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変わる・変わらない

変えなければいけないことは多々あるだろう。賃金や労働環境、グローバル化等によって様々な対応をしていかなければならないことは多々ある。そしてそれは、今だけ変えるのではなく、いつの時代も対応していかなければいけない物事だとも思う。何故か。それは時間が、時代が進んでいるからだ。
「乃木希典の殉死」をみなさんご存知だろうか。彼は明治時代の陸軍大将であった。その方が明治天皇の死を知り、天皇を追いかけるように正式な切腹で殉死したことは有名な話だ。この出来事は大きく世間を騒がせた。特に死に様だ。前述の通り彼は正式な切腹し、この世を去った。その死に様に賛否の声が上がった。森鴎外や新渡戸稲造は「見事な死に様」と称賛したが、芥川龍之介や志賀直哉は「古臭い死に方」と非難をした。今の私達には分からない感覚がこの時代を生きていた人達は持っていた。そもそも私達は「切腹」を教科書や本等の中でしか知ることがない。仮に現代で、世に名を馳せた著名人が「平成が終わった」という遺言を残し切腹をしようものならば各国から「日本にサムライは存在した」と報道されることであろう。約1世紀前の時代では切腹が認知されており、称賛や非難される出来事であったのは事実。その時代で死や価値観が変わるのは当たり前の話である。それほど大きな時間が流れたのだ。
働くことや生きることの意味や意義も同じように変わる。時代によって適切な賃金や労働環境はある。普通に考えれば物凄く当たり前のことだ。ただ、それらを「変わらないもの」と認識し押し付けるようなことは、時代に逆らうような不向きな考え方でもある。今の思想や価値観、死に様もまた1世紀経てば、学校で習う教科書の中での出来事にしか過ぎないのだ。ならば私たちは違う視点で未来永劫「変わらない物事」を見つける必要がある。それは仕事という点だけでなく人間という一動物としての行動をも見直さなければいけない。今私たちが持っているチカラ、使えるチカラの向きが正しい方向に向いているのかを確認することが先決ではないのだろうか。「働く」というのはこのベクトルの向こう側にあるものだと思う。
では、この先の道に何があるのだろう。必ずしも幸せが訪れるわけではない。今よりももっと苦しいこと、悲しいことが待っているかもしれない。もしかしたら道の先は崖で、もう進めないかもしれない。でも、道を進んでみなければ何があるのかもわからない。その崖から見える景色はとても素晴らしいものかもしれない。後ろを振り返れば自分の頑張りを応援してくれた人がたくさんいるかもしれない。そしてその人達と素敵な景色を共有できるかもしれない。世界一の景色ではないだろう。一番大切なのは、大切な人達と思いを共有できる時間なのかもしれない。変わる物事より、変わらない物事を見つけるほうがいいのかもしれない

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