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女ひとり、性と死と生を巡る旅…花房観音『女の旅』第二章・広島のストリップ

旧赤線街、ストリップ、ラブホテル──日本全国の色街をひとり彷徨い、男と、セックスと、女の生き方を問う──花房観音著『女の旅』(大洋図書刊)より無料公開。

 旅に出たいと、いつも考えている。知らない風景を眺め、家の布団ではない寝床で横になり、誰も知らない、何者でもない自分の時間を過ごしたいと。
 旅に出るときはひとりがいい。ひとりになるために旅に出るのだから。
 そうやって旅に出ると、逃げている感覚がある。日常から、人から、自分自身の人生から─逃げることを常に考えている自分は逃亡者のようだと思う。生活や仕事に何か不満があるわけでもないけれど、それでも逃げたい。
 けれど結局、逃げ続けることはできなくて、帰る場所ありきの覚悟のない逃亡者だ。
 思えば、大学時代からバスガイド、添乗員、旅行会社と、常に旅の仕事に関わってきた。
 今だって、旅して、その場所を舞台に小説を書いている。逃亡の旅も、仕事という言い訳がつくと罪悪感も薄れる。
 そんな逃亡の旅について、書いていく。

人生は思い通りにならない。
けれど、それが不幸だとは限らない。


「自分の大切な人が、亡くなったらと考えると……」
 そう言って、少年は堪えきれなくなったのか俯いて嗚咽し始めた。
 もう十年以上前のことだ。私はバスガイドの仕事で小学生を連れて広島に来て、原爆詩の朗読を聴いていた。原爆詩の朗読は女優の吉永小百合がライフワークにしており、その日はボランティアで元アナウンサーだという女性が詩を読んだ。それまで元気ではしゃいでいた子どもたちが、神妙な面持ちになり、朗読のあとに「どうでした?」と感想を聞かれ、手を挙げて答えたひとりの少年が泣き出したのだ。すすりなく少年に、元アナウンサーの女性が近づき、そっと抱きしめた。彼女の目からも涙がこぼれていた。いつのまにか、その場にいる子どもたち、先生、私も、皆泣いていた。
 広島には、修学旅行の仕事で何度も来ている。広島の平和記念公園を訪れる度に、綺麗な場所だと思う。公園を子どもたちと歩き、原爆ドーム、資料館、原爆の子の像、慰霊碑などを見て周る。資料館では、原子力爆弾により壊滅した広島の被害を目の当たりにして、ずっと目を伏せている子や、そのあと一切の飲食ができなかった子などもいる。それぐらい刺激が強いけれども、これが「戦争」なのだ。悲惨で、救いがない、罪のない者たちの命が容赦なく失われてしまう、この世で最も残虐な「戦争」の記録が、広島にはある。
 慰霊碑に刻まれた、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉を見る度に、重く胸に響く。
 
 二〇一八年の四月、私は自分の誕生日の前日に、広島に来た。誕生日だからという理由をつけて、今まで足を踏み入れたことのない場所に行こうとしていた。何度も来ている広島で、初めて扉を開けたのは、ストリップ劇場だ。広島の歓楽街・には、中国地方で唯一残る「広島第一劇場」がある。この劇場は一度閉館して、土地の所有者との折衝で再び営業を始めたものの、時期は「未定」ということで、いつ閉館してもおかしくないという状況だ。
 生まれて初めて入ったストリップ劇場は、舞台が広く天井も高く、左右の壁が鏡張りの異世界空間で、初めて来たはずなのに「懐かしい」と身体が震えた。その日から、私は、ストリップにどっぷりとハマり、この劇場にも何度も訪れることになる。

広島第一劇場(筆者撮影)

