兄と弟(テと手)

わたしの ては、
たくさんのことが できます。
なかでも、いちばん すてきなのは、
わたしの ては、ほかのひとの てを
にぎれる ということ。
ジーン・ホルゼンターラー「わたしのて」


かなしければ
抱きしめてもらおうとひらき、
うれしければ、
拍子うち、舞いおどり、
怒りは、そのいきおい、
そのとんがりのまま、とんできて、
楽しさはぜんぶ、
ちいさなその手につかんだものから
生まれてくる。
その場かぎりの思いを
手につかみ、手につくり、手にあらわし、
わかちあう。
ちいさな弟がさしだしてくるその手と、
彼は手をつなぎ、雨の街を歩いていく。


その手は、やわらかい。
あたたかく、しめっぽく、
ときにべとべと、
ときにびしょびしょ、
色にまみれていようが、
泥にまみれていようが、
いやじゃないから、
浮かべるただの、にが笑い。

その手が
そのやわらかさのままに
ふれるもの、そのすべては
おもちゃになり、
ともだちになる。
魔法でも奇跡でもなく、
ただ、そうなる。
ほんとうにそうなる。
そんなことに、
今さらながら彼は気づかされる。


彼の手が触れるものは、
すべてつめたい道具になる。
人に触れようとすれば装い、
自分を壊そうとすれば震え、
いつのまにか、臆病になり
かたくなってしまったその手が
たくさんの道具を搔き集めるだけの日々。
道具を手に取るだけで、
得られるつかの間の安心に、
借り物の偶像を加工し、
虚業の見せ物市に出展する日々。
通りすがりの投げ銭、
待ちわび、目を覚ますたび、
淋しい缶の底に、こぼす日々。

「ぢつと手を見る」
この言葉が、最近の彼に重く響く。
なかなか芽が出ない自分の才能に、
自分がなにをやってきたのか、
これからなにができるのか、
いちばんつらいのは、
なんのために、つづけているのか。
問いにつまずいて、疑心暗鬼、
「ぢつと手を見る」
そこから目を逸らせば、
二十近く年の離れた弟の手が、
あの頃の彼自身の手に重なりながら、
うらやましく映る。

 そのテに頼るな。
 そのテに甘えるな。
 バカ、考えるな、手のアタマ。
 こどもの手に倣えばいいだけだ。

 できないか、自分の手じゃ。
 「ほめられにいく」だけの
 そんなテじゃ、つかむところ
 ミダス、ミダス、ミダス、
 素直な物乞いが
 できないその手じゃ。

傘を柄をにぎる彼の左手が
そう考えている。

 直接触れるのが怖くて
 手が震えるのなら、
 手が素直になれないのなら、
 まずは手持ちの道具、
 つかってでも触れてみろ。

 あれでもない、これでもない、
 いろんな道具、つかってでも
 人にしっかりとふれてみろ。

 つみあがっている
 ようにみえるものに
 しっかりとふれてみろ。

 必死にかきあつめた道具のなかに、
 道具でこしらえたもののなかに、
 もしかしたら、
 子どものころ手にしていたような、
 ほんとうのおもちゃや
 ほんとうのともだちが、
 見つかるかもしれないと
 信じてやってみろ。

 こわして、
 またつみあげるかどうかは
 それから考えれば
 いいアタマだろ。

 つまるところは小心の
 えせブルジョア。
 つまるところはだれかれの
 未知の可能性をパーセントの奴隷にこき下ろす
 サディズムのカヤパ。

 もう飽きただろ、
 結びのみじめな命題は、
 「そのみじめさは幾幾夜か」

 いまはただ、
 子どもの手に倣えばいい。
 素直さは、借りてきて
 ちゃんと返せばそれでいい。
 それくらいの道徳心、
 まだのこってるあんたなら、
 今なれるバカ、さあ今から――


左の手が、彼に執拗に結論を迫ってくる。
わかっている、
わかっているけれども、
体が揺れている、?、揺すられている
――「ねえ!」
弟の左手が、つないだままの
彼の右手をぐいと下にひっぱる。

無数の濡れた足跡が彼らの目の前を
右に左に、忙しく通り過ぎていく。

見上げて誘う、弟の笑顔の足もと、
ちいさな水色の傘が指す場所に、
雨で描いた兄と弟、
仲良く笑顔で手をつないだつたない絵が
できあがっていた。

見知らぬ地下街の片隅に淀み、
彼がいつもの考えの落とし穴に
もがきながら、嫌々ながら
弟の母親を一緒に待っていたあいだに
弟は雨に濡れた傘のまるい筆先で
はかない水彩を描いていた。

ただにじんでぼやけていくだけの
色彩のないコンクリートのキャンバスに
彼は弟のメッセージを読みとる。

 考えるのはテ、感じるのが手、
 「名辞以前の手」、
 そんなこと、子どもっぽい詩人に
 言われなくても、弟はやれている。
 そんなちっぽけな手をとりもどそうと、
 命のぜんぶ、燃やした人が
 そうだ、ほんとうにいたんだよ。
 一度失ったもの、とりもどすって、
 それほどむずかしいことなんだ。


そんなちっぽけな事実が
とてつもなく近く、
とてつもなく尊いことに、
そしてなんだか誇らしく彼には思え、
今の自分と同じくらい
弟が大きくなったとき、
このことを忘れずに伝えようと
彼の右手のなかにある、
弟の湿った左手に誓った。



兄の内側でくすぶり続けていた
「腹違い」という言葉もまた、
彼の孤独を肯定するための
道具のひとつであった。

その手がその手をつなげば、
魔法でも奇跡でもなく、
ただのふたり、兄と弟になる。

弟のもっている手の尊さは、
一度失った兄にしかわからない。


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仲村 次朗

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