ライオンのブタの別れ道

とある夜の動物酒場で、ブタが酒を片手に、
ときおり、ひづめでカウンターを強く叩いては
さめざめと泣いていました。

「おまえら、ちゃんとひづめ洗ってから来いよ」
水牛のマスターがカウンターごしに
かけるいつもの冗談も、
その日だけはお休みのようです。

二日前、いつもの泥浴び場で
親友のブタと大げんかをしてしまい、
それから親友はこの町から
黙って姿を消してしまったのでした。

他の動物たちは、あまりにも気の毒な
彼の背中に胸をつまらせながら、
その背中に声をかけてあげることもできず、
ブタ鼻とカウンターの殴打の音が響く中、
鉛のような空気に喉を重たくし、
だれ一匹、席を外すこともできず、
それぞれ、手酌の酒を
ちびちびと飲んでいました。

噂に聞くところ、けんかの原因は
たがいの泥のあつかい方にあったとのこと。
カウンターでやさぐれるこのブタに
「前から気になってたんだけどさ、」
相手方のブタが胸に秘めていた哲学を
たれてきたらしいのです。

「ブタどうしじゃないとわからん話だ」
そう吐き捨てると、
ブタはそれ以上語ろうとはしませんでした。

ブタどうしでも理解しえないことがらを
いたずらに言葉にすることを
彼の中で煮え切らない何かが
嫌がっているように感じられたからです。



普段の活気を失ってしまった、そんな酒場に、
一匹の見知らぬライオンが入ってきました。

ライオンは入り口付近にたたずみ、
先客たちの冷ややか好奇と警戒のまなざしを
集める中、その鋭い眼光で店内を見渡しました。

うす暗いカウンターの隅に
ぼんやりと浮かぶブタの背中に目をとめると、
ゆう然と歩み寄っていき、
彼のヒクヒクとふるえる肩をぽんと叩き、
「おいおまえさん、
 一体どうしてそんなに泣いてるんだ」
と声をかけました。

いやになれなれしく聞こえたその声と
薄笑いに揺れる逆光のたてがみ、
草食の傷心をもてあそぶような
そのぶっきらぼうなふるまいに、
ブタは腹をカウンターに預けたまま
肩をゆするがさついた猛獣の肉球を
桃色の肥えた二の腕をふるい、
けがらわしいといわんばかり、
思いきりはねのけました。

肉食獣特有のいかめしい顔に
一変した酒場の空気、
一瞬たじろいだブタでしたが、
グラスに余る酒を一飲み、自暴自棄をあおり、
口の端からこぼれた酒を拭いながら立ち上がると
根拠のない、まったくの言いがかりを
風来のライオンにぶつけました。

「そうだ、おまえが、
 おまえがぼくの友達を食べてしまったんだ!
 友達を返せ! いいから返せ!
 さもなければさあ決闘だ! ぼくと決闘だ!」

「おい、おいちょっと、落ち着けよ」

慌てた水牛のマスターが、ブタをなだめました。

ライオンは否定も肯定もせず、
微笑を取り戻し、ブタを見つめるばかりでした。

周囲の動物たちはひるみながらも、
その不遜ともとれるライオンの態度と
ブタに対する同情から、
彼が勢いに任せて言い放ったことが
なんだか本当のことらしく聞こえ、
断定するだけの根拠を持っていることを信じ、
怒りに駆られたブタを止めることもできず、
ただライオンを冷ややかにみつめることで、
ささやかながら、みなで力添えをしました。

そんなまなざしをうける中、
ライオンは無言のまま、酒場を後にしました。


静まり冷え切った動物酒場には、
ブタの荒れた息づかいだけが
熱と絶望を帯びたまま、
しばらくの間こだましていました。



この街で叩きつけられた決闘は、
必ず翌日の夕刻に行われるという
慣習になっていました。

翌朝、日も上がりきらない明朝、
昨夜の酒場の一部始終を目の当たりにし
飲み過ぎもあり、眠れずベッドに横になっていた
作家のネズミのもとに、
運命のブタが肩を落としながらやってきました。

「ぼくに勝ち目があると思うかい?」
「相手がきみと同じブタだったらまだしも」
「なにかいい方法はないかな?」
「あやまっても無駄な相手だ」
「あいつなら、どうするかな?」
「泥の哲学をぶつけるんじゃないか?」、云々、
答えの出ない問答をよそに、
一番鶏が声を上げました。

「さあ、ぼくは最期の泥浴びにでかけるよ。
 これからネタに困ることがあったなら、
 ぼくの一部始終、
 おもしろおかしく書いて
 街のみんなを笑わせてやれよ。
 いままでありがとう」
「最期の泥浴びか…、!、
 おい、いいことを思いついたぞ」
ネズミはベッドの上から跳ね出てきました。
「最後の泥遊び、それは
 決闘の直前にとっておきな」


夕刻、
動物たちの影が凸凹に伸びる決闘の荒野に、
陽に煎られた泥と強烈な臭いを滴らせながら、
東のまばらな草原からブタがやってきました。

少し遅れて、ライオンが
森の方から西日を背負いながら
悠然と、その姿を現しました。

ライオンは立ち止まり、
斜に差す赤い陽に眉間に皺を寄せ、
陽を背にし、灰の泥粘土に溶けたブタの姿を
しばらく眺めた後、静かに森に姿を消しました。
西日とともに消えていくその様は、
勝利をおさめ、見届けるブタには
勝者にやさしく微笑みかけているようにも、
応援する動物たちを懐かしんでいるようにも、
不思議と、そう映ったのでした。


「ほら!ぼくの思った通り
 ブタの慣習が、ライオンの威厳に
 みごと打ち勝ったぞ!」

ネズミの勝利宣言を皮切りに、
動物たちは喜びの声を上げました。
泥だらけのブタを囲み、踊りはしゃぎました。

そしてほとぼりの覚めやらぬまま、
ふんぷんたる泥を顔に体に分かち合った彼らは
いつもの酒場へと向かいました。

彼はどこに戻るのだろう、
そう思うと、
自分が挑み、自分がおさめた勝利が、
なんだかとても自分勝手で
むなしいものに感じられ、
自分の命のかわりに失われた何かが
ふり返り、ふり返り、
彼自身をあざ笑いながら去ってくような
そんな心持ちを笑顔の下に隠しながら
みんなと一緒に飲む酒は、
あの日の酒と同じ味がしました。



夜、
冴えた月の光をたたえた泥浴び場に
べちゃべちゃというぬるい音と戯れる
一匹のブタがいました。

転げ回ったり、うずもれたり、
体を泥になずませている傍らに、
ライオンの着ぐるみがぐったりと崩れ、
返り泥を浴びながら転がっていました。

むずがゆくてたまらなかった彼の皮膚を、
久しぶりの泥がなだめてくれました。



気が済むまで泥と戯れた後、泥を滴らせながら、
敗者のブタは西の方へと、
今の彼には重たすぎる何かを胸に抱えて、
ひとり歩いていくのでした。

――おいおまえさん、
 一体どうしてそんなに泣いてるんだ――

彼が街に残していった最後の言葉が、
道中、彼の胸にときおり響いてくるのでした。



あの作家のネズミには
決して書ききれないことが、
敗者のブタの月夜の道に
美しく花咲いているのでした。

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