 ストリップを見始めたきっかけは、踊り子・若林美保だった。芸歴二十年を迎えるという若林美保は、ストリップ以外にも、舞台、映画、AV等と様々な場所で活躍しており、二〇一七年の末に大阪で伝説のストリッパー・一条さゆりを演じた一人芝居を観に行った。その際に、「次はストリップに行きます」と言って、私の誕生日を理由に、彼女が出演する広島第一劇場に来た。
 いつも広島に来るときと同じように、平和記念公園を歩き、資料館や原爆の子の像に手を合わせたあとに、劇場に向かう。天井から吊るされた赤い布につつまれ、ゆらゆらと宙に舞う若林美保のしっかりと筋肉のついた肉体の美しさに、この世にこんな綺麗な空間があるのかと感動した。
 そして翌年の六月にも若林美保が出演する広島第一劇場に行った。アナウンスのあと、せり出した盆にスポットライトがあたる。ロック調の音楽に合わせ、セックスをする若林美保がいた。もちろん、そこには彼女しかいない、一人芝居だ。音楽が終わり、カットの掛け声と共に、彼女は立ち上がり盆を後にするが、その背中に覆いかぶさるように流れるのは、「女優になれなかったAV女優のはなし」という歌だ。ミュージシャン桜井明弘の歌を、若林美保がストリップでひとつの芝居として舞う。
 女優になりたい、いろんな映画祭にも呼ばれ、あわよくばハリウッドに……と夢を見ながら、裸になりセックスを生業として、やがてエロの世界で消費され、忘れ去られ消えゆく女を彼女は演じた。
 最初にこの演目を見たときから、泣けて泣けてしょうがなかった。嗚咽を堪えるのに必死だった。哀しみ、悦び、虚しさ、健気さ、愚かさ、儚さ、残酷さ……女の人生のすべてが、そこにあった。見る度に、胸が苦しくなる。正しさや善悪や常識、非常識、そんな世間の決めた物差しでは測れぬ、人生があった。夢見たような、自分の思い通りに生きられる人なんて、どれぐらいいるのだろうか。ほとんどの人間は、「こんなはずじゃなかった」と思いながらも、必死に生きている。ただ生きるだけでも、大変な世の中だ。傷ついたり、悲しいことのほうが多いから、すぐにくじけてしまいそうになる。けれど人は死なない限りは、生きていかねばならぬ。たとえ醜悪だと人に笑われようが、罵倒されようが、もがいて必死に生きている。
 若林美保は、ストリップ劇場のステージで、そんな「人生」を見事に演じた。「女優になれなかったAV女優」は、夢叶わず忘れられてしまう、スポットライトを浴びることができなかった「堕ちた」女のはずなのに、演じる若林美保の顔は、菩薩のごとく慈愛を湛えている。
 若林美保は東北大学工学部を卒業し仙台で働いたのちに東京に出てきて、SMモデル、ストリッパー、AV女優などを経て「マルチパフォーマー」として確固たる地位を築いた。主演映画『プレイルーム』は全国各地で公開された。彼女の仕事ぶりやインタビューを読むと、NGがないことに驚く。横浜の黄金町で働き、そこで売り上げた大金を失ってしまったことや、過激なAV出演も隠さず、アンダーグラウンドな仕事も続けている。
 彼女の肉体を生で見る度に、「人生」という言葉が思い浮かぶ。二十年間、裸やセックスの世界で生きてきて、様々な経験を経た女の強さが、彼女の身体から漂っている。
 若林美保自身は「女優になれなかったAV女優」ではない。彼女は裸の世界で、消費されることなく生き続けている。彼女は、服を脱いで裸になるだけではなく、自分の人生も何も纏わず曝け出している。そこにはもちろん悲壮感も気負ったものもなく、本当にただそのまま「これが私だ」と存在している。
 裸の、セックスの世界にいる女たちは、みんな男から搾取される気の毒な被害者だ! 悪い男たちに洗脳されている愚かな女だ! と決めつける人たちは、彼女の舞台を見て、どう思うだろうか。「女優になれなかったAV女優のはなし」を若林美保が演じているのを見ると、そんな女を可哀想だと決めつける者たちへのアンチテーゼでもあり、彼女自身の肉体で「セックス、裸の世界に生きる女たちは不幸なのか」という問いへの答えを体現しているように思えた。もちろん、それは私の勝手な解釈ではあるし、私がそう思いたいだけなのかもしれない。けれど「女優になれなかったAV女優のはなし」を演じる若林美保が、崇高で、美しく、多くの人たちに幸福を与えていることだけは、間違いない。人生は思い通りにならない。けれど、それが不幸だとは限らないと、彼女の肉体が教えてくれる。だから私は彼女の舞台を見る度に幸福の涙を流す。
 以前、ある世界的に活躍する芸術家からのメールの中で、印象に残った言葉がある。「こうして芸術や娯楽を披露できるのは、平和があってからこそです。だから私は平和を願います」と。
 それを肌で体感できるのが、この広島という街だ。平和を祈り続けている街、そして生きている悦びを味わえるストリップがある街。私にとっては、平和とストリップは全く矛盾せず、つながっている。

