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幸せな家庭の優しいパパはなぜ死刑囚になったのか|岩手母娘強盗殺人事件・若林一行

母娘を殺害したとして逮捕された若林一行は多額の借金を抱え、空き巣を繰り返した上での凶行だった。2007年4月の一審死刑判決は、盛岡地裁では実に42年ぶりだった。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。

パチスロ狂の空き巣常習犯

 岩手県の最北端、青森県と隣接する洋野町に住む会社員の上野紀子さん(52)と次女の友紀さん(24)が、忽然と姿を消したのは2006年7月19日夕刻。「連絡が取れない」と親戚の男性が22日久慈署に通報、1階和室で多量の血痕と血液を拭き取った跡が見つかった。近所では、数日前から不審な白い軽トラックが目撃されていた。
 事件性が高まり、新人記者とカメラマンで24日洋野町に入った。上野さん母娘が暮らすのどかな田園地帯は、報道陣でごった返していた。ナンバーから若林一行(29)が割り出され、午前9時には久慈署に任意同行されていた。そんなこととは露知らず、われわれはホヤと塩雲丹をあてに酒を呑んでいた。日が替わった午前2時近く逮捕の一報が入り、駆けつけた久慈署で朝を迎えることとなった。

「死体遺棄容疑で緊急逮捕した。盗みをほのめかしているが捜査中。上野さん宅の裏庭に下着を含めた衣類がかたまって落ちていたが捜査中。遺体に大きな外傷はない。服を着ていたかどうかはコメントを避けたい」
 午前8時から開かれた岩手県警の記者会見は歯切れの悪いものだった。わたしは若林の自宅がある青森県八戸市へ向かった。上野さん宅から約20キロ、坂の途中に建つこぢんまりとした借家には、花の鉢植えが所狭いまでに並べられていた。近所の主婦が言う。
「去年春に越してきたのですが、三輪車に乗った子供と遊ぶ姿をよく見かけました。スラーッとしたきれいな奥さんと花の手入れをしていましたね。でもこの1ヶ月くらいは昼間に見かけることが多く、軽トラックが停まっていました」
 若林一行は八戸市内の小中学校から県立高校に進学、卒業後は電気機械メーカーや自動車販売会社を転々としていた。事件1年前、塗装会社を辞め独立していた。

 被害者の上野紀子さんは数年前に夫と死別、結婚準備のため1ヶ月前から実家に戻った友紀さんと暮らしていた。若林との接点はない。正に「なんの落ち度もない」被害者なのである。2007年3月5日開かれた盛岡地裁の初公判で、検察側が明かした凶行は惨いものだった。社会部記者の話。
「2人暮らしを知った若林は日中に忍び込み、帰宅する母娘を待ち伏せ現金強奪と共に強姦を目論んでいた。帰宅した紀子さんの頭部を背後から木の棒で殴り、顔を見られたために首を両手で絞めた。その後に帰宅した友紀さんも同じ手口で殺害している」
 2人の遺体を約13キロ離れた山林に投げ捨てた。上野さん宅に戻った若林は、現金2万2千円の他に盗んだゲーム機やソフト、トイレットパーパー、ビニール傘など約80点(4万円相当)を軽トラックに積み逃走した。帰宅途中には八戸市内のパチスロで2時間遊び、ゲームソフトを換金している。家庭用品まで盗む理由はなんだったのか。先の社会部記者が解説する。
「2001年に年上の女性と結婚、2人の子供をもうけた。自動車の代金やパチスロ代で消費者金融から借りた金額が、06年7月には400万円まで膨れあがった。独立したものの受注が減り、06年の春から空き巣もやっていた」

いったんは自白し遺族への謝罪もしたが、
二審以降は「知人らのグループから犯人に仕立て上げられた」と無罪を主張した

 一審は起訴事実を争うことはなく死刑判決。若林も「死刑でも何でも受ける。死んでお詫びをしなければならない」と述べていた。しかしこれで終わらないのが若林一行という人間だった。司法担当記者が呆れて言う。
「控訴審で飛び出したのがキヨカワという産廃不法投棄グループの男。犯行はこのキヨカワが行い、自分にはアリバイがあると主張した。嘘の自白をした理由を『事実を話せば妻子に危害が及ぶ』からだと述べた」
 当然、キヨカワという男を特定できず、弁護側は「(キヨカワの証人尋問など)反対証拠を出せれば良いが、困難だと思う」と語るほど荒唐無稽なものだった。
 2012年1月16日、最高裁で死刑が確定した。前科前歴もなく、勤務先の評判も良かった。子煩悩で花を愛した男を豹変させたのは「カネ」だけだったのだろうか。

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小林俊之(こばやし・としゆき)
1953年、北海道生まれ。30歳を機に脱サラし、週刊誌記者となる。以降現在まで、殺人事件を中心に取材・執筆。帝銀事件・平沢貞通氏の再審請求活動に長年関わる。