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元カレとの同居と不在から失われたものを取り戻し始める。(長文)

また中途覚醒。
光る画面見るのはよくないので、0時前にスマホ消して眠剤飲んで本読みながらわりとすぐ眠ったのに。
睡眠がうまくいかないのと肩こりがひどいのが今一番の悩み。
どうせ眠れないならブログ書こうとパソコンを開けた。
写真は昨日の散歩で見たピンクの山茶花。

私が個人的な苦難でnoteから離れている間に、社会では色んなことが起こっていた。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ人虐殺、安倍元首相暗殺、統一教会と与党自民党が主な政治家の癒着、自民党の裏金問題、あれやこれや。寝たきりでウーウー言っていたので、意見は持っているものの、X(旧Twitter)等の短文SNSで書くくらいでまとまって何か書いたりは出来なかった。

私が今、日々しようとしているのは「自分を取り戻す」ことだ。

もともと、私は旅行が好きだし人に会うもの好きだ。
音楽を聴くのも読書(漫画ではないものが主)をするのも好きだ。
それが、元カレと同居していた2014年末から今まで失われてきた。
失われた10年。

元カレと同居していた時に最重要視していたのは「楽しく笑って一緒の時間を過ごせること」「この同居生活をなるべく安定させてなるべく長く続けるために持続可能にすること」だった。

元カレが同居した2014年末時点で彼が無職だったことは知っていたので、なるべくお金の節約をした。月1くらいでしていた旅行を年2くらいに減らした。一人暮らしの時にしていた外食はほぼしなくなった。髪の毛を長くして前髪だけ切ればいいようにした。元カレの髪は私が切った。食事は全部自炊。それは前からそうなので大変ではなかった。元カレのする家事は洗い物とゴミ捨てだったが、少しずつできればよいと思って料理を教えたり、買い物を頼んだりもした。でも、それはお手伝い程度。彼の時間は主に自分ひとりのため、主に音楽作りに使われていた。それでもまあ、ほっといても趣味があって没頭できることはいいことだと思っていた。

甘かった。

同居するに当たって、彼に前働いていた時の貯金がかなりあることは知っていたので、生活費を月4万円出してもらう約束で最初2年(2015年2016年)は出してもらっていた。働いていないので当然彼の貯金が無くなっていく。
そのことで悩んで精神不安定になっているので、ただでさえ私は鬱持ちなので「精神が安定していてくれないと困る」と言って「それで不安定になるくらいなら、生活費は借金にしてもらってもいい」と言った。
それから4年。借金は180万円まで膨らんだ。

その間、彼は彼で何かアフィリエイトのサイトを立ち上げようとしたり、私は友達経由でアルバイトの紹介をしてそれをしたりはしていた。
収入はほぼ彼個人のものになって生活費は収入があってもほとんど払われてない。いや、少しは借金返済に払われたけど雀の涙だ。
今の経済状況の説明をして「私と君で一人10万円稼いだら月20万円だからやっていけるよ」と言った時「月に10万円稼ぐのがどれだけ大変かわかってる?」と怪訝な顔をされたことは忘れられない。なぜ怪訝な顔?
アルバイト求人誌にある仕事を彼に見せて「これどう思う?」と聞いたら、「君に合ってるんじゃない?」と、私がやるものだとばかり思っていたのもショックだった。

それでも2人でいる時間が楽しかったので私はそれを優先してしまった。
元カレが自宅からほとんど出たくない人間なので、
ひとりで旅行することやライブや映画やレストランに行くことや友達に会うことが自然に減って、私は鬱で寝たきりがちになった。
駅から離れていて乗り継ぎの悪い場所に住んでいるから私が鬱になると思った元カレは引っ越しを提案し、私もそれが原因だと思っていたので便利な場所に引っ越した。しばらくは忙しくて鬱も鳴りを潜めていたけど、すぐ、また寝たきりになった。

決定的だったのは、コロナ禍で国民1人当たり10万円の給付金が出た時に私は家賃と光熱費でほぼ消えるな、と思ったのに彼はそのまま全部自分の懐に入れようとしたことだった。
え?家庭を維持しようとがんばっているのは私だけで、自分の収入は自分個人のモノだと思っている?そもそも借金があるよね?
すぐ指摘して10万円まるまる借金返済に使ってもらったが、指摘しないといけない意識が絶望的だなと思った。

