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豊穣の国 八

 佐伯に戻って城下町を車で案内し駅に車を戻して、電車に乗った。夕方日が落ちる頃、日向市の駅に着く。歩いて十分ほどのホテルにチェックインし風呂で汗を流した。ホテル一階で食事をして外にでる。もう金の音が聞こえていた。金の鳴る方に進む。ひょっとこ面を被り、赤い浴衣に白い褌、白足袋姿の男衆。女はおかめの面を被り浴衣に白足袋姿。白い法被に赤い褌だけという一団もある。面はつけず素顔のままの集団もいる。それぞれ思い思いのいでたちで集団を組んでいる。この集団が順次繰出して行くのだ。
 ひょっとこ踊りが始まった。一斉に進行方向に向かって繰出して行く。ひょっとこの腰の振り方が面白くて、あちらこちらで笑い声が起きる。単純な踊りだが、個性があって一つとして同じ踊りはない。見ているほうが赤面しそうな踊りもある。志野も顔を覆って笑っている。踊る集団ごとに意向があって、それぞれ団での優勝を目指している。表彰のために審査員がいる。順番に集団が踊って去っていく。集団ごとに違う面白さがあり、特別注目に値する踊りを見せる人が、男にも、女にもいる。こういう人を見るのがまた楽しい。団の中に少なくとも一人はいる。そんなに腰を使うと、後で使いもんにならんで、などと、野次まで飛ぶ。踊る方が恥ずかしいのか。見ている方が恥ずかしいのか。金の音の続くまで腰は振られ、金が止まると腰も止まる。金の止むタイミングに遅れて、腰がまだ振られているのもいて、また笑いを誘う。この何百人という異常な姿をした集団が、おかしな踊りを一斉にする様は、圧巻だ。何もかも忘れて、恥も捨てて、心の中から大笑いを楽しむ。
 人間の欲望を宇宙的な意志の下に見たなら、ちっぽけな戯れに過ぎないかもしれない。人間は欲望を活力にすることで宇宙的な空間に生存して来た。ひょっとこ踊りは、人間の欲望を滑稽にあらわすことで、罪を許し明日を掴もうとする踊りではないか。踊りの根源にそのことを感じたから、志野はどうしても、ひょっとこ踊りが見たいと言ったのだ。私はそう思って志野を見た。
 志野は輝くような笑顔になっている。立ち疲れはしていないか、聞いてみたが、元気そのものだ。休憩を挟んで後半も最後まで見て、結局表彰式の会場まで行って、どこが優勝なのか、個人賞はあるのか。野次馬根性で最後まで確認してホテルに戻った。
志野は部屋に戻ると、おかめ踊りを始めた。牧村はひょっとこ踊りをする。二人で踊る。
 「てんてこてん、てんてこてん、てんてこてんてこ、てんてこてん。てんてこてん、てんてこてん、てんてこてんてこ、てんてこてん」
 牧村も志野も、罪を許し明日を掴もうとしているのだ。大きな転機のひょっとこ踊りだった。
 しばらく踊って、顔を見合わせて笑った。かなり体力のいる踊りなのだ。若くないと、あれだけ長くは踊れない。志野は
 「ああなんて楽しいのでしょう。私こんなに体を動かして、汗をかいて、大笑いをしたの、生まれて初めてかも知れない」
 「面白かったですね。大笑いをしました。踊る方が恥ずかしいのか、見ている方が恥ずかしいのか、その内わからなくなって、もう何も考えないことだと思って、ほんとうに無心で楽しみました。志野さんも楽しんでもらって嬉しいです」
 「折角さっきお風呂に入ったのに、これだともう一度入らないと寝られないわね」
 志野はそう言って、風呂のお湯を入れに行った。
 志野は戻って来ると、
 「もう少ししたら入れますから、信孝さんが先に入って」
 と言った。牧村は頷いて、下着と寝巻きの浴衣を持って風呂へ向かった。シャワーで汗を流し、石鹸で頭から足まで洗う。顔も洗う。全身洗って湯船の中につかる。写真は一杯撮ったが絵を描こうという気持ちが起こらなかったのはなぜだろう。そんなこと考えながら出た。志野は、
 「あら、お早いこと。もうお済みでしたか」
 「ええ二度目ですし、寒くはありませんから。汗を流せればいいですから」
 志野は失礼します。と行って風呂に行った。
 牧村は缶ビールを持って来て飲み始めた。火照った体に冷たいビールは上手かった。ビールを飲んで、ウイスキーを開け水割りを作って飲み始めたら志野が出てきた。浴衣に着替えていた。
 「あらいいですねえ、私もいただこうかな」
 そういってビールを持ってきた。ソファはテーブルの前に一つしかなかったので、私の隣に並んで座った。二人は乾杯をした。志野はビールをぐいぐい飲んで、
 「美味しい」
