚と同時に地元には帰ってきたものの、息子は一向に同居する気配がない。本当の理由は、実家が駅からあまりに遠く通勤できる距離ではないことと、口やかましい義父と折り合いが悪いからなのだが、義母にはそれがわからない。目の前ではっきり息子に言われても、わからない。イヤ本当はわかっているけど、わかりたくない。息子がそんなイジワルをするはずがないと思いたいのだ。嫁の陰謀か、嫁の悪だくみか、嫁の奸計のせいにしたいのだ。なので義母の毎日は「嫁を改心させること」に費やされることになった。

まずは毎日電話をしてくる。
うちの実家にも電話をしまくる。
「電話しても誰も出ない(当たり前だ、働いているからな)」とまた電話してくる。
「今からそっちに行くわ」という。
私、外出したり居留守を使ったりしてやり過ごす。
怒涛の留守電が入る。

まあこんな毎日だ。

そして週末になると今度は、実家へ呼ばれる。もちろん、ただ「来い」だけでは息子に断られる可能性がある。そのため高価なプレゼントや高価なディナーなどの餌を用意し、ダメ押しのひとことを付け加える。

「うちの庭で洗車すればいい」

そう、夫はなぜか洗車がとても好きだった。キレイにするのならガソリンスタンドでおまかせ手洗いの方がいいんじゃないかと何度か提案してみたが、どうやら自分で洗うことが好きだったようだ。なのでプレゼントやディナーでは釣られなくとも、洗車の話をされるとホイホイと実家に寄ってしまうのだった。

私はもちろん行きたくない。だがあの時代、あの土地で、嫁が同行しないなんてありえない。「同居もしていない親不孝のお詫びに、週末くらい義両親のお世話をするべき」が当たり前の価値観だった。なので行く。家に着くとあいさつもそこそこに、義母は息子にハヨ車を洗え洗えと裏庭に急き立てる。

なぜか。
それは今から嫁に説教するところを、愛する息子に見られたくないからである。

だったら説教するのをやめればいいと思うのだが、それはできない相談だ。なぜなら嫁の陰謀は一刻も早く打ち破らねばならない。一刻も早く嫁を改心させねばならない。だから、ちょっといずみさん、ちょっとこっち来て、早く早く...と、裏庭の息子からは絶対見える心配のない、いつものあの部屋へと私を押しやるのだ。

いつものあの部屋。西日だけが入る洗濯機の部屋のことを、私は心の中で「折檻部屋」と呼んでいた。

折檻部屋、辛かったなあ。毎週、毎週、同じことの繰り返し。穴を掘らせて、掘った穴をまた埋めさせて、また掘らせてを繰り返す拷問のようだった。義母が本当にやらねばならないことは息子と対峙することなのに、嫁をサンドバッグにして、それで少しは気が晴れただろうか。

ただ折檻部屋にはひとつだけ楽しみがあった。それは立ち位置的にいつも私の目線の先にある鏡が、人生で最高の 美人鏡 だったことだ。あの鏡に映る私は美しかった。鏡が縦にゆがんでいるのかとても痩せて見え、ぼうっと白く曇っているため肌がとてもキレイに見え、西日の角度がフェルメールのようにドラマチックな陰影を落とし、はっとするほど印象的な顔になれた。慰謝料も何もなく身ひとつで離婚したけど、あの鏡だけはもらってくればよかったなと今でも時々思う。

あの結婚生活で知った最たるものは「味ごはん」だろう。彼の地ではおそらく味のついたごはん全般を指しているようで、炊き込みご飯タイプも混ぜご飯タイプも、みんな味ごはんと呼ばれる。具材も作り方も人それぞれだが、とりあえずあの手のやつはみんな味ごはんだ。義実家は神社だったため、炊飯器は5升炊きで、調味料は湯のみにドボドボ入れて測ったものだが、今は3合で作っている。

【味ごはん〜神社スタイル/義実家の香りを添えて〜】

コメ 3合 / 鳥もも肉 200グラム / ゴボウ 1本の半分くらい(皮は軽くこそげる) / ニンジン 5センチ / 醤油 大さじ3 / みりん 大さじ1 / 油揚げ、青ネギ、干し椎茸 適宜 / 甘めが好きならさらに砂糖大さじ1〜2

鳥もも肉は1センチ角に切る。ゴボウとニンジンはささがき。油揚げは半分にして細切り。青ネギは1センチ幅に。ゴボウは根元の方がアクが強いのでこちらから切り始め、水に放していく。先端まできたらさっと水にさらすくらいでもうザルにあげていい。根元と先端で時間差をつけるのである。よく水気を切っておく。

鍋に調味料を入れ、ゴボウと鳥肉を入れてから火をつける。火は強めの中火。2分ほどたったらニンジンを入れる。ニンジンは水が出やすいのと、ゴボウと比べ煮崩れしやすいので、ここも時間差をつけるのである。中火に落として調味料の汁気が少なくなってきたら油揚を入れ、さっと混ぜて火を止める。油揚は味を吸いやすいので、最初から入れると味が濃くなってしまうので、ここも時間差である。

コメは普通の水加減で炊いておく。干し椎茸が好きなら戻して刻んで、一緒に炊くといい。味ごはんのレシピは数々あるが、義実家では「ほとんど汁気のない状態まで煮た具材を、炊き上がったコメに混ぜる」混ぜご飯スタイルをとっていた。他にも「最初から具も調味料も一緒に炊き込む」完全炊き込みスタイルや、「具は煮ておいて、沸騰したところへ煮汁ごと具を入れ、一緒に炊き込む」ハーフ炊き込みスタイルなどのやり方がある。自分の好みを探すといいだろう。

具材を煮た鍋はすぐ洗ってはいけない。鳥の脂がまとわりついたこの鍋で、青ネギにさっと火を入れるためだ。今回はいい青ネギが入手できなかったので使ってないが、脂が回った青ネギはてらっと光って、ごはんのいい彩りとなるのである。あればぜひ使って欲しい。よく蒸らしたら最後に青ネギを混ぜ、出来上がりだ。

あの頃の私は、義母への対抗心からゴボウを糸のように細くササガキにするスキルを持っていた。どうだ?これで文句は言わせないぞ?と自慢げに目の前でササがいたものだ。怒りがスキルを上達させたのだ。それが今じゃ見ての通り、この体たらくである。でもそれでいいんだと思う。怒りに満ちた料理は食べる人がかわいそうだからね。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。