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「あたしのために死になさい」その美貌で男を狂わせた魔性の女|福岡スナックママ連続保険金殺人事件・高橋裕子

1994年、再婚相手の夫を保険金目的で自殺と見せかけ殺害。2000年には、再々婚していた3人目の夫にも多額の保険金をかけてーー。事件が発覚したのは2004年のことだった。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。

自分で死ねないなら、殺す

 2004年7月23日の新聞各紙は、博多中州の元スナックママの恐喝事件を一斉に報じた。しかし、記事の意図するところは単なる不倫恐喝事件ではなかった。
「夫2人の変死に県警は重大関心」
「保険金約2億円を手にしていた」
 その半年前から「保険金目当てに旦那を殺したスナックママの噂ば聞かんね」、捜査員が中州で聞き込みを続けていた。西日本最大の歓楽街はその話題で持ちきり、いい酒の肴になっていた。スナックママが3度の結婚をして、保険金殺人を疑われている。まして美人とくれば、週刊誌の格好のネタである。
「疑惑の女・Tを追い詰めましょう」
 担当編集者の号令で記者3名、カメラマン2名の取材チームが福岡に入った。当時は個人情報保護法もなく取材先はすぐに判明、その多さから異例の大所帯になった。

 疑惑の女の名は高橋裕子(当時48)、無職で毎日パチンコ屋に通う生活を送っていた。わたしは彼女のヒストリーを担当、出身地の福岡県糟屋郡、嘗ては炭坑で栄えた志免町で聞き込みを開始した。実家は靴の販売で財をなした資産家だった。近所の住人が語った。
「両親は彼女を宝物のように可愛がりよった。小さいころからペコちゃんのように目がクリッとして、えらい別嬪さんでしたわ」
 裕子は福岡市内の中高一貫のミッションスクールを卒業後、東京の武蔵野音楽大学声楽科に進んだ。美貌にますます磨きが掛かった。
「20代の時に『きものの女王』というコンテストで特別賞を受け、あちこちから縁談話があったけど、もう結婚相手が決まっとった」

 その相手は、学生時代合コンで知り合った慶応ボーイのA氏。福島県郡山市の資産家の子息だった。79年に夫の地元で盛大な挙式を行うも、結婚生活は約6年で破綻する。福島に飛んだ記者が、Aさんから話を聞くことができた。
「芸能人になりたかった、というだけあって華やかでした。しかし、気が強く一言うと百返ってきた。ときには手も出ました。『親との同居はいや』『部屋が狭い。向きが悪い』と不満を言い6回も転居しました。リフォームで600万円も掛かったことがあります」
 2人は裕子の実家がある志免町に転居し家を新築、その設計施工したのが2人目の夫で94年10月に殺害された野本雄司さん(享年34)だった。1億円以上の負債を抱えた野本さんを裕子は叱責した。一審の検察冒頭陳述が明かした殺害動機は衝撃だった。

<裕子は、野本が死ねば1億円以上の保険金が入るためことあるごとに「逃げ回ってないで、早く死になさい」と激しくののしり、野本は2度自殺を図り、いずれも失敗した>

 自分では死ねないと思った裕子は、野本さんを包丁で刺殺した。これまでに自殺を図ったことや遺書と思われるメモがあったため自殺と判断され、裕子に1億6千万円の保険金が支払われた。自宅も処分し手元に残った1億2千万円を元に、裕子は中州にスナック・フリージアを開店した。
 美人ママのスナックとして評判になり、社用族で店は繁盛、そこに繁く通ったのが3人目の夫になる高橋隆之さん(享年54)だった。99年6月、隆之さんと結婚したものの借金返済に追われる生活に嫌気が差した裕子は、野本さんと同じように自殺を迫った。

<「前の夫が自殺したので、保険金でマンションを買った。あなたのせいでそれを売らなければいけなくなった」と責め続け顔を平手でたたいたり、物を投げたりした>

 精神が不安定になった隆之さんは「おれにできることは、もう保険金を残すことしかない」と自殺を承諾する。隆之さんは即効性の睡眠薬をウイスキーとビールで流し込み浴室に向かった。裕子は、寝入った隆之さんの両肩を押さえ湯船に沈めた。詐取した保険金2740万円は、クレジットカードの返済とインプラント治療に消えた。

男たちを、そして自らの人生をも狂わせた 。2011年に無期懲役が確定

 自らの美貌と性愛で数多の男たちを籠絡。挙げ句に寝た男たちの証言で逮捕された毒婦は、捜査員に心情を吐露した。
「大学を出るまでの24年間は『蝶よ花よ』ともてはやされ、本当に楽しかった。しかし、その後の24年間はガタガタでした」
 わたしは締め切りまでの3日間、宿酔の身体で中州を徘徊した。こんなことを思った。
「もし、あの美貌で誘われたら絶対いっちゃうよな」
 女の非道さより、酒と女に翻弄された男の性に悲哀を感じるのはわたしだけだろうか。

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小林俊之(こばやし・としゆき)
1953年、北海道生まれ。30歳を機に脱サラし、週刊誌記者となる。以降現在まで、殺人事件を中心に取材・執筆。帝銀事件・平沢貞通氏の再審請求活動に長年関わる。