青の彷徨  前編 15

 年末の慌しさが過ぎていく。天皇陛下重体報道によって、幾分控え目なような、そうでもないような忘年会がついに終った。周吾の担当する殆どの得意先は忘年会をする。それに隈なく誘いを受ける。しないのは中根医院。中根医院は、今年は、それどころじゃないから、どっちにしても関係ない。毎年恒例の行事を消化していかねばならない。
 西谷医院、西岡内科、森山医院、大川医院、大手門クリニックと、周吾も忘年会を消化してきた。この中で、企画、運営、司会までするところが西谷医院。京町薬品の担当事業になっている。西谷医院は、京町薬品万丈支店のほぼ全員が参加する。また西岡クリニックも、京町薬品の参加者を、周吾一人ではなくて、配送担当の佐野信哉と大田武志、それに前配送担当者として、久米一成も呼ばれる。毎年の恒例とはいえ、黙って飲んでいては済まない。盛り上げなければならない。西岡クリニックはまだ飲む余裕もあるが、西谷医院は司会もするし、座の進行にも気を使う。食べて飲んでいる暇はない。万丈支店全員何かやる。歌や踊りやマジックやら。五味支店長は皿回し。司会者は司会だけでは終れない。芸を何か披露しなければならない。周吾は着物を着て、着物の下は何も着ないで、誰かの歌に合わせて踊った。女踊りである。踊る間にちらちら白い尻が見える。寝転がると一物まで見えるかもしれない。これが受ける。最初の年にやってしまうと、次からは、「止めろ」、ではなく、「まだあ」なのだ。酒も飲まないで良くやるものだが、やらないことには進まないのだから、仕方ない。この程度のバカにはすぐなれる。
 森山医院は飲んで食べて、後は歌うだけ。ここは楽だった。何より森山先生の、「信濃川」は、演歌嫌いの周吾も聞き惚れるほどだ。ともあれ、終った。後は仕事納め、となって行く。
 黒田浩太は年末にかけて引越しをする。臼杵の実家に帰ることになった。ここ一月かけて、若夫婦が同居できるように改築したらしい。日曜託児所からやっと開放され、黒田浩太は臼杵から通勤する。交通費は全くでないらしい。個人の都合で実家に戻るのが理由だ。会社から一定距離の通勤は交通費が支給されるが、自宅から通勤する場合は対象にならない。バカな話だ。周吾はお役所みたいな判断が、さほど大きくもない民間企業にあるのに驚いた。黒田浩太は会社の被害者なのだ。黒田浩太夫婦が日曜ごとに託児所代わりをやって、東海病院との巨額の取引を継続させている事実を、全く認識していない。黒田浩太が託児所を止めたら取引が継続されただろうか。されたかも知れないが、次期院長の印象はよくなかったに違いない。親の健康問題が起きて同居しなければいけなくなりました。年内で引越しします。その説明に、次期院長は、そうか、大変だな、奥さんは気の毒だな、と言って、気遣ってくれたそうだ。
 塩見太郎には、来年一月八日に、万丈市内で結婚式をするから出席してくれ、と言われている。万丈支店営業は全員だ。新年早々だな。塩見にしては仕事が速いな。奥様任せだろう。お祝いとともにやじられる。 
 橋田祐太郎は、九月以降全くノッピからお誘いがないので、十二月になって聞いてみたそうだ。
 「最近はもう、新町には行かないのですか?」
 「新町ね、忘れていた。今は、もう新町はいいの」
 「都町ですか」
 「私って、毎日飲んでないといけないかしら」
 「いえ、すみません。そんな意味ではないですが」
 「いいの。祐太郎は子供さん大きくなった?」
 橋田祐太郎は、ノッピから自分の子供のことを聞かれるなんて、考えもしなかったので驚いた。
 「アオさん。ノッピおかしくないですか」
 「まともだろう。今の方が」
 「そうですが」
 「前の方がおかしかったんだよ。気にすることはないよ」
 周吾はノッピがもう岩下信枝ではなく、橘信枝であることも、遠からず岩下病院を辞めることも、院長が由布院の土地を買って一儲けしようとしていることも黙っていた。必要な時期には話をしなければならない。 
 仕事納めが終って、寮に帰ると、塩見太郎が部屋を片付けていた。
 「そうか、お前も引越しか。今日で寮も卒業か」
 「そうだよ。荷物もたいしてないし、蒲団と服を載せたら終りだ。蒼井、本いらないか」