それから、今までもおかしかったことに気づいて友人含め初対面の人や色んな人に話を聞いてもらった。
ほとんどの人は「別れたほうがいい」と言った。
元カレにも意識を変えてもらう努力をしてみた。

4万円というのは食費を含むのだけど、元カレに買うスナック菓子は出してもらおうと思ってさりげなく要求したら「それ、食費に入ってるよね」と言われた。これが「ポテチ事件」。
ポテチは彼に渡さず私の部屋に隠して私のものにした。
せっかく彼の好きなポテチを割安の54円で買ってきてあげたのに。
54円すら払わないとは。
これまで元カレが専用で使っていたスナフキンのマグカップは私がイトコから誕生日プレゼントで頂いたマグカップなのだけど、私のモノを彼の物にしているのも良くないな、と思い「自分専用のを買って」と言ったら「暖かい気持ちになるから使いたい」と言われた。
ここらへんで、話が全く通じない人間なのだということに気づいた。

6年も一緒にいたのに…….。
隔離された2人だけの空間にいたから気づかなかったんだろうな私。
話が合う人間だと思っていたけど、映画や本の感想を話していて楽しいという人だったんだ。生活を共にする相手じゃなかった。
そういえば「こんな2人だけの世界では息が詰まる」と話したこともあったけど「そんなネガティブに捉えないほうがいいよ」と言われたこともあった。私がしんどいことに気づいて欲しくて言ったんだけど。

そもそも、家事だって、料理、洗濯物干し、共同スペースの掃除、買い物、等ほぼ私がしていた。彼のする家事は、ゴミ捨て(ゴミ集めからゴミ袋の設置まではしている)、買い物リストの作成、毎日の洗い物、共用の家電製品をネット検索で安くていいものを探したり組み立てたりする(その家電製品は私のお金で買っていたが)、たまに洗濯物干しを一緒にしたり、買い物に行くこともあった。が、それくらい。
生活費払ってないのにその程度。

かなり早い時期に「何曜日に掃除すると決めない?」と言ったけど、「そういうことに縛られたくない。気づいた人がやればいい。」と却下された。
当然、私しか共用スペースの掃除をしない。
洗濯物も「気づいた人がやればいい」と言っていたが、やるのはほぼ私。

2020年夏頃、別れを考え始めてからは、言いたいことが言えるようになった。それまでは、家の空気が悪くなるので文句が言えなかった。

経済的なことについて、私が共用の家電製品も食費も払っていることについて話すと「経済的DVだ!主婦の気持ちがわかった!」とSNSに投稿していたことにはびっくりした。直接言えばいいし、家事半分もしていないのに主婦と一緒にするなんて。経済的DVの意味がわかっていない。呆れた。

2020年7月頃に書き置きして家出して大阪のホテルで1週間ほど暮らしてみた。自由を感じたし、いない間に書き置きを読んで気持ちを切り換えてくれることに期待した。

書き置きには、働いて生活費を返して欲しいこと、借金を返してほしいこと、等が書かれていたと思う。3年前のことなので朧気にしか覚えていないが。

帰ってきて、返事を要求したら、わかった就職するし生活費も出すし借金も返すということだったので、その時はやっと通じたと思ってホッとした。

時系列がおかしいけど、この後に、先に書いたポテチ事件とマグカップ事件が起こる。ここで、ああ、やっぱりダメだとなる。
それでも一縷の望みをかけて「もし、体力が無限にあってお金も無限にあったら何をしたい?」と聞いてみた。
(体力がないことが元カレの長年の悩みで、お金もなかったため、それで社交性や社会性がないのかな?と思ったので)
そうしたらしばらく考えて「いい防音室を家の中に作って音楽をしたい」(その時やっていることと同じ)と返ってきたので、ああ、この人に私は夢も希望も感じないなと思った。
せめて音楽ホール借り切って自分の音楽発表したいとか、海外旅行したいとか、言うと思ったのに。

