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青の彷徨 後編 16

 周吾は夏の暑い陽射しが落ちてから、万丈の上流の実家に友香を連れて行く。夕方涼しくなって着いた。顔は承知している。一周忌でも会っている。友香は周吾の実家が初めてだった。夕食を食べながら会話をする。ノッピにそっくりなのにまだ驚いているようだ。友香の髪もだいぶ長くなってきた。話をすれば友香は友香で信枝さんではない。親も納得したようだ。日向に挨拶に行く予定など聞かれる。来週にでも行こうと考えている。友香の父親は電力会社の社員で、もう直ぐ定年を迎える。脳出血で倒れ入院した後遺症があって、左半身が不自由だと言う。年上の母は元気で自転車に乗って互助会の仕事を時々こなしている。一番上の兄は、苦学して東京で高校の先生になっている。奥さんは鹿児島の出身で、小学校の先生。次兄は日向の会社に勤めているが家を建てて父母とは別居。保育士の嫁さんのお尻にしかれている。友香は家族をそう説明してくれた。
 遅くなって大分に帰る。周吾の部屋に泊まる。翌朝友香を送って行き、周吾は散歩しながら妻の墓に詣でる。友香も知っている。夏の朝は清々しいが長くは続かない。友香は明後日が夜勤だ。周吾は明後日夜会議と宴会が予定されていた。通常の毎日になっている。日常だ。大きな変化もない。予定された範囲で完了している。
 翌週土曜日朝、友香を乗せて日向に向かう。昼前には日向に着いた。友香の父は髪の毛がほとんどなく、周吾の父も薄かったが更になかった。小柄で眉毛は荒く濃い九州男児の顔立ちだった。母は痩せていて、父の側に座っていた。父は、友香が小学校の頃、脳卒中で倒れ、長い入院生活を送ったが、左半身が不自由になった。立って歩けるが、健常人のようには行かない。会社では経理や人事の仕事を受け持っているらしい。手先が器用で片手でも人並み以上に働く。足さえ自由なら何も問題はないように思えた。
 周吾は、自分は一昨年結婚して一年も経たず妻を亡くし、妻の仕事仲間だった友香に支えられて立ち直ってきた。今二人ともお互い大事な人になっているし、来年三周忌が明けたら結婚したい。どうか認めてほしい、とお願いした。父は今年の秋の誕生日が来れば退職になるし、もう次の仕事をする気もない。友香は自分でやっているし、親は見守るしかできない。どうか支えて守ってやって欲しい。そう言って許してくれた。周吾と友香はその日に帰る予定だったが、明日も休みなら泊まって行け、そう言われて泊まることにした。昼食の鮨を食べ、五年前まで延岡から、門川町、日向市と担当していた話をした。日向の道も殆ど知っているし、山陰の診療所にも行ったことがある。坪谷川でも泳いだし、ひょっとこ踊りも見たことある。そんな話が出て、父が生まれたのは諸塚村で母も同じだ。場所が少し違うが同卿だ。発電所に勤めて上流から下流へ下って来た。定年近くとうとう海の側に住むことになった。山の中で生まれ、子供の頃は海を見たかったが、海の側で住むとは夢にも思わなかった。父はそう言った。母の手伝いで買物に車を出す。友香と母は夕食の献立を話しているようだった。周吾は歯ブラシと下着を買った。友香も衣類を買ったようだ。父の目的がわかった。一緒に飲みたかったのだ。焼酎をそのまま飲む。かなり好きなようだ。母から病気で倒れているから、といって小さいコップ一杯しか許されていないらしく、今日は特別、そういって二杯、三杯と飲んでいる。目を細めてご機嫌だ。周吾も楽しくなった。父は焼酎を三杯飲んで軽くご飯を食べ、九時を過ぎたら床に入った。周吾は風呂に入り居間で寛ぐ。友香も風呂から出てくる。二人は同じ部屋で寝ていいようだ。六畳の和室に蒲団が二組敷かれていた。居間でテレビをつけたままだと隣の父が寝るのに妨げになるかもしれない。二人は和室に移動していく。寝るにはまだ早いし、眠くもない。友香は散歩に行こうか、と言った。周吾も同意して団地の中を歩く。団地を出て塩見橋を渡り、川筋に流れる風に涼を取る。車が走って行く。友香は高校から今の家なので三年しか住んでない。兄たちはもういなかった。この橋を自転車で渡って学校に通ったのだ。友香は、
 「今日はありがとう。お父さんが気に入ったみたいで安心した。私はお父さん子だったから、嬉しかった。普通娘は母と仲良しなんだけど、私は逆だったの。母は一番上の兄ばかり贔屓にして、私には冷たかった」
 「そんなことないだろう。平等じゃないのか?」
 「いえ、平等じゃないの、いつも比較されて、ほんと厭で厭でしょうがなかった。父はあの手で、中学の時お弁当作ってくれたの、毎日」
 「片手でか?」
 「そう」
 「お母さんは?」
 「さあ?」