 「何の本だ」
 塩見は雑誌と一冊の本を見せた。周吾は雑誌はいらない、と言ったが、本は前に、二人で食事に出た時、暇つぶしに寄った本屋で買った、「ビジネスマンの父より息子への三〇通の手紙」だった。
 「これ面白いぞ、俺の親父は漁師だったけど、俺が漁師やると言ったら、喜んだだろうな、って思うな。このまま会社員を続けるなら、息子にこんなことを言ってやれればいいな、と思うよ。ビジネス書というより、父親と息子の愛という感じの本だ」
 「そうか、じゃ貸してくれ。いま読む本を切らしていた」
 「いいよ。やるよ。どうせもう読まないし」
 塩見は社宅が満室なので、賃貸物件を借上げした。年内に新居に引越しを済ませるそうだ。愛子さんは今日まで仕事があるので、向うも同じように荷物をまとめている。明日は、向うに行って、荷物を運んで、必要なものを揃えることにしている。
 「楽しいお正月だな。まさに春本番だな、塩見家は」
 「そんな。いろいろ大変だぞ。家具なんて全くないし、家はあってもお湯も沸かない」
 「そんなのも楽しいだろ。愛ちゃんと一緒なんだから。ところで塩見、結婚式は一月八日だろ。会社の届けは住民票がいるだろ。借上げ社宅は妻帯者限定だろ。入籍はいつする?」
 「一月一日初詣に行く時に出す」
 「そうか。それはいいな。絶対忘れないぞ」
 「会社は一月になってから住民票を出していいらしい」
 「そうか。珍しく融通がきくな」
 「蒼井、寮もお前が一番古株になるぞ。誕生日の差で俺の方が上だったけど、もう三十に手が届きそうなのは他にいない。そろそろ決めたらどうか。毎週休みの日はいないだろう」
 「まあ、いつかは。縁があればそうなるかもしれないが、今はまだそんな問題じゃ全然ないよ」
 ノッピとは離れられない。毎週金、土、日は一緒だ。ノッピも土曜日の診察をやめてしまった。ノッピのマンションで巣篭もりをしたり、時には周吾のスカイラインで遠出をしたり、阿蘇にも泊まりかけで行ったし、福岡に買物に行った。国東には何度も出かけた。先ごろは阿修羅を見に奈良京都も行った。いつまでこんな夢みたいな生活ができるのだろうか。絶えず不安は抱いている。それでもノッピといると楽しいし、何もかも忘れて幸せにいられる。夢であっても、限りがあっても、今を大切に、ノッピを大切にしたい。周吾の全ては今ノッピしかなかった。
 正月休みは世の中に歓迎されている。周吾は嬉しくなかった。年末三十日は実家に帰る。
 翌大晦日の夕方には、友達と初日の出を見に行く、と言って、ノッピに会いに行く。元旦の午後ノッピは東京へ飛ぶ。埼玉の実家に行く。実家は父親が再婚して住んでいるので、一泊したら翌日、母のお墓に参って、大分に戻ってくる。飛行機も一日と二日は取れたそうだ。
 大晦日の夜から年明けを一緒に過ごし、午後にはノッピを空港まで送る。周吾は一日の夜に実家に戻り、二日の夕方空港に迎えに行く。三日は一日ノッピと過ごす。四日はノッピと朝万丈に出勤する。
 新年最初の仕事始めは、万丈明神社に支店全員揃って初詣に行く。面白い習慣がある。万丈明神社を出たところに万丈北山病院がある。毎年、最初の訪問は万丈北山病院になっていて、診療開始時間より少し早い時間に全員で訪問する。担当者は周吾だ。周吾は院内に入り受付で院長に連絡してもらう。そして薬局長、事務長にも出張ってもらう。手を開けられる病院関係者は病院前の玄関に揃う。京町薬品社員一同から年始の挨拶を受け、担当者周吾の発声による手打ちを行う。患者さんも病院に入ろうと、立止まって取巻く。
 「万丈北山病院様、ならびに患者様のご多幸とご繁栄を祈願して、お手を拝借致します」
 周吾は次に
 「うちましょ」
 すると、京町薬品社員と、万丈北山病院の参列者全員も一緒に手を三回たたく。周吾はまた、
 「もうひとつセ」
 すると、全員揃って、手をまた三回叩く。周吾はまた、
 「ようて三度」
 と言う。全員また三回手を叩く。
 これが新年恒例の手打ちである。最近は、病院の前でするのは止めてくれ、と言う得意先もある。万丈北山病院の院長は、患者さんの迷惑にならない伝統行事は残すべきだ、といって毎年わざわざ玄関まで、手の空いた職員を揃わせ、受けてくれる。