それからは、別れに向けて着々と事を進めた。
いかにしてスムーズに出て行ってもらうか?
ここの家賃も光熱費も今の彼には払えるわけがなかったし全ての共用の家電製品は私が支払ったものなので、彼に出て行ってもらうのが早かった。

実家に帰るか生活保護に入ってもらうのが早いと思ったけど、彼はそれを拒否した。生活保護にいたっては、「僕に生活保護に入れっていうの?」と軽蔑した態度を見せた。親と折り合いが悪いことはわかっていたので、親切で言ったんだけどな。実際に、毒親持ちで最初は生活保護で実家から出た人を私は知っている。

結局、就労相談を受けたり、彼が在宅で出来る仕事を探し出して、そこに履歴書出してオンライン面接したら一発で受かった。(!?)
私と同居するかなり前に月20万円は稼ぐプログラミングの仕事をしていたことが大きかったみたいだ。それにしても一発合格とは予想だにしなかった。その時も、慌てる彼の愚痴や悩みを聴いたり、美味しい料理を作ってあげたり、合格したらピザや寿司を頼んだり(お金は私が2人前払っている)して支えた。

就職出来たのだから、金の話をしようと思って、これから月々幾ら払うか?聴いてみた。
彼の答えは「月に生活費4万円+借金の返済2万円返す」というものだった。
これは、かなりショックだった。
その前に、家計簿と通帳を見せて家賃光熱費食費含めて幾らかかるか?を具体的に見せていたのに。そういえばその時も「ああ、君には貯金があるんだね。安心した」などと頓珍漢なことを言っていた。見えてなかったのだ。
私が最初に生活費を4万円に設定したのは、彼が払えないからであって仕事についたのなら払えるのだから普通に半分払って欲しい。
4万円では家賃と光熱費の半分にも足りない。
最低でも「生活費8万円+借金返済2万円」と言わないとおかしい。

期待した私がバカだった。

別れを決めていても、何度も、「もし、彼に話が通じたらこれからも一緒に暮らしたい」と思っていたのだと思う。
それぐらい何度も期待を裏切られた。

2020年の末に、先のブログにも書いたけど、司書資格を取るという名目で3か月間、家を離れて大阪のワンルームアパートを借りている。その間、今の家の家賃も私が払い、アパートの金も私が支払っている。
この間に会わないで別れ話をしてしまい、完全に家から出て行ってもらおうと私は目論んだ。
これは意外とスムーズに運んだ。
メールで「嫌いになったので別れましょう」と告げた。
お金の話をすると「結局金か!」と言われるのが嫌だったし(実際言われた)結果を得るためにはこう言うしかないと思った。
好きか嫌いかしか通じないとか、高校生か!

私も司書資格を得るための講座を受けるのに忙しくて余計なことを考えなくてよかったのは幸いした。
帰ってきたときにはキレイサッパリ彼個人の部屋には何もなく、貸していた椅子だけ私の部屋に戻されていた。
それは「私が金を出したものは残しておいて、それ以外のあなたのものは全部持っていくか捨てて下さい。残っていたら捨てます」と言ったからだ。

しかし、米(私が金払って買った)も一粒も無かったし、彼の部屋の電球とカーテンが無かったことには呆れた。それ、私が買ってなかった?部屋が使えなくなるから残しておいてくれ。廊下の電気が切れてるのも替えてなかったのは、1円も使いたくなかったからだろう。
メールのやり取りをしていて最後に「いいシャンプーを買ったのでそれは持っていく」と書かれていたことにも呆れた。

まあ、長々と書きましたが、それはそれで別れたのでよかったのです。
問題はここから。

(長いのでちょっとお茶を飲みます)