 親子関係も色々あるが、友香の場合も変っている。夫婦仲が悪いのでもないのに、おかしい、周吾はつぶやいた。でも結婚までまだ秋、冬、春を待たなければならない。今日の面談でその間気軽に帰れるようになった。もう友香も一人で帰る必要もない。便利になる。友香、少しだけど進んだよ。
 大分に戻り仕事について数日経った。今村裕史が会社で仕事をしていた周吾の隣にやって来た。話があるという。玄関脇ロビーの談話室に行き、コーヒーを飲みながら話を聞くことにした。
 「師匠決まりました」
 「結婚か?」
 「はいそうです。十月挙式です」
 周吾は祝福した。今村裕史は九月仮決算が終って十月最初なら、まだ融通も効くし、遅くなると年末で忙しくなる。年が明けると、業界再編が加速しそうで油断できない。それ以上結婚を先延ばししたくない。このタイミングしかない。そう考えたと言う。今村の実家は大阪だ、小野智美の実家は庄内だ。大阪で今村の身内だけと小野智美の家族だけで披露宴をする。庄内町で今村裕史の家族と小野智美の身内と地元の人だけで披露宴をする。友人は友人だけ集めて会食をする。面倒だけど、費用はかからず内実もあがるので、両家とも了解してもらった。十月十日に大阪、十月十二日に庄内町。その後新婚旅行にハワイに行って、師匠たちは十一月二日、三日でお願いします。場所はやはり由布院がいいですね。二人でそう決めました。まだ先の話ですが、こうなったのは、師匠の披露宴が始まりでしたから、一番に報告しました。必ず参加して下さい。周吾は躊躇なく快諾した。それで、師匠はどうなんですか?友香さんとはいつなんですか?
 「もう両方の親には了解してもらった。来年春、三周忌が終ってからだ。宗教に拘束されてはいないが、妻へ感謝しなければいけない。だから喪の期間だと思っている。そのわりにはもう同棲だけど、建前の上のけじめだ。おかしいか?」
 周吾はそう言った。
 「師匠らしくない感じですね。なんか歯切れが悪いみたいな」
 「そうだろうな。僕もノッピが怖いんだよ。ノッピは死んだのに自分だけさっさと再婚していいのかって、いつも気になる」
「師匠、そんなことはないです。ノッピさんは師匠が早く幸せになるよう望んでいるはずです。そんなことを考えてはいけません。もし、前みたいに落ち込んで食欲なくしたらどうするんですか。今度は友香さんが尼になるかも知れませんよ」
 弟子は怖くなった。周吾はそう思った。でもそうかも知れない。
夜、友香がいたので、昼間今村裕史とそんな話になった、と説明すると、
 「そうね、もし周吾がそうなったら、私ほんとに尼になろうかしら。だってもう救いようがないもの。私も後戻りできないわ」
 周吾は、
 「友香、大丈夫、友香を尼にさせない。ショートカットは似合うけど、髪の毛は残してほしい。お父さんもそう思うよ」
 友香は、実は東京の兄も父そっくりでもう毛が殆どない。次兄も薄くなっている。私が尼になったら、父が悲しむわ、そう言って笑った。
 八月最初の土曜日、周吾は友香と一緒に日向に行った。ひょっとこ踊りがあるのだ。どこかの団に入れば踊れるが、ただ見るだけでいい。
 「てんてこてん、てんてこてん、てんてこてんてこ、てんてこてん。てんてこてん、てんてこてん、てんてこてんてこ、てんてこてん」
 伸ばした片手を肘から手前上に曲げ、もう片手を伸ばす。これを左右繰返す。腰を屈め、腰を前に突き出す、引く。膝を曲げ、右足、左足と少しずつ進む。この動きをひたすら繰返す。おかしな踊りだ。
 人間の欲望も万物の流れで見たなら、ちっぽけな戯れに過ぎないかもしれない。人間は欲望を活力にすることで存在を示して来た。ひょっとこ踊りは、人間の欲望を滑稽にあらわすことで、罪を許し明日を掴もうとする踊りではないか。踊りの根源が人間の根源と同じであるから、友香は周吾のひょっとこが見たいと言ったのではないか。並んで笑いながら踊りが進んで行くのを見る。団は会社や町単位で構成されていて、優秀な団には表彰もある。
 周吾と友香が見ていると、ひょっこ面に赤い法被。白い褌姿の元気のよい老人が周吾に近づいてきて手を引っ張った。面をあげて見ると、滝山病院の滝山院長だった。周吾が日向を担当していた時、毎日顔を合わせていたのだ。忘れるはずはない。滝山先生は周吾と友香の手引き、一緒に踊ろう、と言う。そのままの格好でいい。有無も言わせず引き連れて、団の尻についた。
 「てんてこてん、てんてこてん、てんてこてんてこ、てんてこてん。てんてこてん、てんてこてん、てんてこてんてこ、てんてこてん」