 その後、営業関係が二手に分かれて、市内郡部の全得意先を二日かけて訪問する。周吾は一課方面だから市内になる。矢田課長以下、野々下光、橋田祐太郎、大野達也だ。大野の運転で一台の車で、順次挨拶回りをして行く。
 昨夜ノッピにこの話をしたら、
 「見たことある。去年、祐太郎が、病院の受付の前でやっていた。面白いね」
 「あれを止めてくれ、って、言うところが増えている。もう時代には合わないような気もする」
 「そうね。患者さんも、毎月来る人とか、慢性期ならいいけど、急患で、お腹抱えて、まだ診てくれないのか、なんて待っている人もいるしね」
 「あれを最初に、北山病院でやる。院長が気にいって、事務や薬局など、手の空いた職員を玄関に並べる。そこで僕がやることになる。担当者責任」
 「アオ、凄い」
 「とんでもない。玄関前だから、中に入りたくて待っている患者さんもいっぱい待っていて、あれは一緒に手を叩いているだけの方がいいよ」
 「私も医大に籍がある時、一年ほど北山病院にいたことあるのよ。でも知らなかった」
 「そう、僕が万丈に来る前だね」
 「今年も岩下病院にも来るの」
 「岩下病院は一課だから、僕も行く。去年もいたよ」
 「そう。残念去年アオを良く見とけば良かった」
 「今年も橋田が、吉樹先生の許可が出ればすると思う。僕はただ手を叩くだけ」
 「アオも来るの。絶対出る。やってよ。面白いし。昔からやっていたのだから、続けるべき」
 万丈北山病院の後、挨拶回りに順次訪問して行く。岩下病院に来た。ノッピを見たい。朝まで一緒だったのにもう会いたい。笑顔が見たい。院内に入って、橋田祐太郎が受付に話をする。しばらくして、ノッピが出てきた。矢田課長、橋田祐太郎が挨拶。周吾も野々下も大野も挨拶をする。周吾は恥ずかしかったが、しないのもおかしい。周吾の眼を見てノッピは笑っている。
 院長が出てきた。橋田以下、また新年の挨拶をする。橋田祐太郎が手打ちの音頭をとって、手打ちが行われた。周吾はノッピの顔を見ていた。ノッピは周吾の顔を見て一緒に手を叩いた。笑った。ノッピは楽しそうだった。周吾も安堵した。ノッピはみんなが玄関から出て行くまで見ていてくれた。周吾はわざと最後に病院を出た。
 新年恒例の行事はまだ続く。西岡クリニックも手打ち。大川医院も手打ち。角石医院も手打ち。中根医院も毎年手打ちなのに、今年は開いていない。
 西谷医院は午前の最後に一課二課揃って訪問する。手打ちの後、応接間のある新宅に上がって食事を頂く。屠蘇付だ。運転手以外はご酒を頂く。院長は診察中なので挨拶だけ受けて出て行かれるが、あとは奥様のお話を聞く。
 周吾が担当だが、京町薬品の得意先の中で東海病院と双璧なのが西谷医院だ。取引は京町薬品だけ。完全独占先。支払いは翌月即金全額支払。分業で調剤薬局に処方箋を出しているが当然薬局も京町薬品独占。支払いは全額翌月即金。それに患者さんの数が多く、医薬品の販売額も医師一人で診療する規模では全京町薬品最大だ。周吾が担当する中では万丈北山病院に次ぐ大きい得意先である。取引額だけではない。西谷先生は紳士で、暇さえあれば医学の勉強ばかりする人で、周吾とも毎日長く話をする事もないが、奥様が代わりをなさる。全て牛耳られて、この奥様に逆らっては、どうにもならない。長村会長だって電話で呼びつけられる。藤村営業部長なんか、昔の担当者だから、いまだに頭が上がらず、担当者とまるで変らない。
 西谷医院の訪問は、朝、昼、夕、夜だった。周吾が前任者と引継いだ時までは、そうだった。周吾はそれを止めた。朝と夕だけにした。一日二回の訪問である。
「蒼井さん。今までの担当者は、うちには一日に四度見えられたのよ。あなたは二回しか見えられないけど、うちより大きい先がおありになるの」
 奥様の言葉だ。
 「いいえ。西谷先生以上に大きい先は、京町薬品全部探してもありません」
 「じゃ、うちに来ないで、何をなさっているの」
