お互いに支え合う

友人の結婚式に参加した。挙式の間中ずっと涙が止まらなかった。あの涙は一体なんだったんだろうと不思議に思う。親心でもなく、失恋の時のような苦し涙でもなく。

彼女とはもう長い付き合いになる。まさか彼女が同年代の友人の中で1番先に結婚するなんて予想もしていなかった。それほど大人しくて、シャイな女の子だった。自分のことより他人のことを優先するような優しくて、不器用だけど見えない心配りができる子。普段の薄化粧で素朴な彼女を派手なドレスや化粧が華やかに飾り立てる。こんなに美人だったんだなとドキッとした。控えめな彼女の性格と華やかで美しい彼女の見た目とのギャップにさらに目を奪われる。

私は自己主張強めでわがまま、目立ちたがり屋で、周りからは気が利かない女だとよく言われる。自分でも家庭に入ることは向いていないだろうなと感じる。これまでの私の恋愛遍歴を見ても、自分とはどうしようもない人間なんだな、少なからず 多くの人から祝福されるような“まとも”な道は歩めないだろうなと思う。

結婚という普遍的な愛の形を私は恐らく選ぶことができない。いや、厳密に言えば結婚はできるかもしれない。でもわたしには相手を生涯支えていく責任や、家庭を守り抜く覚悟がない。
結婚=相手に支えてもらうことだと甘く考えているんだと思う。
結婚する、ということの重みを私はまだ背負いきれない。

彼女は高校を卒業してから就職し、現在社会人5年目になる。お相手も歳上の優しそうな方でお互いに自立したカップルだ。 羨ましい。純粋に。彼女を妻にできる旦那さんが羨ましい。そして互いに互いを支え合う覚悟をすることができた2人が羨ましい。そして心から尊敬する。

色々なカップルがいて、その間に様々なパワーバランスがある。尽くす側、尽くされる側、向ける愛が大きい方、小さい方、引っ張っていく人、従いついて行く人。
私は傷つきたくない。尽くすより尽くされたいし、尽くすことで飽きられたくない、相手の言うことに従った時点で負けだと思っている。だから私が従わせたい。
でもこんなにしょうもなくて、器の小さい自分が嫌いだ。人前では明るく豪快に振舞っているのに、心の狭さが尋常じゃない。だからこそ彼女の控えめなのに寛大なところと大きな愛に溢れるギャップに憧れる。

私は果たして彼女のような素晴らしい人間になれるのか。自分の良さを守りつつ、思いやりのある人になれるのか。
相手に見合った人になれるのか。常識が通じる控えめで上品な人になれるのか。
でも自分は本当にそうなりたいのか、、、

結婚って一体なんなんだろう。父が職を失ってお金がない時は悲惨だった。毎日お金のことで夫婦喧嘩するのを見ていた。お金さえあればたとえ浮気されたって夫婦がこんなにめちゃくちゃになることはないと教えられた。だからあんたはいい職について安定した収入を得る人と結婚しなさいよ。って。

今日挙式を挙げた私の友人はそんなくだらない損得勘定で結婚したわけじゃない。彼女自身が素晴らしい人間だから素晴らしい旦那様と出会え、結婚できた。

私は今のところ全然良いところがないから、たとえそんな私と結婚しても良いと言う人が現れたとしても気の毒でならない。私と結婚しても何も良いことないよ、だから私はやめといた方がいいよと言ってしまうだろう。

いつか自分に自信が持てるようになった時、結婚を考えてみよう。養われるのではなく、相手を養って行く覚悟ができた時に結婚しよう。

自立、そして自律。

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