 周吾はひょっとこ踊り。友香はおかめ踊り。二人顔を見合わせながら踊ってついて行く。団に飛び入りになった。結局最後の会場まで踊って行った。友香のおかめ踊りは上手だった。美人に似合わない滑稽な踊りだが、観客の注目を集めた。周吾も大胆なひょっとこだ。腰を動かすしぐさが観客に受けているのがわかった。こんな時は法被に褌の方が恥ずかしくない。そう思ったが、もう止めるわけには行かない。終着した時、友香も周吾も汗をかいていた。滝山先生に無沙汰を詫び、日向の友香と来春結婚する話をした。見知った病院の人たちから祝福された。病院は前あった場所から変って、大きく立て直した。スタッフも増えていた。友香と結局表彰まで見ることになった。優勝は、何と滝山病院だった。それも二年連続だと言う。周吾はびっくりして院長に握手した。院長は、
 「蒼井さんたち、熱々のカップルが生々しい踊りをみせてくれたからだよ」
 と講評した。周吾は頭をかいた。友香は顔を赤らめている。
思いもかけないひょっとこ踊り見物になってしまった。友香は満足したようだった。
 十月になった。九月仮決算が終った。周吾もいい成績ではなかった。糠に釘を打ち込む営業が続いている。分業の進展が見えない中、周吾は伊東新吾二部長に声をかけられた。
 「今井敏隆課長から昨年君の提言を聞いた。分業の推進だ。私もその通りだと思って、今井敏隆課長と二課の大口を優先して取組んで来た。君の担当で新井病院があるだろう。今の院長のお父さんが、今はもう診察はしていないが、まだ理事長職にいる。私が昔担当したことがあって、面談して分業を勧めた。来年の春から全面分業することに決まった。調剤は鹿賀健志と言って、鹿賀薬局を開いている。明野の小児科の調剤も受けている。彼は昔うちの社員だった。彼が会社を興して、新井病院の処方を受ける。先日彼と一緒に病院に挨拶に行って来た。うちが間違いなく増えるはずだ。鹿賀もわかっている。病院の前にちょうど土地もあった。初めてにしては上手く行った。今まで秘密裏に動いていたので、社内にも話はしていない。今初めて言うことだ。二部でシェアを伸ばすには、君の言う通り分業推進して受け皿を取るしかない。今度のことも、うちが勧めて新井病院は分業になったと、絶対口外してはいけない」
 「はい。わかっています。まだ始まったばかりですから」
 「そうだ、さすが、蒼井だ。真相を知っている。それで次の話がある」
 「部長なんでしょうか?」
 「これも口外しない前提で聞いて欲しい。全国的に合掌連衡の中にある。九州も五年前に比べ卸は半分になった。それでもまだ多い。うちも次を考えている」
 「北のグループとですか?」
 「そうだ、来年は無理としても、再来年には合併になるかもしれん。そこでその辺の頭の回る人材が欲しい。他社と太刀打ちできて、先が読める人間が数多くいる。営業のあり方、対メーカー政策、利益政策。営業がわかっていないと出来ない内勤業務になる。私は蒼井君なら申し分ないと思っている。営業企画へいってやってみる気はないか?今まだ二年というのも知っている。だが今の担当先は、悪いが、誰が行っても変らんだろう。君が行くところじゃないと、私は思っている。今返事をしなくてもいい。まあ考えてみてくれ。これは誰でもいい訳ではない。今までの推進や企画の仕事とはレベルも内容も違う。もしかしたら、福岡勤務になるかもしれん。口外しないように頼む」
 周吾は思いもかけないことを聞いた。新井病院分業より、自分の転勤話が、まだ下半期始まったばかりだと言う時期に出され、驚愕した。周吾は万丈の狸と呼ばれる五味支店長とは比べられないくらい、現二部長の伊東新吾部長を尊敬していた。人間性も常識も優れていた。社交ダンスが趣味でダンデイだった。一見近寄りがたい雰囲気はあるものの話をすれば上から目線は一切なく、人の話を良く聞いてくれた。雑談になると面白くはないが冗談もでる人だ。来年は転勤になるかも知れない。それも福岡かも知れない。キョーヤクの持場でないところに、今まで経験したことのない仕事をする可能性がある。今村裕史も転勤だろうし、梅ちゃんも、もうそろそろかもしれない。何か失くしていけば新しいものが生まれる。転んだ先のものを大事にしなければ幸せにはなれない。
 今村裕史の結婚披露宴も新婚旅行も消化され、友人だけを集めて会費制披露宴が由布院で行われた。周吾も友香も、北島潤一に宮沢麻美も呼ばれていた。高山隆介は、生まれた娘と新妻茉里と沖縄で暮らしているので声をかけず、今村裕史の友人で高月誠司が、小野智美の友人で吉田寿美が参加していた。あと周吾が馴染みのない顔がたくさんあった。全員で十八名参加していた。新郎新婦は新婚旅行や大阪と庄内で行われた披露宴の模様をビデオで編集し見せてくれた。その都度、遠慮のない友人に冷やかされたが、楽しい時間だった。

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