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鉛筆

僕は今、「絶頂の尖り期」だ。
「尖り期」とは、自分が40,50代になった時「あの頃は若気の至りでいろんなことしていたなぁ」と後世思うだろうな、という時期のこと。無論、尖り期とは僕が勝手につけたネーミングだ。以前、友人にエッセイを書いていることや、日本帰国後の起業について話をすると「何になりたいの?」「何を目指しているの?」という半分小馬鹿にされたような口調で質問されたことがある。その友人には全幅の信頼を置いているので別に何も傷つかないし、僕自身「自分の人生は最高に楽しく生きていくためのネタ集め」と思い過ごしているため、赤の他人から僕自身について批判的なこと言われても何とも響かない。もうダイアモンドのような・・・いや、自身のメンタルをダイアモンドと表現するのはおこがましいので、スチール缶のよう、簡単には握りつぶせないのが僕のメンタルだ。
こんな僕だが今の自身の現状・立ち位置というのは理解しているつもりだ。
25歳で独身、片目を隠してしまう程長い金色の髪の毛。自慢できるような貯金はないし、肩書・名誉・地位なんてあるわけない。何かの能力に長けているわけでもなく、初対面の人からは「チャラい人間だと思って少し距離とっていました」と言わる始末。簡単に言えば同世代のどん底にいるわけだ。(自分の立ち位置が悲しすぎて目が潤んだのはここだけの話だからみんな内緒でね)
そんな僕は皆さんが経験してきたであろう思春期を経験していない稀な人物でもある。嘘に聞こえるかもしれないが、これにはちゃんとした理由がある。
それは、僕には10コ歳が離れた兄と7コ歳が離れた姉がおり、幼少時代から彼らに逆らっても何も僕に良いことが起きないのをなんとなく悟っていたからだ。そのため、兄弟に敵わないのならばその上に君臨する両親になんか勝てるわけない、とその頃なりに知っていたため、逆らうような暴言や態度はほとんどなかった(お母さんに確認済み)。今は冗談でお母さんやお父さんをいじったり、相手が冗談とわかる範囲で貶したりするときはある。そんな僕は今、絶頂の「尖り期」だ。同世代でこの尖り期を経験している人もきっと少ないのではないだろうか。今の大人はきっと思春期を経験して大人に近づいてきたはずだ。それが自分が子どもを養う立場になり、その子が思春期を迎え、自身を反抗された時に自分の過去の言動を振り返る日が来るのだろう。なぜ、あんな言い方をしたのだろうか。なぜ、そんな感情が湧いたのだろうか。あの頃の言動があるからこそ、親の立場になった時に、わが子の言動を理解できるのではないだろうか。それは思春期を経験しないと理解できない経験値である。だからといい、僕は思春期を経験しなかったことを悔やむつもりはない。でも今、絶頂の尖り期を迎えた自分が何も行動しないまま10~20年後たったとき、自分が後悔して頭を抱えている姿だけは見たくないし想像したくもない。
だから僕は動く。鉛筆のように黒鉛が折れてもまた研げばよい磨けばよい。何度折れても何度も研ぐ磨く。その鉛筆がもう使えなくなった時、僕の尖り期が終わる瞬間だ。

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