 と言った。牧村は隣の志野に肉欲を感じていた。今まで考えもしなかったことだ。志野は同年齢と言うには若すぎた。まだ五十代前半と言ってもおかしくはない。肌にもまだ張りが見えたし、うなじは白く美しかった。志野の女のいい匂いがした。
  日向市内の夜景を眺めながら、昨日から今日までの旅を語り合った。志野は海に感激したと言う。
 「私は、志野さんがすっかり元気になって、随分若くなったように思います。初めて会った時に比べ、本当に変られました。今の志野さんが本当の志野さんですね」
 「私嬉しいのです。毎日こんなに楽しいなんて、嬉しくて、嬉しくて。明日が待ち遠しくて。娘に戻ったような気分で、おかしいでしょう」
 「そんなことはありませんよ。あなたはきれいになりました。生き生きして、水々しくて。そしてこんなにかわいい人だなんて、初めて気づきました。本当にかわいい人です」
 「前までの私は幽霊みたいだったでしょ。私もそう思うの。でも信孝さんとお知り合いになれて、本当に救われたのです」
 「私は志野さんが変って行くのを見て、自分がいつまでも昔を引きずっていると思っていました。でもいまは志野さんが私を変えてくれたと思っています。志野さんのお陰で、私は生き直すことが出来そうです。私は志野さんなくしては明日がないように思います」
 「そんな大げさな。でも嬉しいです。私信孝さんの妻ですから。何かのお役に立てるなら嬉しいです」
 「志野さん、あなたが私の妻と言うのは旅の間の方便じゃないですか。私はもう、方便であって欲しくないと思っています」
 「構わないです。私、方便じゃなくて構いません。最初にお会いした時から、ご一緒に時間が送れたらいいのにと思っていました。それに信孝ってお名前は、私の許婚だった人の名前なのです。ですからそれを知った時は驚きました。何かご縁があるのだと、思いました。娘の頃は、信孝、志野って何度書いて見たことでしょう。その夢は破られましたが、今になってこうなるとは、捨てる神あれば拾う神あるのか。そう思います。それから妻にしてもらおうと思いました」
 「志野さん」
 牧村は志野を見つめた。志野も牧村を見つめている。牧村は志野を抱き寄せ口付けをした。
 「志野さん。今日から方便じゃなくて本当の夫婦でいいですか」
 「はい」
 志野の体は若かった。十歳程は、わかくみえた。肌もまだ張りがあり、しわもなかった。胸の弾力も外見以上に強かった。牧村は興奮していた。もう十五年以上セックスをしていない。死んだ妻とは四十過ぎからセックスレスになっていた。自分自身が機能しない、のではなく、妻が嫌がった。そんな妻に嫌な思いをさせたくなかった。自分の機能が高ぶると自分で済ませる習慣になっていた。だがこの年になって、こういう機会にめぐり合えるとは考えもしなかった。死んだ妻のことばかり思う毎日を送っていたのだから。
 牧村は志野を優しく愛撫した。彼女は夫に強姦されて許婚と別れなければならなかった。その志野が、いくら名前が同じであると言え、数日の付き合いで体を許す決断をしたのは、牧村が暴力を振るう人間ではないと思ってくれたからだ。それだけではない。牧村との結合によって、忌々しい過去を完全に清算したかったに違いない。志野の気持ちを大事にしなければいけない。うなじは白くきれいだ。胸も張りがある。弾力が手の中で踊っている。お腹もすっきりし腰もくびれている。牧村は志野の全身を、手を、口を使って愛撫した。そして志野の秘部を、舌を使って愛撫した。志野は悶え、声を絞って歓声を上げた。牧村は志野が愛撫だけで達するのを待った。優しく。時にゆっくり。時に早く愛撫を繰り返した。志野は達した。牧村はもう一度ゆっくり志野をいかせた。そしてゆっくり結合した。年齢には思えない滔々とした潤いがあった。牧村は、意志はあって形はあるが、強さも硬さも昔ほどない。それでもそれなりに形をして機能していた。志野は涙を流していた。悲しい涙ではないと思っていた。牧村は機能を損なわないよう冷静になるべく長く結合していたいと思っていた。志野はもう三度目を迎えようとしていた。牧村は少し早く律動し、志野をいかせた。一旦離れて、後背位で再び結合した。志野はもう直ぐにでもいきそうだった。ゆっくり律動した。深く長く。SLだってまだ走れる。優しく長く。また一旦離れて、正上位になって三度結合した。  
 「志野、今度は一緒にいこう」
 志野の悶えと喘ぎ声に耳を傾け一緒に頂点を目指した。律動を早く、だんだん早く。ゆっくり、また早く。志野は、ついに大きい声をあげた。二人は頂点に達した。
 二人とも動悸を抑えて、放心したまま、隣同士で手を握ったまま天井を向いていた。やがて志野は体に毛布を引いてかけ、牧村に毛布を回した。それだけの体力が一杯だった。牧村は志野にしっかり毛布をかけ、自分もその中に入った。志野は牧村の胸に顔をつけて、泣いていた。