 平和を祈り続ける町・広島で舞う踊り子の裸は、すべての女たちに、「生きろ」と、強くエールを送っているようだった。
 何もかも曝け出して人生を語る女の裸は、泣いて笑って傷ついて傷つけて─それでも幸福になれるのだと、言葉ではなく肉体で教えてくれる。
 生きろ、生きてゆけ、と、身体で叫ぶ裸の女神に会うために、私はまた、広島に行く。

 天井に吊るされたミラーボールには、星の飾りがついている。
「エレガントでエキセントリックなステージをお楽しみください」という開場前のアナウンスが始まると、ミラーボールがくるくるまわる。
 広い場内の左右の壁は鏡張りで、ステージを映し出す。
 中国地方最後のストリップ劇場は、二〇二一年五月二〇日、五十年近い歴史を閉じた。

 私は久しぶりに京都から出て新幹線で広島に向かった。新型コロナウイルス感染症により、京都には緊急事態宣言が出ているし、迷いに迷ったけれど、これも私の仕事だからと行くのを決めた。かねてよりわかっていたことではあるが、広島第一劇場が閉館すると今年に入ってから正式に発表され、五月は閉館興行と銘打って、人気の踊り子たちが舞台に立つ。
 二〇一八年四月一一日、私が生まれて初めてストリップを見たのが、広島第一劇場だ。
 それから今にいたるまで、さまざまな劇場をめぐり、素晴らしい踊り子たちを知った。
 女性のストリップファンが、なぜストリップを見るのかという問いに、「女である自分を肯定できる」と答えるのを何度か目にしたが、それはすごくわかる。
 近年、フェミニズムやジェンダーの議論が沸き上がることが増えて、「女の生きづらさ」についても語られることが多くなった。女は、常に若さや美しさに価値を見出され、ジャッジされる。男たちは自分のことを棚にあげて、女の容姿や年齢をあげつらうことを、当たり前にする。なぜなのか。それは女は人ではなく「モノ」と扱われてきたからだ。性暴力やDVだって、女を対等な人間だと思っていないから起こることだ。もちろん、すべての男性が女性をそう扱うわけではないし、男性だって性暴力やDVの被害者になっているのは承知の上だが、男尊女卑社会の中で女性が被害者になりやすい。
 いいことも、たくさんあるのは、わかってる。女だから得することだって、ある。それでも「女って、しんどいな」と思うことは、今までの人生でたくさんあった。もう私は年を取って好きに生きているので、「女でよかった」と思えるようにはなったけれど、若い頃は女である自分を憎んでもいた。だから、女性たちがストリップで、何もかも曝け出し、自分の世界を表現する自由な姿に「女である自分を肯定される」と感じるのは、わかるのだ。
 ストリップは「女のハードボイルドだ」と、最初に広島で舞台を見たときに、思った。ステージにいるときは、ひとりで、戦っている。その強くて美しい姿に力をもらえる。
 ステージ鑑賞の休憩中に、「社長からの差し入れです」と、コンビニの肉まんや唐揚げ棒を従業員の人にもらったことが二度あるが、そんな体験をしたのも、広島だけだ。二〇二一年に公開された、広島第一劇場が舞台の映画『彼女は夢で踊る』は、広島第一劇場の社長をモデルにした主人公を加藤雅也が演じた作品で、大ヒットした。
 
