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自適の恋愛談 高校編

※「自適の恋愛談 小中編」https://note.com/jiteki_typology/n/n475f7dd27735の続きです。

そんなこんなで進学した高校ですが、地元から電車で1時間以上かかるところで、中学までの知り合いは一人もいませんでしたから、一から人間関係を作ることになります(それを望んでの選択でもありました)。そんなに明るい性格ではありませんでしたが、一応初めは積極的に近くの席の子に声をかけるよう努めました。その中で唯一自分よりも暗い…というと言葉が悪いですが、ちょっとオタクっぽいCと友達になりました。見た目に違わずオタクで、イラストがめちゃくちゃ上手な子でした。自らを「コミュ障」と言っていましたが、確かにもごもごしがちではあるものの、陰キャにありがちな「性格の悪さ」みたいなものは感じない素朴な良い子でした。そんなCに対して私は、またもやある意味「いい加減」に接していました。勘違いしないでほしいのが、これは「乱暴に扱った」ということではなく、むしろ「とても優しく」「紳士的に」扱ったのです。本来仲が良ければ、どちらかが常にもう一方をリードするということはなく、対等に本音をぶつけ合うでしょう。しかし私は、常に「建前的なやさしさ」を持って接していました。多分これが本当の意味での「雑な接し方」なのだと思います。なぜそんなことをするのかというと、やはりそれは私の「追ってくれる人への関心のなさ」にあると思います。欲しいものを追うばかりで、既に持っている財産に目を向けようとしない。欠けたところに目を向ける完璧主義者にありがちな、良くない傾向です。この温かいようで冷めた態度が、後々自分の首を絞めることになります。

また変わった点といえば、私はCの名前が呼べませんでした。小学校から中学までずっと一貫して、友達含め全員の名前を「名字+さん」で呼んでいたからです。Cに対しては、今さら名字で呼ぶのはよそよそしい、かといって下の名前で呼ぶのも気恥ずかしい。そんな状態で、一年以上は友人関係を続けていたと思います。今思えばよくそんなやつと一緒にいてくれたものだと感心します。

部活の方では、以前から目をつけていた演劇部に入りました。活動としては、日々の発声練習と定期的な発表会に向けた準備と練習です。それほど本格的ではなく、和気あいあいとした楽しい空間でした。そんな中に1人だけ中学演劇を経験していて、演劇用語に詳しく演技も上手な同期Dがいました。Dはとても明るく、中間子らしくしっかりした面と甘えん坊の面の両方を持つ子でした。冷めた感じの私とは正反対の盛り上げ役で、例の如く適当にあしらっているにも関わらず、いつも「コアラ」と言ってくっついてきていました。しかしそんな明るさの一方でかなりメンタルが脆い一面もあり、もう一人の仲の良い子と一緒に居過ぎると、「二人だけでずるい」と半ば嫉妬のような感情を抱いてしまうことがありました。ただ基本的にはその3人組で仲が良く、放課後一緒に遊んだりすることもしばしばでした。まめにメールや手紙もくれて、あからさまに「大好き」アピールしながら懐いてくるところが、中学時代のBを想起させ、受け身で愛される心地良さに浸っていました。そしていつだったか、長文のメールをもらいました。もうデータが消えてしまったので詳細は覚えていませんが、要は「大好き♡」といったことが書かれていたと思います。もちろん「友達として」ということだったのでしょうが、Dの日頃の振る舞いと「そういや小中時代もこんなようなことあったなぁ…」ということもあって、ちょっとしたラブレターのように感じていました。そんな「自適ラブ♡」だったDとは、あることをきっかけに関係が壊れ(というか私自ら壊し)、今ではもう連絡先もわかりません。このことについては、高校時代をテーマにした別の記事で供述しようと思います。今はまだ、書けません。

