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【フォト・ドキュメント】パンクムーブメントの軌跡【第10回】

ポジティブパンクの立役者としてシーンを牽引し、さらに演劇的表現をライブパフォーマンスに取り入れたことから〝ヴィジュアル系バンドの元祖〟と呼ばれているオートモッド。時代を先取りしたその活動の裏側では何があったのか?地引雄一氏がその真実を語る——

ヴィジュアル系のパイオニア
「AUTO-MOD」

シリーズライブ「時の葬列」のアルバム用写真(1984年)


白塗りでライブ


「オートモッドはとても思い出深いバンドなんだ。なぜなら僕が81年に立ち上げたインディーズレーベル『テレグラフ・レコード』の第1弾レコードがオートモッドのファーストシングルでもあるから」
 バンドのリーダーでフロントマンのジュネを中心に結成(80年)されたオートモッド。結成以前、ジュネはパンクムーブメントの一翼を担うワーストノイズ、マリア023などのバンドで活動していた。
「ジュネは70年末にパンクが入ってきたころ明大生だったんだけど、音楽よりも演劇に関心があってさ、元々はパフォーマンスで何かを表現したいという欲求が強かったんだ。でも、高円寺のロックカフェで音楽評論家の鳥井賀句に誘われてバンド(ワースト・ノイズ)を始めることになって。このバンドは長くは続かず脱退するんだけど、次は自分を中心とするマリア023を結成するんだ。最初は女性ベーシストと男女ユニットで始めたんだけど、途中からのちにじゃがたらのメンバーになるOTO(G)、TEIYU(Dr)が加入してさ、そこから本格的なパンクバンドになっていくんだよね」
 そして79年、インディーズレーベルの先駆けでもあるゴジラレコードからシングルを発売。このときジャケット写真をジュネから頼まれて撮影したことからジュネと地引氏の付き合いが始まる。 

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