 周吾は説明した。前任者も同じ得意先だが、全部で実質十五軒あって、一得意先に一時間かけたら二日に一度も訪問できないこと。移動する時間もあるし診察の合間にする仕事だから、待合で潰す時間もある。それらを含めても一軒あたり一時間とるのは不可能であること。しかし西谷先生は京町薬品の中でも一番大きい得意先だから朝と夕方二回訪問している。朝は短くても一時間は奥様の話を聞くし、長いと二時間になるが、全く気にならない。夕方はなるべく、院内が手のすく時間を狙って訪問しているつもりだが、それでも、平均したら一時間はいる。夜訪問しないのは、卸の社員と言っても、世の中の動きを知らないことには仕事にならないし、何より医薬品や業界のことについて、勉強しなければ得意先の役に立てない。毎日勉強できるのでもないが、時間割りとして自分はそう考えて行動している。今までは、一日に四回訪問しなければお役に立てなかったのでしょうか。朝夕の二回以外に御用があれば言ってください。その時は必ず伺います。周吾はそう説明した。
 すると、奥様は、 
 「蒼井さんの言うとおりだわ。今でもあなたはうちに毎日三時間もいて、よそ様は行けているの。うちには二日に一度でもいいのよ。その分しっかり勉強して、役に立つ情報を持って来てほしいわ」
 そう言って理解してくれた。それだけではない。今まで、午前中二時間もかかっていた奥様との時間も、
 「蒼井さん、私とつまらない話をするより、よそ様へ寄ってあげて」
 と言って、せき立てられることもあった。それだけではない。京町薬品の本社に電話して、藤村営業部長に、
 「あなた、今度担当になった蒼井さんは凄いね。あなたたちとは出来が違うみたいよ。うちに今まで四回来ていたのを二回にしたから、私が聞いたら、勉強する時間が必要だって、それに、いま一人で十五軒も回っているの。今までの担当者は何をしていたのでしょうかね。うちに四時間もいたら、後はご飯食べて、支店長に叱られて終りじゃない。あなたは営業で一番偉いでしょ。今まで何を見ていたの。管理職としては失格ね」
 藤村部長がはっきりしないと、すぐ長村会長に電話する。本社も恐々とする奥様だが、これほどいい得意先もない。
 五味支店長なんかの人事評価より大変である。西谷医院の奥様は特別である。支店全員あげて忘年会には出るし、周吾が転勤して万丈に赴任した日に、支店をあげて歓迎会をもってくれたのは西谷医院だった。もちろん主役は奥様になるけど。
 新年仕事初めの昼食は、そういう深く長い流れがあって、西谷医院で御節料理を頂く風習があった。ご酒もたっぷり頂くから酩酊する者もでる。京町薬品の関連会社で、京町医療器などは、本社から部長やら前任者やら四、五名連れて来て合流し、出来上がるのも早い。他にも訪問する先があるから二時間以内に切上げるが、宴会の最後は定番の歌になる。「おふくろさん」を全員で合唱して終り。忘年会でも、何でも、西谷医院であれば、最後はこれ。昔からこれだ。こういう伝統行事は守るべきだ。変な習慣かも知れないが、悪い週間ではないし、他にないかけがえのない習慣だ。「おふくろさん」が最後に必ず歌われることで、京町薬品にとって西谷医院の奥様がどれだけの存在であったか、自ずと知れる。西谷医院には周吾専用の湯呑茶碗が用意されていた。休みの日以外は毎日二回、専用の湯呑茶碗でお茶を頂く。担当者が転勤して行くと、前任者の湯呑茶碗は割る。新任者には新しいのを用意する。転勤は出世であって戻ってはならない。こういう理由だそうだ。周吾の出入り口は、診療所玄関ではなく自宅になっていて、専用のスリッパが置かれていた。周吾に用がある時はスリッパを見る。スリッパ置き場になければ院内のどこかにいるはずで、スリッパがそこにあればまだ来てはいない証となる。これほどの関係がある。単に、得意先と卸の関係を通り越して、家族のような繋がりがあった。ありがたいことである。周吾はいつもそう思っていた。
 酒臭いまま、次から次へ訪問する。お屠蘇を振舞われるところもあるから、夕方会社に戻ると、もうすっかり酩酊しているのも出てくる。これが明日も続く。
 新年三日目の普通の仕事が終って金曜日の夜、周吾はノッピの部屋にいた。年初めの、行事の話や西谷医院の奥様の話をノッピにすると、ノッピは、
 「面白い。それって面白い。それで、毎日何の話をするの。私より長く一緒にいるじゃない」
