霧の中 4

お惣菜屋のメイン商品はとんかつ、メンチカツ、鳥唐揚げ、鳥天、野菜天ぷら、コロッケ各種。それをメインにしたお弁当。だからいつも油の匂いが立ち込めている。いつになっても油の匂いが抜けない。休みの日に全く違う森の中にいても、油の匂いを思い出すことがある。仕事を始めて数ヶ月は揚げ物を食べる気は全然しなかった。慣れは怖いものかもしれない。普通に残り物をもらって帰るようになった。夜遅くなって帰ることが多く一人分の食事を作るのも面倒だから、何か買って済まそうとしても、お弁当の殆どは揚げ物が入っている。結局お店の商品と変わらない。お金のこともあって、お結びやうどんになることが多かった。茹でうどんが一袋十九円のときに買って冷凍しておく。うどん玉に卵、わかめ、あるもの野菜を入れれば、暖かくてお腹いっぱいの夕食になる。何より百円かからずにできる。時々暖かいご飯に、お味噌汁に魚を焼いて食べたくなる。これが贅沢な食事だ。早上がりで次の日がお休みのときは質素だが贅沢な食卓にする。でも一人だと寂しいし楽しくない。何より食費しか削れるものがない。携帯電話で写真を撮ってサイトにアップロードして満足する。トモンやミッチが、それを見てコメントする。一人分?それとももう一つあるの?やはり一人分か、寂しいし、侘しいお食事ですこと、だって。料理好きの古風な女性が寂しがっています。どなたか愛の手を差し伸べてあげてください、なんて。私安売り中じゃありませんから。揚げ物メインの惣菜屋だから、こんな食事が欲しくなるだけ。揚げ物が嫌いでも、特別焼き魚が好物でもない。

 トモンもミッチも同じブラスバンド部のフルート仲間。トモンは吉井智子。ミッチは赤城美知。ブラスバンド部は圧倒的に女子が多いから、みんなまともに名前で呼ばれなかった。翔太先輩が隣のカフェマドロムに配達に来て、偶然会ったことをメールで知らせたら、二人とも、井上翔太は一年上のトランペットのパートリーダーで、三年でマーチングリーダーだったまじめな人だと返事のメールがきた。私もまじめな人だと思っていた。井上翔太だから、井上さんと呼ばれるか、何かニックネームがつきそうなのに翔太さん、翔太先輩と呼ばれていた。同じ井上さんと呼ばれるブラスバンド部の顧問で、マーチングのコンテを作ってくれる人いたので、みんな混同を避けたのだ。

 三人でメールのやり取りが始まる。二人とも、あの井上翔太が宅配の臨時社員をやっているのが意外だと、返事をくれた。トモンはもう少しまじめな仕事についてがっぽり稼いでいそうに思っていた。ミッチは市役所の住民課で婚姻届や転入転出の案内をしている雰囲気だと言う。それは私が最初にした仕事です。トモンは、それで井上翔太さんには彼女がいるの、だって。そんなこと聞くほどお話していません。ミッチは、実は憧れていたことあるの。まじめで男前だし、成績良かったみたいだし、倍率高いかなと思っていた。でも高校時代から彼女の話聞いたことなかった。一度、同じトランペットの子で私たちより一年下の山下由美に、親切丁寧に教えていたから、彼女とできているのかも、そんな話もあったのよ。でもそれは噂だけだった。結局その子とも何もなかったみたい。多分裃派なのよ。何、その裃派と言うのは?環境条件整い候上、畏まってお付き合い下されたくお願い申し上げ候、と言うタイプね。そう言うミッチはいまどうなの、上手く行っているの。結婚するかどうかわからないけど、同棲中だし、適当に大事にしてくれる。問題は彼の仕事なの。円高直撃で、業績が悪いらしい。工場を閉鎖して国内生産をやめるかもしれないって。LSIは海外から仕入れたほうが安くあがるみたい。正社員で入ったときはよかったのに、これから先が心配。転勤になっても困るけど、工場がなくなるとまだ困る。先行きが見えないのがいけない。会社も仕事も心配なければ結婚できるかもしれない。でもいまはまだ無理みたい。ミッチの仕事は順調なの。仕事はまあ順調よ、収入は低調だけどね。人の幸せばかり見るブライダルは、年々小さくなってこじんまりしてきている。義理や仕事で参加者を集める時代から、内輪や家族だけの傾向になっている。その分中身が濃い。細かい注文が増えている。だから仕事は大変、毎回違うことをして売り上げ単価が上がらない。ミッチは美人だ。高校のときから目立っていたのに、不思議と彼ができなかった。翔太先輩と同じだ。それが、特別ハンサムでもない男と同棲している。初めての大人の恋がそのまま同棲になった。大人しくて控えめだったミッチが、仕事に就いてからか、彼ができてからか、積極的に変わったみたいだ。

 トモンはまた来年も教員採用試験を受けるの。それは受けるよ。いままだ臨時だけど教職についていられるし、仕事もどうにか慣れてきたところ。子供にすれば正式採用の教職員も臨時の教職員も関係なさそうだけど、なかには変わった子がいて、臨時がんばれよ、だって、いまの小学生でもいろいろ知っているから。それで、彼氏とはどうなの、別れたの。まだ時々会っている。トモン早いうちにやめなさいよ。あなたが傷つくだけよ。それ不倫だから、妻子がいる人と付き合って、相手の奥さんや子供さんのこと考えてあげるべきだよ。その男は絶対浮気性だから、教師という仕事にありながらとんでもないと思う。カスミン、彼、奥さんと別れる気になっている。私は、別れられないよ。彼、悪い人ではないのよ。すごく優しいの。トモン、後悔しないように。どうなってもトモンを応援するよ。ありがとう。カスミンに翔太の縁があるといいね。応援するよ。何を言っているのよ、全然そんな関係じゃないから。隣に仕事で来ただけだから。

 それが、また隣のカフェマドロムに仕事で来てしまった。運の悪いことにまた小松さんがいるときだ。あら、あなた、またクレーム品を持って来たの、そんなものを持って来なくても良いのに。彼はそう言われながらも、受領印をもらい荷物を渡し、頭を下げて、お礼を言った。そして、帰りしな、私を見て、片手を挙げて微笑んでくれた。

その翌日、私が休みでお買い物に行こうと駐車場に出て行くと、宅配業者の車が止まっていた。翔太先輩の会社の車だった。もしかしたら翔太先輩かもしれない。私は少し駐車場で待った。すると翔太先輩が走って出てきた。

 あっ、翔太先輩、私はそう声をかけた。

 おお、カスミンじゃないか、もしかしてここに住んでいるのか。

 はいそうです。今日は休みか。これからデートでも行くのか。

 いえそんな人いません。お買い物です。

 そうか、カスミンは昔、一瀬先輩と付き合っていなかったか。

そんな古いこと覚えているなんて驚きました。一瀬先輩が卒業して終わりました。何もありませんでしたから。

そうか。

翔太先輩はどうなのですか。ミッチなんか憧れていたみたいです。

ミッチ?

私と同じ学年でフルートの赤城美知です。

もしかして、美人の赤城か。それは惜しいことをしたな。

一人で住んでいるとこの前聞きましたが、翔太先輩はどこに住んでいるのですか。

ぼくは、この先にスポーツ公園があるだろう、その公園の近くだよ。

 じゃ近くですね。会社へは車通勤ですか。

 そうだよ。この町は車がないと、バス便は悪いし、バスの運転手は陰気で愛想もない。何をするにも不便だよ。カスミンはひまわりタウンには何で通っているの。

 私も車です。

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