 広島駅のコインロッカーに荷物を預け、路面電車に乗る。銀山町の停留所で降りて、時間に余裕があるときは川沿いの「ムッシムパネン」というケーキ屋に立ち寄っていた。踊り子さんのツイートで知った店だが、ケーキが絶品で、また塩チョコレートも美味しいので、差し入れにも使う。
 そして歓楽街、かつては遊郭もあった薬研堀に向かう。お好み焼き屋と風俗店が建ち並ぶ一角に、広島第一劇場があった。さすがにその日は閉館間際で、開場前だけど数十人並んでいて、私は最後尾に並ぶ。初めて入ったとき、客は数人だったのに。映画の効果と、閉館が報道されることにより、平日でも最近は満席立ち見なのだが、それならば普段から来ればいいのにと思う気持ちは抑えられない。閉館の報道や、SNSに「行ったことないけど、残念」「一度行きたかった」というコメントがついているのを見ると、「興味あるなら来ればよかったのに」と、思う。
 コロナ禍により、全国の劇場は瀕死の状態だ。「うち、あぶないです。本当に」と、SOSの声をあげ、クラウドファンディングをやったり、チャリティの劇場グッズを売っているところもある。
 広島の閉館に「残念」という声をあげる人たちが、まだ残っている劇場に来て欲しいとは思うけれど、コロナの感染者がまだまだ多い状況で、強くは言えないのがもどかしい。でも、このままでは、また劇場はなくなってしまう。ここのところは、そんな複雑な想いを抱えてはいるのだが、ステージは踊り子さんたちの想いが溢れる、素晴らしいものだった。
 その日のトリの水元ゆうなさんは、「広島第一劇場 ありがとう」と書かれた特攻服を身に着け登場するが、そこには様々なお客さんや踊り子さんたちのメッセージが書き込まれ、それだけで目頭が熱くなる。
 夕方に劇場を後にして、駅近くの宿に泊まった。夕食はやっぱりお好み焼きだ。

 翌日は、メンバーが変わる日、最終興行の初日だった。いつも広島は四人の踊り子さんなのだが、最終興行は六人、そしてラスト三日間は九人だ。ラストには来られないのが残念だったが、それでもこの目に焼き付けておきたかった。十一時開場、十二時開演だが、十時過ぎに行くと、やはり数十人並んでいる。時間になり、場内に入る。ストリップ劇場は、どこも感染対策はかなり慎重で、マスクを少しでも外したら注意も受けるし、声を出す応援も禁止になっている。ステージの下手には、いつもなら次回の踊り子の名前と写真が貼られているのだが、今日は「第一ファンの皆様、前を向いてください。ストリップは止まりません!」とあった。そして上手には、昨日、水元ゆうなさんが身に着けていた寄せ書きの特攻服が掲げてある。
 開演時間になると、やはり場内は満席だった。踊り子さんのステージの最中、私の斜め前の、サラリーマンらしきスーツ姿の人が、楽しそうに身体を揺らしているのが見えた。この場所を、心のよりどころにしていた人たちは、これからどうすればいいのだろう─そう考えると、胸が痛む。東京や大阪なら、複数劇場はあるけれど、広島第一劇場がなくなってしまえば、中国地方はゼロになる。四国だって、道後温泉、九州は小倉だけだ。お金も時間も体力も余裕がある人は遠征できるけれど、そんな人ばかりじゃない。踊り子さんも「広島に来たら、毎回来てくれるおじいちゃんがいて、『もう会えなくなる』って言われて、泣いてしまった」とつぶやいている人もいた。
 六人の踊り子を見届け、私は劇場を出て歩きなれた薬研堀を眺めながら駅に向かう。広島第一劇場は六月から取り壊しが始まり、跡地はホテルになると決まっていた。だから、本当に、これが最後だ。広島にまた来ることはあるのだろうか。劇場がなくなっても、広島は好きな町だから来ればいいのだが、劇場のない広島の町に来る自分が想像もつかなかった。
 ムッシムパネンは残念ながら、この二日間は休みだった。銀山町の停留所から路面電車に乗り、広島駅に戻る。お土産と、「むさし」のむすび弁当を買った。「むさし」は、修学旅行の仕事でも帰りの生徒のごはんに何度か手配したことがある。
 もう本当に最後なんだと考えながら、私は新幹線で京都に戻った。