さて、2021年希望に満ちた春、大阪のアパートから家に戻ってきた私は司書資格を取得したのですぐ就職活動を始めましましたが、年齢のせいか経験がないせいか何かはわからないですが、とりあえず受からなかった。
春の岡本の町をむせかえるような花々を見ながら歩いて働きたい大学図書館まで行ったのもいい思い出だ。そこで量子力学の授業にもぐりこんだのも楽しかった。
司書講座の仲間とスラックで就職活動のやり取りもしていた。
とりわけ、勉強会はとても楽しかったし、先生が親身になって履歴書を赤で直してくれたのにも感動した。この先生のことは今でも感謝している。今までかかわった「先生」と言える人の中で一番先生らしい先生だった。
しかし、私は仕事が決まらなかった。
元カレの思い出が残る家は引っ越したいし寂しいからシェアハウスを探したけど、イマイチ気に入るところがなかった。
仕事が決まらないと、一体どこに引っ越せばいいのかわからなくなってだんだん元気がなくなっていった。旅行したり人と会うのも丁度コロナ禍で憚られた。

結果、元カレと同居していた家から出ることが出来ず、就職していないので司書講習仲間とスラックで話すことも気まずいのでやめてしまい、だんだん孤独になり鬱が進んで行き、ついにまた寝たきりになってしまった。
家に人がいない分、定期的にそれだけはしていた料理をする気にすらなれず、食欲がなく、たまにジャム塗ったパンやドーナツを食べて、ベッドで寝たきりでスマホを見つめる日々。体重も激減した。

この時、食べられないことを心配してくれて漬物を送ってくれた司書の先生と司書講習の仲間には感謝している。

2022年はまだ引っ越す希望を持っていたけど、
2023年は年始から風邪を引き、なにもかもうまくいかず、
そんなこんなで死んでいた。
筋力と視力が激減したのはわかっているのに、それを取り戻す努力が出来なかった。


あ、夜が明けてきた。
話を戻そう。

2024年。
一つ前の日記に書いたように、私は年始から動けるようになってきた。

私にとって精神的に大きかったのは、2023年末に、たまたま行きつけの心療内科で元カレに会ってしまったこと(もともと同じ心療内科に行っている)。スマホを見てうつむいていた私の前で足を止める人がいたので「?」と思って顔を上げたらそこに元カレがいたのだ。
マスクしていたので一瞬誰か?わからなかったのだけど、目を見て動かない彼をみて、あれ?これは元カレじゃね?と思った。
何も言葉を交わさず、元カレは遠く離れた席に移動した。
なんで足を止めたんだろう?なんで顔を見てきたんだろう?
それくらいなら「こんにちは」くらい言えばいいのに。
あれじゃあからさまに不審者だ。
そういえば社会性が全くなかったんだった。

これから、本当に期待がなくなり、元カレのSNSを見なくなった。
それが私の回復のキッカケになった。
SNS見たいと思ったり、元カレを思い出してしんどくなったら
「あの人は、もう死んだ」と思うことにした。
実際、会わないので私の中で死んだことにしても一向にかまわない。
そうすると、とても楽になった。
(もちろん、借金は返し続けてもらっています。それとこれは違う)

ふう。やっと現在まで来たぞ。

引っ越すつもりで住んでいたので、3年かけて家が荒れ放題になっていた。
服を買わないので摩耗したり穴が開いたりして着れなくなったり、いろんなところに埃が溜まっていたり、レンジフードは油だらけ、調味料は消費期限済のものばかり。それらを変え始めた。

すぐ充電の切れるスマホを買い替えた。
これは元カレと同じ時に買った同じスマホだったので、サッパリした。
動きやすく充電も持ち、自分で選んで決めたので自己肯定感も上がった。
寝たきりでスマホばかり見ていたので落ちた視力に合わせて眼鏡も作りなおした。老眼が進んでいてびっくりしたが。

健康によさそうな料理をして食べている。
筋力をつけるために散歩したりスクワットしたりしている。
肩こりを治すために、以前行っていたマッサージ屋にもまた行き始めた。

鬱で聞けなかった音楽も聴き始めたし、読書も再開している。

3年間も空白どころか筋力体力視力を落ちることをしていたのは、
もう40代の私には痛い年月の過ごし方だったけれど、過去のことは取り返せないから仕方ない。

まとめてこんなことを書けるようになったのも回復してきたからだ。
以前なら、元カレのことを書こうものならそのまましんどくて睡眠薬飲んで寝てしまうところだった。

さて、今日は何をしようか?
とりあえず7時からの中村アリーさんのラジオを聴いて、8時から朝ドラ「ブギウギ」を見たい。















































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