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「ルフィ 光と闇」天星【ナックルズ文芸賞 受賞作品】

第1回(令和5年)ナックルズ文芸賞
『ナックルズスクープ賞』受賞作品

「ルフィ 闇と光」
天星(てんしょう)


 私は、今年の二月に大麻取締法違反で逮捕され、都内某警察署に拘留されることになった。年令は五十七才である。過去に五回の服役経験がある。大麻は初犯だが、十月程度の懲役刑が予想された。職業は解体屋である。
 私が逮捕された二月末から、東拘は移送される四月までの間、留置場で共に過ごしたルフィグループの実行犯の一人の話をしようと思う。

 私の留置番号は一番。三日間独房で過ごし、四日目に雑居房へ転房となった。
 お決まりの簡単な挨拶。中にいたのは三名。六十代前半が十八番。残りの二人は二十代前半。五番と六番。
 現在留置場では個人名は名乗らず、お互い「一番さん」「五番さん」と、番号で呼び合うようにルールが決められている。

 房長は、一番の古株である六十代の十八番。特殊詐欺の受け子。会社をリストラされ、金に困り、闇バイトを申し込んだという。
 仕事は本人曰く、IT関係。
「昔ホリエモンと仕事してたんですよぉ」
 二十代の五番と六番が、十八番に気づかれないように笑っている。嘘だと思っているのだろう。刑務所に五回も行くと、この手の話はどこにでもある。つっこんでも仕方がない。
 ただ仮に、ITバブル当時、ホリエモンと仕事をしていたと言うなら、現在リストラされ無職になり、闇バイトの受け子として逮捕されていることは、恥ではないのか。
 なぜ少しマウントを取った顔で言うのだろう。

 五番は二十五才。イレズミも無い普通の若者。仕事は設備屋。先輩がテレグラムで大麻の販売。その手伝いをしていた共犯として逮捕。

 六番は二十三才。こちらも見た目は普通。イレズミ無し。五番より若干オタクっぽい印象。私は最初罪名を「タタキ」と聞いて、コンビニ強盗やタクシー強盗を思い浮かべた。
 六番はプロにはとても見えない。
「彼、ルフィグループなんですよ」
 十八番がすこし得意げに言う。
「マジ?」
「はい、被害者が亡くなった事件じゃないですけど」
 と、六番が言う。暗さは全くない。

 去年の年末から、世間を騒がせた一連の強盗事件。主犯はフィリピンの収容所にいて、日本の闇サイトで集めた実行犯を操り、何件も強盗事件を起こした。被害者の一人が亡くなり、本気になった日本警察が、本来解析出来ないと言われたテレグラムを解析し、主犯グループの逮捕に至った。
 私の認識はこの程度である。
 六番の事件は被害金三千万円。被害者は全治二週間程度。死亡事件には関与してないとは言え、一連の連続強盗事件の実行犯として見られることは間違いない。

 その後闇バイトによる強盗事件は後を絶たない。犯罪抑止の為、量刑に「見せしめ」の意味合いが含まれることは、容易に想像ができる。
 六番は初犯ではなく、一年六月の執行猶予中であった。罪名はここでは伏せるが、大した事件ではない。

「どれくらい入ると思ってる?」
「十年くらいすかねー何年でも平気です」

 六番の答えはいつも明るい。
 私は過去に、プロのタタキの人達と未決で話したことがあった。総じてみなさん明るかった。職業としてタタキを選んだ覚悟を持っている。そんな印象を受けた記憶がある。
 六番の明るさは何かが違う。強がっているようにも見えない。私は六番のことをもっと知りたくなった。
 何年も前からネット上で、高額バイトなど怪しげなサイトは存在した。だがもう少しハードルが高かったはずだ。いつからリストラされたサラリーマンが簡単に受け子をしたり、若者が簡単にタタキをするようになったのか。これは東京だけの現象なのだろうか。

 闇サイトに登録するためには、身分証をサイトに送る。その時点で主犯グループが、海外にいようがどこにいようが、見えない鎖でつながれる。そしてテレグラムでメールのやり取り。決行日、集合場所、窃盗から詐欺の受け子、タタキまで様々な案件が、週に数回送られてくる。やるやらないは本人の自由。
 使い捨ての駒はいくらでもいる。

 六番の事件は、被害者宅最寄り駅が集合場所であった。
 人員は運転手含め五名。車は運転手が自分の名義で借りたレンタカー。ナンバーはそのまま。お互いをハンドルネームで呼び合う。寄せ集めの素人集団。
 六番曰く、不良っぽいのは一人もいない。
「自分と似たようなのばっかりです」
 と、笑いながら言う。