 その後、広島には緊急事態宣言が発令された。
 劇場の閉館日は、開場前に百二十人が並んだと報道された。
 そして『彼女は夢で踊る』にも出演していた、矢沢ようこさんが最後に舞って、夢の世界は終わりを告げた。一日中雨の日だった。涙雨という言葉しか浮かばない。
 私は京都の自宅にいて、踊り子さんたちのツイートで、その様子を眺めていた。

 昔、私は「女の幸せ」は、結婚して子どもを産むことだと信じていた。それがどうしてもできない自分は女として間違っているとも思っていた。私だけではなく、そういう価値観の人は未だに少なくないであろう。
 私は三十九歳のときに結婚して、ほぼ同時期に小説家になったが、私の結婚に対して「女の幸せをつかんだね」と言ってくる人が少なからずいたのには驚いた。私にとっては、多くの人ができる「結婚」という制度よりも、小説家になれたほうがすごいことだったはずなのに、小説家になっておめでとうよりも、結婚して幸せつかんだねおめでとうという声のほうが多かった。
 小説家として生き残りたいから子どもは作らないと決めた私に、「作ったほうがいい」「子どもはいいよ、産むべきだ」と言ってきた人たちもいた。子どものいる人生よりも、仕事に集中する人生を選んだことに、その人たちは納得がいかないのだろうか。
 女の幸せ、いや、人の幸せはそれぞれで、他人が決めることではない。今は、幾つになっても、多くの男たちの欲望の対象として存在し続ける「女の幸せ」もあると知った。だからこそ、AV女優や、ストリッパーなどの、男に欲望の目を向けられる職業の女たちに焦がれる。年を取っても、そのステージから降りない彼女たちの生きざまこそが、真のフェミニズムであり、ハードボイルドだ。
 若い頃のように、男に助けてもらおうなんて夢は見ない。
 ひとりで地に足をつけて生きていく。
 長く生きているからこそ、笑いながら戦う術も、私たちは知っている。
 負った傷を見せぬように、肌を晒すことも。
 甘い夢などもう見られないからこそ、私たちは自由と幸福を手に入れられるのだ。
 それはストリップ劇場で、私が学んだ「女」のハードボイルドなのだ。

 たぶん、ほとんどの人たちには、ストリップ劇場という昭和の遺物がひとつ失われたことなんて、気にかけられもしない。
 居場所を失われた人たちのことも。
 だからあの場所を知る者は、忘れずに生きるしかないのだ。
 夢になってしまった、薬研堀のあの場所を、踊り子たちを。

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<著者プロフィール>
花房観音(はなぶさ・かんのん)
1971年兵庫県生まれ、京都府在住。2010年『花祀り』で第一回団鬼六賞大賞を受賞しデビュー。官能小説やホラー小説、エッセイほか執筆活動の傍ら京都観光のバスガイドを務めている。