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休日

食う食うの休日。休日ですとは何を以って休日なのでしょうか。いのちの休日は死ぬ時でしょうか。いったい何が休まっている?明日に控える大変なことを待っていることが、休日なのですか?なぜ世に送り出したのですか。自分が悪いと思う原因は生きていることではありませんか?負の連鎖を継続することが子孫の存続の喜びでしょうか。命はありがたがらなければ人にアラズなのでしょうか。どうして太るのでしょうか。なぜ美味しいのでしょうか。なぜ生きられない人のことを考えて死について話し出せなかったのでしょうか。なぜ生きたいと思わなければ不健康なのでしょうか?不気味でしょうか。永く生きることは、単純な善事ですか?絶対にこのようなことがあってはならないと思う。生を受けた、生きる義務が、社会適合が、放って置いても壊してくるから、放っておいたら生きているから、仕方なく自分の喜びや特技を一生懸命に探した。いまの執着は、全ていつか消失する。存在が他人に思い返されて、その時少し生き返るとしても、自分の執着は自分と一緒に死ぬ。消えなかったら、ちょっと普通にやばい。

「死者=祝福されし者」というヒエログリフのセンテンスの和訳の存在を知ってから、肉体死と意識の消滅が同期開催されるという事象に自信が持てなくなってきた。バァの考え方もあまりに短絡的であるように感じた。目印が無かったら、嘗て離れたくてもどうにも離れられなかった自分の肉体に帰ってくることができないとのこと。魂には臓器が無く、痛みも眼球も、ふれあいすらも制御されているが、思考活動は可能であるとのこと。なんと、そうすると脳はお飾りか・・

自分の考えていることなんて、何もかも人と離れてる気がするし、老化の備えが単純にめんどくさいし、言い切れないけれど執着は肉体とのコネクションありきだから、何もきにすることなんてないし、言いたいことは全然言えなくてムカつくよ。

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