 全員車に乗り、一軒家である被害者宅近くに車を停め、二人が宅配便の制服を着て配達を装い、ドアが開いたら押し込む。続けて二人が入る。運転手は車で待機。家の中は四十代夫婦のみ。武器は使わず全員で暴行を加え、金を出させて縛って逃げる。
 はずであった。だが現実はちがった。

 先行の配達員に扮した二人が、ドアを開けさせ中に入るまでは良かった。次に二人が続けて入ろうとしたが、家の前の人通りが途切れず、タイミングが遅れた。中では配達員二人が予定通り、被害者に金を出せと殴りかかった。被害者男性は四十代。刃物も持たない二人に殴りかかられても当然暴れる。すぐ来るはずの二人が来ない。体格の良い被害者に二人は押され、家の中から逃げてきた。一旦車に戻ったが、指示役に電話でどなられ、全員でもう一度行けと言われた。
 指示に従い全員で家に戻った。鍵は開いていたが、奥さんが警察に電話しているところだった。電話を奪い取り、全員で暴行を加えた。警察がすぐに来ると思った。しかし後には引けない。全員無我夢中だった。現金のありかを聞き出し、カバンに詰めた。全力で乗り遅れ、三千万の現金のうち、一千万が道路にぶちまかれた。
 時間にして突入から四分間。実行犯は芋づる式に逮捕された。
 これが事件の概要である。まるで強盗コント。現実とは思えない。だが現実である。代償は大きい。

 私が転房してきて数日が経ち、六番は私に裁判や刑務所内部のことを質問してくるようになった。
 私は裁判の流れ、刑務所の中での生活などを時間をかけ、わかりやすく説明をした。そして一審が長引けば、二審で執行猶予を切れる可能性があることを教えた。
 私は刑務所という場所は、何年入ってもいいという場所ではないことを、六番に真剣に話をした。そして黙秘をやめ、罪を認め、反省文を書くことを勧めた。六番は私の話を聞いていたが、私には六番の心はわからなかった。

 六番は次の日から反省文を書き始めた。何度も何度も書き直し、数日経って私に見て欲しいと言ってきた。便箋で二十枚。
 私は検事につっこまれそうな場所は指摘した。だが一通り読んでみて、書いてあることに嘘はないと感じた。やはり嘘はわかる。

 六番の母親は、六番を中学生の時に産んだ。実の父親は記憶になく、家を出るまで父親は何人も変わった。幼い頃、母親がいない時に義父から何度も虐待された。母親には傷を見せないようにしていた。生活も貧しく、給食費も払えなかった。
 私は留置場での六番の生活を見て、少し変わったところがあると思っていた。だが反省文を読んでいくうちに、これは親がしつけをしてこなかったのだとわかった。子どもが子どもを育てたのだから無理はない。
 六番になぜグレなかったかと聞くと、周りに不良が一人もいなかったからと答えた。

 六番は物心ついた頃から、ずっと闇の中にいた。逮捕時は仕事はしていたが、手取りは二十万を大きく切っている。ギリギリの生活。光はない。闇サイトにたどりつくのは、必然だったのかもしれない。
 私は最初、六番をコンビニ強盗だと思った。言われてみれば最近、コンビニやタクシー強盗のニュースを聞かない。世を捨て、闇の中にいる若者達は、闇サイトに吸い込まれていく。まるでバーチャルゲームに参加しているような感覚。自分がマンガや映画の主人公になったような勘違い。だが逮捕されて夢がさめる。何年入ってもいいと思っていたが、目の前に現実としてのしかかる懲役は重い。

 六番は最初、出ても犯罪をすると言っていた。
 現在、彼をシャバで待っている人は一人もいない。母親とも縁は切られた。
 だれも責めることはできない。

 私は真面目にするなら面倒見るぞ、と笑いながら言った。真剣に言うのは照れくさかった。ここで何を言っても同じである。出所後本を送り、手紙をやりとりすることで、気持ちが通じればいいと思っていた。私は六番をどうこう言える立場にはない。大した人間ではない。ただ同じ釜の飯を食った仲間として、少しだけでも力になれればと思っただけである。このまま一人で務めに行くのは、いくら何でも悲しすぎる。

 事件が単純だったせいかはわからないが、私は早めに東拘に移送されることになった。メンバーは多少入れ変わっていた。私は一人ずつ握手をして別れを告げた。最後に六番と握手をして、がんばれよと顔を見た。六番の目には大粒の涙がたまっていた。
 私は六番の闇に光を見つけた。