 「良かった。私もびっくりしている。もう一度こうしていられるなんて夢のようだ」
 「信孝さん」
 志野はそう言った。が後の言葉はない。
 「違うの。私嬉しくて。私にもこんな幸せが来るなんて。本当に嬉しくて」
 牧村は志野が悲しくて泣いているのではないと思っていたが、その言葉を聴いて安心した。横向きになって、そっと志野の髪を撫で、腕を回して抱き寄せた。志野は牧村に手を回して、胸に顔を埋めたまま、泣いている。牧村は背中をそっと撫でた。いくら志野が実年齢よりわかい、といっても、六五になった者同士でセックスできるなんて、牧村は不思議に思った。
 翌朝、牧村と志野は抱き合ったまま一緒に目を覚ました。夜の間、牧村は一度トイレに行った。昨夜寝る前にビールを飲んだからだ。志野は一度も起きなかったように思う。朝になったらまた二人抱き合っていたのだ。旅による疲れ。セックスによる疲れ。それらが程よい熟睡をもたらしてくれた。
 起きると志野は、牧村の着替える服を手渡してくれたり、歯ブラシに歯磨き粉をつけてくれたり、コップに水を入れてくれたり。自分で出来るよ、と言うと、
 「私はもう信孝さんの本物の妻です。こういうのしてあげたくて仕方ないの。いいでしょ」
 そう言って笑った。朝食を済ませ、ホテルを出て駅に向かう。電車に乗って、志野は、
 「昔、宮崎は新婚旅行のメッカだったでしょう。今日私達は新婚さんよ。これって偶然かしら」
 「そうだね。今日行こうと、しているところも、そのままのコースだから。昔に戻って新婚旅行をしよう」
 宮崎から車を借りて日南海岸を南下する。青島へ渡り、堀切峠に立ち寄って海を見る。鵜戸神宮に向かう。ここは縁結びの神様だ。二人でお礼参りとなった、と笑った。志野は長い間頭をたれていた。何をそんなにお願いしたのか。いつまでもいつまでもながく幸せでいられますように。日南の飫肥城を見学し飫肥天を食べる。牧村は甘すぎて少し苦手だ。志野は美味しいと言って食べた。車を宮崎に戻す。むかしこの道は、しゃんしゃん馬道中の道だった。馬の背に花嫁さんを乗せて花婿さんは馬を引き、鵜戸神宮までお参りに行ったのが新婚旅行の始まりとされた。今日はちょっと古い花婿さんが、これも少しだけ古い花嫁さんを車の隣に乗せて、新婚道中です。志野は笑った。宮崎神宮、一葉海岸を見て大淀川沿いのホテルに入った。牧村は志野と荷物を部屋に入れると、駅まで車を返しに行った。戻るととんでもないことが待っていた。
 牧村は早速風呂に入れられ、着替えをさせられた。着替えた服はモーニングであった。志野は二人の婚礼写真を手配していたのだ。自分はウエディングドレスを着て、牧村が風呂から出て着替えるのを待っていた。それから写真会場に行き何枚か撮られた。牧村は、考える暇も、反論する暇もなく、志野に随った。志野は喜んでいた。志野の笑顔が良かった。
 その後二人は新婚旅行を続けた。鹿児島に一泊。桜島、磯庭園を見て、人吉に立ちよって球磨川下りを楽しみ、熊本に泊まって、水前寺公園、熊本城。車を借りて阿蘇の大観峰、阿蘇山頂へ登る。阿蘇から久住へ、千羽鶴ゆかりの場所をみて、美味しい牛乳を飲んで、由布院に向かう。九重山、大船山を見せ、坊がつるがあの山の向うにあると、長者原で説明する。由布院に泊まって完全別棟の別荘を楽しんだ。ここで二度目の合体をした。志野は、セックスがこれほど豊かで、無心に快楽をもたらしてくれるものとは知らなかった。もう残りは少ないが、こんなに嬉しい思いし、忌まわしい過去と決別出来たことに涙がでた、そう言った。翌日、大分で車を返し、豊饒の国に戻って来た。
 早速牧村と志野は婚姻届を出し、志野は念願の大岩から逃れることが出来た。牧村は北の井の部屋を払って、志野の東山に移った。南九州を大急ぎで駆け回った旅は、志野にとっては大岩との決別になり、牧村は亡き妻の呪縛から逃れて新しい伴侶を得る旅となった。
 志野は豊饒の国は信孝さんだったの、と言った。牧村は志野が自分の豊饒であると思っている。体のことや天候のことを考えながら、二人で出かけよう。少し涼しくなれば佐賀、長崎、壱岐、対馬へ行こう。その前に、六郷満山は豊饒祭が終ったら出かけよう。そんな会話がつきない暮らしが始まった。
 牧村はもう毎朝日の出を見に行くこともなくなった。画板を持つことなく、カメラに変っていた。
 志野が焼きは、見事な焼き上がりで、本物の志野焼きのようになった。


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