 「それが、僕も良く覚えていない。聞いている時は耳に入れているけど、二三日したら、もうすっかり忘れている。一時間も二時間も長いように思うが、あっという間に過ぎる。だから多分面白い、何か役立つ話だと思うよ。ほとんど僕は聞いているだけ。蒼井さんはあまりお話にならないわね、だって。こっちがしゃべる暇がないくらい、相手はお話なさっているから」 
 「でもアオさ、覚えてないなら、役に立つこともないでしょ」
 「そうだよな、不思議な話だ。ほんとに。時には何かの理由で叱られる。僕のこともあるけど、ほとんど京町医療器のこと。医療器はクレーム製造会社になっている」
 「そう確かに、岩下病院でもそう。京町医療器は問題が多い」
 「ごめんね、迷惑かけて」
 「アオが謝る事ないのよ」
 「解っているけど、担当の内山はいい奴なんだ。担当者がかわいそうで、注文しても本社が忘れていたり、約束時間を連絡してなかったり。ほとんど本社の事務の問題で、大事な用は、内山に直接言ったら大丈夫」
 「そう、いいこと聞いたわ。薬はね、切れても代わりが多いからいいけど。医療器具はね。それがないと、もうどうにもならない。結局患者さんに待ってもらうしかない」
 「わざわざ別会社にすることないと思うけど、そうすると万丈の支店にも、医療機器の在庫置けるのに」
 「アオは、ご両親元気だった?」
 突然ノッピが話題を変えた。
 「ああ、とっても元気だった。大晦日に、友達と初日の出を見に行くと行って出たら、交通事故起こすなよ、って、それだけ」
 「それで、二日の日も帰らなかったでしょ。何か言われなかった?」
 「どこの友達かって」
 「どこの友達?」
 「ノッピとは言えないし」
 「どこの?」
 「会社の、にした」
 「そう、お母さんなんて言った?」
 「へえ、そうかえ、って」
 「ふん」
 「なにそれ?なんか意味あるの?」
 「お母さんはアオが、女の人と付合っているのを知っていると思う」
 「なぜ、なぜそれでわかる?」
 「勘よ、勘」
 「怖いね。ノッピはどうだった?お父さんは元気?」
 「元気だったよ。父はもう今年六五になるの。一昨年再婚してから、もう帰りにくい。今年は話しておかないといけない事もあったし、一度は、母のお墓にも行きたかったし。でももう気軽に行けないわ。同じ家でも、全く違う家だもの」
 「話は離婚のこと?」
 「そう、
 (離婚した・
 (そうか。で、子供は。
 (向うになった。
 (そうか。まあ、ゆっくり、次を、見つければいいよ。
だって」 
 「すごいお父さんだね。ノッピを良く知っている、と思う。娘を信じているから、これまでの時間も、苦しさも、推し量って、さりげなく答えている気がする」
 「わたしね。次、見つかった、って、言いたかったけど、我慢した」
 「次?」
 「そう、誰と思う」
 周吾はノッピを見つめた。何も言えない。
 「アオ、」
 ノッピも周吾を見つめている。
 「アオ、私の次はアオに決まっている」
 「僕でいいの?今のままでも僕は幸せだよ。あまりにも幸せ過ぎて当たりそうで怖い」
 周吾の顕在化した問題だった。永久にノッピを専有したい。将来の約束を確固としたい。それが出来るのだろうか。ノッピは医師で、究極の美人だ。いいのだろうか。いつまで夢を見ていれるのだろうか。
 「アオ、自信持って。アオが私を認めてくれたら、私、アオと結婚する」
 「僕は卸の社員だよ。ノッピはドクターだよ。違い過ぎる。いいのか」
 「アオ、私は今のままのアオで十分。アオのそばにいるだけで、すごくほっとする。これ以上の幸せってある?アオがどんな仕事しようと、アオはアオよ。私は、アオは絶対変らないと思う。たとえ髪の毛がなくなっても、お腹が出てこようと、アオは今のままでいてくれそうなの」
 「ノッピは僕にとって、終極なんだ。愛しいもの、美しいもの、かけがえのないもの。全ての終極で、仏閣建築の金閣寺みたいに、抜きん出た終極なんだ。出発点が僕である以上、終極は絶対に変らない」
 「ありがとう。アオがおじいさんになったら。多分父にそっくりになると思う」
 「お父さんに似ているの」
 「良く似ている」
 「びっくりした。外見?それとも性格?」
 「どっちも」
 「うそ」