クラスのCに話を戻すと、二年生に進学する際私が文系を選択してクラスが変わっていました。その移動先の教室でもまま大変なことが起こっていた訳ですが(それも別の記事で追々話すとして)、Cとの”友人関係”は三年の半ばまで続きました。それが唐突に終わりを告げたのは、いつものように駅まで一緒に帰った日のことでした。改札前で少し立ち話をしていると、Cが何か言いたそうに口ごもりました。こういうことはままあったので、特段不思議にも思わず喋り出すのを待っていましたが、今回はそれが異様に長く15〜20分はその場に立ち尽くしていました。何をそんなに躊躇っているのか?いつになったら口を開いてくれるのか?と若干イライラしながら続きを促したところ、「好きです。付き合ってください。」という感じの言葉が聞こえました。何を言われたのか理解できず、咄嗟に「何が!?」と返して「え、何がって…」と逆に呆れたように言われてしまいました。あまりの衝撃で、正確には何と言われたのか、どのように返事をしたのか覚えていませんが、とりあえずその場ではYESともNOとも答えずに持ち越しました。Cはなぜそんなことをしたのだろう…と家に帰ってノートに書き出しながら一人冷静に考えてみました。Cはそれほど友人が多い方ではない。家と学校の往復という狭い世界の中で一番優しく接してくれたのが私だから、そうなってしまった、ならざるを得なかったのだろうと。こう頭では整理しながら、心は混乱していました。Cに描いてもらったイラストを見ると、吐き気がしてしまうくらいに。「今まで友達だと思っていたのは自分だけで、実はそんな目で見られていたのか…一体いつから?何をきっかけに?」と、友達だと思っていた人がそうでなかった事実にショックを受けていました。考えてみれば、あのような扱いはどうしても気を持たせてしまうと経験上わかっていたはずなので、完全に自業自得なのですが。そうやって色々悩みはしましたが、実際は最初から答えは決められていたようなものでした。その時のCは唯一の友人…というか常に一緒にいてくれる人だったので、まだ学校生活が残っている以上その子を失う訳にはいかなかったのです。多分当時はここまで打算的には考えてはいませんでしたが、やはり気まずくなるのを避けたかったのか、結局承諾しました。とは言っても、特段何が変わることもなく、普通に今までの関係を続けました。ただ形だけでも「付き合う」うちに、いつしか私もCに依存するようになりました。卒業後あまり会えなくなってしまうのを泣いて惜しむほどには。そんな感じだったので卒業後もちょくちょく会って、まあそれなりのことはしました。しかしそれも、大学という広い世界に出た私にとっては枷となったので、こちらから別れを告げて終わりました。

「この経験は黒歴史だったのか?」と聞かれると、まあ考えようによってはそうなるかもしれません。ただ、今までの経験を振り返るに、”関心の低い人への自分の「雑な態度」はメンタル弱めの人を(たとえ同性であっても)惹きつけてしまうところがある”ということを学ぶことができました。それがめちゃくちゃ嫌かといわれれば、元々人モテしない私にとっては「かっこいい」なんて言って好いてもらえるのはむしろ有難いことです。しかし、その好意の形はなんというか依存にも近く、私の手に負える代物ではありません。現に安易に引き受けた結果、最後まで面倒を見ることができませんでした。だからきっと、好意をのらりくらりとかわさずに真摯と受け止めるないしは素直に拒むことが大事なのでしょう。

ただ、自分のこの一面を抑え込むだけじゃなく、逆に好かれたい時には身構え過ぎずに「いい加減」にしてみるとか、何かしら活かす方法はあるはずです。この考えに至ったのは割と最近のことで、今もまだ上手に消化しきれてない感がありますが、思っていればそのうちそのような人間になるはずです。気長に待ってみることにします。

と良い感じで終わらせようとしましたが、ここからです、波乱の本番は。書くのに時間がかかりそうというか、書き終えられるかもわかりませんが…一応やってはみることにします。頑張れ。

〜大学編へ続く〜

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