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【フォト・ドキュメント】パンクムーブメントの軌跡【第4回】

東京ロッカーズというパンクムーブメントが生まれた背景には、あるひとつのバンドの存在が大きく関わっている。それは伝説的なライブハウス『S-KENスタジオ』の生みの親でもあり、日本のパンク史においても重要な存在だった。地引雄一氏がその歴史の真相を振り返る———

東京ロッカーズ回顧録【第4回】

S-KEN

東京ロッカーズの誕生に最も貢献したS-KEN(1978年9月)

伝説のライブハウス


「まず、勘違いしないように最初に言っておきたいのは、当時S―KEN(エスケン)という名前はバンド名であって、現在のように個人名ではなかったこと。東京ロッカーズ時代は本名の田中唯士と名乗っていたんだよ」
 2017年、それまで音楽プロデュース業をメインに活動してきたS―KENだが、70歳を機にオリジナルアルバムを発売、またその翌年には自伝本を執筆するなど、いまも現役で活動している。この名前を個人名としてスタートさせたのは、81年に日本コロムビアより、ソロメジャーデビューしたときからだった。
「自分からS―KENと名乗ったわけではなくて、周りの人たちが“おい、エスケン”みたいな感じであだ名として呼ぶようになったから、“だったらもうこの名前でいっちゃえ”みたいな感じだったらしいよ。生まれ持っての威勢の良い人柄でキャラも濃い人だからね、バンド名=個人名にすり替わったんだろうね(笑)。でも、そもそも田中さんは他のバンドの面々とは違ってかなり特異な経歴を持っているんだよ」

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