 「ほんと。私父が大好きだったの。私が小学校卒業する前に母が死んで、中学校や高校などの入学式と卒業式とか、全部父親が出てくれたの。遠足のお弁当も、よく作ってくれた。親子二人だったし。普通女の子は思春期になると、父親を嫌うけど、私は嫌う余裕がなかった。父がかわいそうで。私に子供が生まれて、もう落ちついたから、いいと思ったのでしょ。自分も再婚すれば、私も安心すると、思ったんだわ」
 「優しいお父さんだ」
 「優しいの、アオみたい」
 「でも、そんなお父さんなら、僕みたいな男でいいのだろうか。こんなのに娘を任せられると、思ってくれるだろうか」
 「大丈夫。絶対に大丈夫。でもね。早く安心させたいし、自慢のアオを見せたいけど。離婚しました。次はこれ、って訳には行かないよね。ちょっとタイミングが必要よね。そう思ったのよ。アオにも確認とっていないし。アオに、嫌だ、って、言われたら、だめでしょ」
 「そんなことはない。ノッピの言うことなら、いつだって、はい」
 「それに、女は離婚してすぐ再婚できない」
 「半年だよね」
 「ジューンブライドは無理でもないけど、ちょっと慌てすぎみたいよね」
 「ノッピ、僕はノッピと一緒にこうしているだけで、本当に楽しい」
 「仕事だけど、岩下病院にこのまま行くのも変だし、離婚した時院長には、なるべく早く後任を探してくれ、って。頼んであるの。いつになるかわからないけど、医大から派遣してもらう予定だから三月いっぱいまで来てくれ、って。そのかわり、土曜、日曜は完全に休みにしてもらったわ」
 「そう。まだしばらく大変だね。でもノッピならやれるよ」
 「アオは、四月から転勤とかないの?」
 「わからない。どうも四月には合併しそうなんだ。発表はされてないけど、宮崎、鹿児島、熊本、もしかしたら沖縄とも。だから普段の年と違うから、予想できない」
 「普段の年なら、転勤はある?」
 「ないと思う。今三年目になるけど、成績はいい。今年は特によくて、普段だったら代わらない。伸びている時に担当を替える危険はしない。営業の転勤は、普通三年から五年で代わる。家庭の事情とかあって、上申すればわからないけど、個人の都合は聞き入れない」
 「じゃあ、アオは早くて来年ね。来年はどこに行きそう?」
 「全然わからない。どうして」
 「私どうしようか。どこに仕事を見つけようか」
 「ノッピなら、どこだって歓迎するよ。大分は?ここから通えるし、今まで通りでいいじゃない。」
 「そうね。とりあえず四月から、大分で働けるよう探すね。そして、六月以降なら結婚できるから、結婚してくれる?来年の三月までは、週末一緒の生活をして、アオは、取あえず今までどおり、寮のボス。でも帰れる時は必ずここに帰ってくる。これでどう」
 「了解」
 「もし、二年先、アオが転勤になったら、私ついて行くから、アオは行きたい所に行っていい。それに、アオのご両親、認めてくれるかな」
 「絶対大丈夫、びっくりするよ。飛び切りの美人で、お医者様で、その上、金の草鞋を履いて探せ、って、言われる二つじゃないけど一つ上の人。完璧すぎて寿命を縮めるかもね」
 明日は塩見太郎の結婚式という日の朝、テレビ番組が突然変った。天皇陛下崩御の緊急放送である。
 「アオ、大変だよ。天皇崩御。昭和が終った」
 「大変な時代だったから昭和は」
 「アオ、明日結婚式でしょ。予定通りできるかしら」
 「どうだろう。国民に自粛要請が出ているし、かわいそうだけど、明日は無理だろうな。夕方会社に電話を入れてみるよ。塩見も、あいつは本当タイミングが悪い男だ。かわいそうだけど塩見らしい」
 「塩見さん、私も見たことあるかしら」
 「あると思うよ。体が大きくて背は高い。がっしりしていて色黒で、顔は丸く、眼は大きくクルリとしている。酒は全く飲めない」
 「お酒飲めないの。かわいそうね。少し飲めたら、世の中面白くなるのに」
 塩見太郎の結婚式は、一月末に延期になった。かわいそうな二人だが、入籍も引越しも済んでいるし、予定通り新居から塩見は仕事に通ってきた。
 
 
 

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