ふと財布をのぞくと、500円玉が変なことになっていた。

といっても「ウォンだった」とか「ニセモノだった」という物騒な話ではない。ともかく見てもらおう。こんなことになっていたのだ。

「タバコ　だめ」

ああ、これを書いたのはどんな人だろう。私の妄想はこうだ。

同棲しているカップル。しかし男の方は失業中である。女は昼も夜も働いているが、なかなか暮らしは楽にならぬ。男が働かないだけでなく、女が稼いだ金をパチンコと酒にずるずると溶かしてしまうからだ。先日はついに浮気も発覚した。それでも別れることはできない。少しでも愛想を尽かしたそぶりを見せると、男はあの手この手でうまいことたらしこみにかかるからだ。

「愛に依存してるのかな」

女にも自覚はある。だが1人になる覚悟はない。離婚した先輩の「この歳になると、どんなんでもいいから男がいればと思うもんだよ」という悲しいセリフが頭をよぎる。でも次に何かあったらもう知らない、今度こそ、私だって...そう思いながら今日も男に金を渡す。

ふと思いついて500円玉に落書きをした。

「タバコ　だめ」

これを目にしたくらいでタバコをやめるような男でないことはわかっている。でも、いい。お守りがわりに、彼の財布の見えないところに入れておこう。いつか使ってしまうとしたら、それはその時だ。

◇　　◇　　◇　　◇　　◇

いやああああ、ダメ、ダメ。なんだ私の妄想は昭和か。じっとり暗い、昔の日本映画か。平成も終わろうというのに、ずいぶんと湿気の多い妄想をしてしまった。女の名前が「あかり」ってとこまで想像してしまった。未来なんて真っ暗なのに「あかり」とは皮肉な名前だな、て女がひとりごとを言うシーンまで見えてしまった。全部500円玉のせいだ。

若い頃は私も喫煙者だった。割とヘビースモーカーだった時期もある。だがタバコの量に関しては、私の知る限りコウさんを超える人は見たことがない。コウさんは中国から来た人で、中国料理店でのバイト仲間だった。タバコを吸いながら店にやってきて、バイト終わりはタバコに火をつけながら店を出る。1分でも手が空くとタバコを吸う。家に遊びに行こうもんなら、帰りは電車に乗れないほどの匂いが染み付いてしまう。

それでもコウさんちには、よく行った。そのころは珍しかった中国のリアル家ごはんを、体験することができたからだ。「中国料理は火力が命」「特殊な食材や調味料マスト」と頭でっかちに思い込んでいた私の目の前で、ごく普通の材料が、ごく普通の台所でサクサクと中国料理に仕上がっていくのは、見ていてとても楽しかった。

コウさんに教えてもらった料理の中から、今日は茶碗蒸しを紹介しよう。去年の今頃、ツイッターに投稿したらとても反応が良かったものだ。普通の材料と、普通の台所さえあれば大丈夫。美味しく作れる。

【コウさんの茶碗蒸し】

卵　１個／卵の3倍量の水／ひき肉　50グラム／醤油　小さじ1と、器に対してぐるりとふた回しほど／ネギのみじん切り、ごま油、塩

茶碗蒸し用の小さな器でも作れるが、最後の工程を考えると大き目の浅鉢に作るのがやりやすい。コウさんはラーメンどんぶりで作っていた。大きな器を持っていないというフォロワーさんは、なんと「取っ手の取れるテフロン加工のフライパン」で作ったという。それでいい。そういうラフな感じがいい。

器の底にひき肉と醤油を入れ、混ぜながら底に貼り付けるようにしていく。こねたりする必要はなく、肉と醤油が馴染めばそれでOK。

卵を溶いて、水と合わせてよく混ぜる。ザルなどでこしながら、肉を貼り付けた器にそっと注ぎ入れる。

蒸し器のお湯が沸騰して十分に蒸気が上がったら、蒸し始める。時間は強火で2分、そのあと弱火にして15分を目安にするといい。

蒸しあがったらネギを散らし、醤油をぐるりとかけまわす。そしてその醤油をめがけて、煙が出るまで熱した油をジャーっとかける。大き目の器がいいというのは、ここでかなり油が飛び散るからである。コウさんによると、かけた油で醤油が焦げるくらいがいいとのこと。各自練習してみて欲しい。

このレシピだと味は醤油しかないので、卵液に塩で軽く味つけしたり、ひき肉にもっと強めの味を足すのもアリ。また肉をもっと多くするのもアリ。自分好みの配合を模索しよう。

500円玉についての妄想を飲みの席で語っていたら、ちょうど禁煙中の友達が「それ欲しい」と言い出した。禁煙のお守りにすると言う。それはいい。「あかりも喜ぶよ」と、うやうやしく手渡した。友達も「あかり、大事にするよ」とご機嫌で受け取った。

そして次の日、彼から意外なメッセージが届いていた。

「ごめん、なんかあの500円玉もらったら逆に、妙に、タバコ吸いたくなって...買っちゃった。あの500円で買っちゃった」

あかり、本当に男運悪いな。