【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】北海道夕張市の『北炭夕張新炭鉱』の忘れ去られた大事故跡
今から40余年前の1981年10月16日、北海道夕張市清水沢清陵町にある北炭夕張新炭鉱で日本中を震撼させる重大事故が発生した。
事故が起きたのは、海面下810メートルにある北第五盤下坑道の掘削作業現場。ここから大量のメタンガスが突出すると、その後、坑内火災が発生した。当時、火災の延焼による事業の損失を恐れた会社側は、坑内に取り残された炭鉱労働者を坑内に残したまま、水を注入して火災を鎮火させてしまった。
坑内に注入した水を排出して全員の遺体を収容することができたのは、翌年3月のことだ。
夕張新炭鉱は、国内有数の原料炭を深部採炭するために大型ビルド鉱として開発されたもので、日産5千トンの出炭を目標としていた。この事故は、昭和50年に営業出炭を始めてから6年後に起ききている。
93人におよぶ尊い命が奪われることになり、1963年11月に起きた三井鉱山三池三川鉱炭塵爆発、65年6月に起きた山野鉱業ガス爆発につぐ戦後三番目の惨事になっている。
現在、清陵町には、地下1000メートルの地底に向かうために炭鉱労働者が人車に乗って移動していた隧道跡や「北炭夕張新炭鉱(株)夕張新炭鉱」などといった文字が書かれた立て看板が残されている。
事故から長い年月が経ち、この事故を知る人たちは少なくなってしまった。隧道跡を撮影していると、花を手にした女性がやって来た。遺族にとって、悲しみがぬぐい去られることはない。心から冥福を祈りたい。