店の餃子

くずし餃子と野菜炒め

断捨離ができない。

体質なのか、親の遺言なのか、宗教上の理由なのかわからないが、とにかくできない。したがって、家はモノであふれかえっている。物心ついたときからずっと同じだ。本を買う。くだらないモノを買う、ノートに何か書き散らす。そして捨てない。

家には捨てられないものを入れた大事箱や、大事袋がごまんとある。

最も古い大事箱の箱は、伯母からもらったものだ。赤いツバキの花があでやかに描かれ、箱そのものがすでに大事だった。おそらく幼稚園時代に形成されたその中には、リカちゃんの赤いハイヒール(片っぽ)、ガラスでできた動物、ゴジラのようなもの、そして自分で描いた餃子の絵が入っている。赤いもの、ガラス、ゴジラ、そして餃子と、今も変わらぬ嗜好がそこにはある。

1人暮らしをはじめてから作られた大事袋には、当時の絵日記のようなものが入っている。ごく普通のノートに、渋谷で見つけたかわいいTシャツや、今日あった出来事などをちまちまと書いただけのものだが、これが今読み返すとかなり面白い。

中でも多く登場するのが「次にやってくる特別なあの日に、何を食べたいか」の妄想だ。特別な日といっても、誕生日やクリスマスだけではない。給料日の次の土曜日だったり、面倒な講習会の最終日だったり、帰省する前の日だったり、まあ、つまり、何かにこじつけて好きなものを食べたいという、乙女の妄想の暴走だ。

外で食べるか、家で作るか。和洋中どれにしよう? いや、まずは好きな食べ物を書き連ねてみよう、話はそれから...といった具合に、妄想は進む。そこで書かれている好きな食べ物のトップは、たいてい餃子だ。今と変わらぬ嗜好がそこにはある。

「次にやってくるあの日に何を食べたいか」の妄想は、今も変わらずお盛んである。もうノートにペンでは書かないが、パソコンやスマホの大事フォルダにせっせと入力している。まず頭に浮かぶのは、もちろん餃子だ。「ドキっ! 餃子だらけのサタデーナイト! ポロリもあるよ」などとタイトルをつけてから、おもむろに餃子の中身を考える。

ではここで、私がふだんよく作るタイプの餃子のレシピを紹介しよう。6月くらいからずっと「じろまる餃子教室やるやる詐欺」を唱えているが、これは本当に近いうちにやる。やります。そのときはみんなで思う存分、餃子を包もう。

【じろまる餃子/基本プラン】

肉 200グラム / 何か 50~200グラム / 醤油 大さじ1 / 油 大さじ2 / (水 大さじ1)

肉あんの基本は上記の通りだ。肉は市販のひき肉を使うのか、豚バラ肉を叩くのか、肩ロースをフードプロセッサで粉砕するのか、羊肉を使うのか、鶏とか牛肉を使うのか。それらの要素によって味つけと風味づけは微妙に違えるが、大まかな指針はこの通りである。

よく「本場の餃子はニンニクを使わない」と言われるが、別に自分が「ニンニクの風味が欲しい」と思えば、ニンニクを入れればいい。私の好みで言えば、トマトを使った餃子にはニンニクを入れたくなる。セロリなら生姜が合うように思える。自分で食べる餃子だもの、好きにすればいい。

ともかく肉を、ミンチ状にする。

調味料を入れて、よく混ぜる。このとき最初に入れるのは、塩気のある調味料だ。肉と塩気が合わさると、粘りが出る。ここでは醤油しか書いていないが、塩とかオイスターソースとかを使う場合も最初に入れるといい。よりジューシーな餃子にしたいなら、ここで水を入れる。

コショウやニンニク、生姜などを入れたい場合は、そのあと。さらによく混ぜたら、最後に油を入れる。油の量に驚くかもしれないが、これは騙されたと思って入れて欲しい。ごま油、サラダオイル、くるみ油やグレープシードオイルなど、油の種類によって風味が違う。色々試すのも楽しいだろう。

