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愛が好きだ。

愛が好きだ。
これは人の名前ではなく、人間や猿、イルカも持つ本能的な愛が好きだ。目に見えない愛が好きだ。心で感じ合える愛が好きだ。100%の愛が好きだ。目に見える、触れることの出来る愛も好きだが、触れることのできない愛が一番好きだ。
でも、時に愛は人を傷つけてしまうこともある。例えば恋人と別れを切り出す時、今の恋人と将来が見えなくなってしまいこのままズルズル引きずることを懸念した結果、出した答えの愛。これが例えばどちらかが浮気をして別れるというのは悲しいお話だ。                    でも、自分の正直な想いと相手のことを思い下した結論であればそれは美しい話かもしれない。一概に振ったほうが悪いなんて僕は思わない。別れを切り出されたほうにも原因があるときもある。ましてや地球上に60億人以上いる膨大な数の人がいる中、たった1人選び人生かけて愛し尽くすのは少し酷なことかもしれない。それは宝くじを買って1等賞を当てる確率よりもはるかに難しいことなのだ。一昔前では結婚は当たり前だったかもしれない。でも時代は変わる。昔よりも容易に海外へ行ける時代になった。SNSを通じていろんな国の人とコミュニケーションを取ることも簡単な時代になった。(現に僕は、ワーキングホリデーという制度を使ってオーストラリアで生活している。そして異国の地でこの文章を作っている。)それだけ愛を注げる人の幅が広がった。愛に肌の色や話す言語なんて関係ない。国境線や言葉の問題なども関係ないのだ。これらの理由だけではないと思うが、日本のメディアが取り上げる「結婚する平均年齢がどんどん高くなっている」ひとつの理由かもしれない。でも、これは愛する人の幅広がったこととも捉えることができる。素敵なことじゃないか。
多くの出来事は紙一重のような物事が多いように感じる。愛もその一つだ。少し前に新宿のホストが女の人に包丁で刺され、命は助かったが体には大きな傷が残った殺人未遂事件があった。これは女の人がホストへ抱いた愛が形を変え、良からぬ方へ愛が心を変え身体を動かした事件だ。愛は人を幸せにするが一瞬で不幸にもするおっかなくて危ないものだ。取り扱いが難しいのに紙面の取扱説明書などない。なんとも味わい深いものだ。そんな愛を僕らは探し続ける。独身は勿論、付き合っている人も、もしかしたら結婚している人も。年齢問わず、老若男女探している。愛に大きさも重さもない。人によって愛の比重は変わる。誰もその比重は変えられない。変えられるのはその人次第だ。だったらこう考えよう。僕らは愛を育む場所を提供していこう。人が持つ愛を変えられないのならば、少しでも良い方へ変えることの出来る安らかな場所を。物理的な場所じゃなくて、今自分の周りにいる大切な友達を想うこと。愛はその人に伝わってこそ「愛」である。その愛こそが、僕たちが出来る愛の場所作り。なのかもしれない。だって愛は見えないのだから。                               そして、今回の投稿で10作目のエッセイになりました。偏見で言葉足らずな私がここまで続けてこれたのは、優しいその瞳でこのエッセイを読んでくださる皆様のお陰です。本当にありがとうございます。


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