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半世紀過ぎて 本匠振興組 !?

 私の主治医であるS氏から、めったに使用することもない固定電話にかかってきた電話から話は展開する。固定電話が鳴るときは広告がらみのFAXか、あるいは光回線ご案内か、私の全く関知したくない事柄なので、固定電話が鳴ってもすぐに応答せずにしばらく待っていることにしている。であるから、S氏には失礼な応対をしてしまった。
 話の前にS氏は開業医で、私は開業以来生活習慣病で通院している。S氏の父親には随分お世話になった。なりっぱなしであった。S氏の祖父は男四人兄弟の長男。次男が私の祖父。その下に三男、四男。
 染矢氏という人がY内科クリニックに電話をしてきて、S先生は柳井聖という柔道家を知っているか、と尋ねてきた。自分の祖父の弟(四男)であることは承知しているが詳細は知らないので、自分より詳しいであろう私を紹介したところ、彼は高校の同級生だというので、それなら電話番号を知らせてもいいか、とう承諾を得る電話だった。
 S氏から私の固定電話番号を聞いた染矢氏は、我が家の固定電話に電話をかけてきた。その時はもう染矢氏からだと思っていたので、失礼な応対はしなかった。
 S氏から染矢氏のことを伝えられた時、染矢氏?だった。その後高校の名簿(昔は個人状情報問題がなった)を開いた瞬間記憶がよみがえったのだ。彼はまさしく同級生で、同じ柔道部、なお同じ村の出身だった。往復40kmはあったと思うが、自転車通学をしていた。私は彼の家よりさらに山奥だったので下宿しており、そんな苦難はしたことがない。
 電話での話は長くなった。彼は今、地元佐伯の歴史を調べ記録として残す活動をしているという。本匠振興組なるチームを立ち上げSNSで情報開示をしている。その一事案件として、柔道家で活躍した柳井聖について調べるうち、同級生である私の所にたどり着いたのである。高校卒業以来、今年お互い七十を迎える年になるから半世紀過ぎて、ということになった。その本匠振興組のメンバーは、なんと同窓会のようなもの。柴田氏など名前をみてすぐに思い出したものだ。
 私は高校生のころ、柔道部に所属していたが、友達に誘われ文芸部にも名前だけ所属し、さらにインターアクトクラブ、時々練習だけラグビー部にも。そして郷土史研究会なる部を立ち上げ初代の会長までやったことがある。その時の活動は佐伯城の模型を作って文化会に展示しただけで終わったが、その後、会がどうなったか。
 今になって旧友が地域の歴史を調べ、史跡を探検しSNS上で発信していることは、大変すばらしいことである。是非是非、今後も励んで頂きたい。
 本匠振興組、と検索すれば必ず見られます。佐伯に関係ある方、興味のある方、どうかアクセスしてみて下さい。

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