ミンチ肉に調味料と油を全部混ぜ込んだら、ここで「何か」の副材料を混ぜる。何を選ぶか、量はどれくらいかは「好き好き」としか言いようがないが、肉と同量くらいまでにとどめておくと失敗が少ないだろう。また材料の大きさも好き好きである。みじん切りにして肉と一体感を持たせるのもいいし、わざと大きめの角切りにして存在感をアピールするのもいい。どっちもアリだ。

うちでよく作る組み合わせは

・トマト、ニンニク

・大根、牡蠣

・ラム、パクチー

・フェンネル、生姜

などである。春は「キャベツとアサリ」なんかもいい。とにかく餃子に合わない食材はない、と言っても過言ではない。いろんな組み合わせを試し、餃子皮の中の小宇宙を創造するといいだろう。いい組み合わせができたら、私にも教えてくれ。

中身ができたら、あとは包むだけだ。市販の皮にも、手作り小麦粉むぎゅむぎゅ皮にも、それぞれの良さがある。慣れないうちは、中身を少なめにすると包みやすい。なので上記のレシピで何個作れるかは、その人次第といったところだ。中国ではパツンパツンに中身が入っていて、とじ目が細いのがカッコいいという。

餃子を包んでいると、Kちゃんのことを思い出す。

Kちゃんは高2の春、代ゼミの春期講習で出会った子だ。兄弟がたくさんいて、ご両親は留守がちで、だからうるさいこと言う人はいないから遊びにおいでよと強く誘われた。2週間の講習のうち10回くらい、つまりほぼ毎日お邪魔していたことになる。

家に行ってみると、ご両親は「留守がち」なんてもんじゃなかった。交互にふらりと帰ってきては、お金を置いてまた出て行ってしまうという話だった。Kちゃんは長女で、中学生、小学生、幼稚園の弟妹が5~6人いただろうか。お金が入るとみんなでスーパーへ行って、好きなものを買い散らかす。お金がなくなると、自炊めいたことをする。それの繰り返しが、彼女の生活だった。

その自炊がちょっと変わっていた。チルドタイプの餃子をくずして、肉がわりに使うのだ。

「ちょっとなに言ってるかわかんない」

料理好きな人ほどそう思うだろう。だがKちゃんはまだ17歳で、何か教えてくれる人は家におらず、大人が料理をする様子をそばで見ていた記憶もない。料理を食べたことはあっても、それがどうやって作られるのかはわからないのだ。

「本を読めばいい」と思う人もいるだろう。だがまったく何の知識もない未踏のジャンルを「本を読めば」できるようになるだろうか? だったら私はとっくに編み物の達人だ。さかあがりだってできてるはずだ。まったくわからないことは、調べ方もわからない。自分が何を知らないのかも知らない。だから彼女が家庭科レベルの知識から、オリジナルの技を生み出したことは、驚異的なことだったのではないか。

生肉を買って何かするのは、怖くてできないと言っていた。チルド餃子を使うのは確か「火が通ってないのを心配しなくていい」と言ってた気もする。もっと聞いておけばよかった。

当時の私は「すごーい、すごーい」と、彼女の冴えたやり方に感動し、親がいなくて羨ましいと思い、自分の好き勝手にスーパーで買い物できることにひどく憧れた。その意味には気づいていなかった。ずっとあとになって、かなり大人になって、あのときのあれはどういう意味だったか、ハッとしたのだ。そんなことは他にもたくさんあるけれど。

2週間遊んだうち、絶望的にお金がなく自炊した日は2回やってきた。最初は「くずし餃子の野菜炒め」だった。2回目は「くずし餃子とミックスベジタブルの鍋」だった。他にも「くずし餃子ごはん」とか「くずし餃子の肉じゃが」などにも応用ができると教えてもらった。「天才かよ」と思っていた。今でも思っている。


めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。