青の彷徨  前編 12

 森山医院に着くと、森山先生は玄関で待っていた。早速居間に通される。
 「蒼井さん、中根君から電話もらってね、休業するって、咽喉癌らしい。胸から上もわかるのか、って言ったんだが、医大で見てもらった後で、間違いないらしい。大変だ。患者さんを何人も頼まれた。放射線専門は二人だけだし、あれの頼みは受けるしかない。それで、学術のほうが厄介だよ。今まで全く関知していなかったから。教えて下さい。蒼井さんに聞けば大丈夫としか言わないんだよ」
 周吾は、今まで中根先生が担当してきた、万丈医師会の学術担当の仕事について、過去の流れで説明した。年間十二回開催のテーマが偏らないようにすること、講演のメーカーを上手く利用すること、講演会に関わる費用は、講師への講演料とお土産代だが、講演料はメーカーに負担をしてもらい、お土産は医師会負担で決まった金額だ。毎回、竹やに万丈の海産物を中心に、いつもサービスして詰め合わせてもらっている。何度も万丈に講演に来た講師によると、このお土産が大変嬉しいのだそうだ。
 「それで、十二月までは中根先生がおやりになりますが、来年一月から、未決定です。講師の都合、医師会の都合、メーカーの都合がありますから、早めに決めていただく必要があります。中根先生とは、大日製薬に感染症をテーマにしてもらおうか、と話していたところです。感染症なら、全診療科が対象のテーマになりますし、新年最初の学術講演会にはふさわしいのではないかと、話あっていたところです。大日製薬には、講師の選定と講演内容、日程を調整するように話を進めています。今村さんがそろそろ返事を持ってこられる頃だと思います。今村さんには、中根先生から、森山先生に学術担当が代わったと連絡して、進行状況を問い合わせておきます。多分問題なく、医大の第三内科教授で感染症専門の、森岡六蔵先生が講師でみえられると思います」
 「そう。そこまで決まっていたの。今村さんなら、こっちもありがたい。日頃つき合いもない相手だったら、やりにくいしね」
 「問題は二月以降です。相手の都合がありますので、早め早めに取り掛かることが大事です。それに、メーカーを上手く使うことです。新製品を出したメーカーはどこも新製品に絡めて講演会をやりたいですから。予算もありますから、講師も遠くからでも連れて来ようとします。ただ、年十二回のテーマが重ならないように、全診療科がなるべく対象となるように、上手い具合にテーマとメーカーを選択する必要があります。最低二ヶ月前には決めて下さい。森山先生が年十二回の大きなテーマを決めていただければ、僕がメーカーの選定など考えてもいいです。最終決定はその試案を見て、先生がなさってください」 
 森山先生は大いに安心してくれた。安心したあと、中根先生の話題になった。息子が医大に入ったばかりだということ。飲む時の激しかったこと、同じ専門分野の医師として、仕事に関しては厳しかったことなど話になった。森山先生も中根先生も、高校の同級生だが、二人とも医者になっているのを、医者になってからお互い気がついたという。二人とも絵が得意で、もしかしたら、向うは絵描きになっているかも、とは思っていたが、まさかお互い医者になるとは思っても見なかったという。二人とも一年浪人をしたので、消息に疎かった。森山先生は医大を卒業後、地元の万丈北山病院に放射線科開設と同時に着任した。中根先生は大学卒業後、付属の病院にいたが、親が急逝したために後を継いだ。医師会行事で万丈北山病院に中根先生が行ったら、見知った男がいた。向うも、どこかで見た奴が来た。と思ったらしい。それから交際が復活した。
 その月の学術講演会が終り、周吾は中根先生といつものスナックへ行った。最後の乾杯である。それがわかっている。暗くならないように、涙を見せないように、気を張った。なじみのママと楽しい話になる。先生が笑う。周吾もつられて笑う。涙が走る。それほど面白いことではないが、笑いにまぎれて悲しみの涙が落ちる。ストレートのウイスキーを、いつもはグイグイやるのに、今日はすすまない。ママが、
 「先生どうしたの、今日は控えてるの」
 「そう、控えている。今日は帰って、女房と合体せんといかん。随分ご無沙汰で、毎日怒られている」
 「あほくさ。でも、それいいことよ。大事にしてあげないと」
 その日は結局一杯だけで、出た。
 「蒼井が一人で来ることもあるから、そのときは飲ませてくれ。釣りはいらん」
  そういって、いつもはツケなのに過分な支払いも済ませた。
 「じゃあ」
 という先生に、周吾は
 「門の前まで一緒に歩いていっていいですか」
 「遠回りになるが、構わんか」
 「時間はまだありますし、寮まで歩くつもりですから、途中です」
 「そうか」
 中根医院まで十分もかからない。
 「先生、どんな絵を描いているんですか。できあがったら、見せてください」
 「まだ出来上がらんが、できたら見てくれ。診察より腕はいいと思うが、どうかな。海の絵を描いている。ヨットにも乗れんが、永沢清蔵の家がある、あの奥に、親父の生家があって、あの家から見る海はきれいで、いつか描こうと、思っていた。まあ、できるといいが、いろいろ整理するのもあって、ゆっくり描く暇もあまりとれん」
 そんな話をして、門の前で別れた。周吾は、それから、冬の暗い空の下で、涙を流した。暗い道を選んで、寮まで三十分歩いた。
 もう飲めなくなっていた。あれほど好きだったウイスキーも飲めない。無理をして一杯だけ飲んだのだ。飲みたくなかったに違いない。周吾と、お別れをするために、乾杯をしたのだ。中根先生らしい優しさだ。抗癌剤は服用している筈だ。きつかったのではないか。今日は断るべきではなかったか。周吾は混乱した。自分は何をしているのだろう。
 会社に利益を持ち帰るだけ。お得意先にはどれだけ必要とされているのか。自分には何があるのか。給料と喪失感か。
 当然あるべき明日がなくなる。周吾にとって、仕事を超えた得意先がなくなる。まだ少し残りはあるものの、なくなっていくのは確実。失われていく繋がりを、なすすべもなく、見送る。
 「蒼井さん。あなた。うちを潰す気ですか」
 奥さんに、こう言われました。と中根先生に言ったら、
 「そうか。そりゃ悪い。非常に悪い思いをさせたな。すまん。許してくれ。蒼井が悪い事は全くない。蒼井がいなかったらうちは、とっくに潰れていただろう。飲んだら先がわからんのだから。今まで何回死んでいたか、わかったものじゃない。俺から女房には言っとくから、忘れてくれ。すまん」
 月末の回収時には、必ず奥様に会うが、その後は、ひどいことは言われなかった。言われなかったが、その言葉は、奥様を見かけるたびに、思い出していた。年末の休業日に向けて、
 「蒼井さん。あなた。うちを潰す気ですか」
 そう言い放たれた奥さんの声が、耳の奥に繰り返し、こだましていた。
 中根医院は患者さんに説明が終ったこともあって、表向きは十二月二四日の土曜日で診療を閉じた。次週もし患者が来れば、事務員、看護婦を待機させて説明することにした。周吾は十二月二六日の月曜日に、中根医院の薬品の整理をした。開封していない商品は返品し、棚卸をした。年末の資産表を作成する。京町薬品担当者がやってきたことだ。

 

 

 

 

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