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禁じられていた色

元町もサマーセールの時期になりましたけど
今年は夏物売れませんでしたね・・・・
着物業界も浴衣が売れなかったので来年まで持越し?

アパレル業界では 2年先の流行色を決めるといいます。
テキスタイルメーカー向けのいろんな機関がイメージ出ししたものを、
テキスタイルメーカーが見本を作り、見本市に出します。
そこで発信されて人気のデザイナーがコレクションで使うので、
おのずと世界的に多様される色の方向性が決まると言うわけです。
 
着物には目立った流行色というものはありません。
浴衣や振袖で 今年は紺地が多かった、とか
白地のものが目立った、ということはありますが
「今年は○○色が流行ってるから○○色の着物を
 買わなくちゃ!」なんて言う人はいません。
(いるのかなー?)
着物では 色そのものよりも
コーディネイトの組合せで
大正ロマンっぽい、とか 昭和の匂いがする・・・というのは感じますね 


しかし江戸時代より前では”色”というのは
上級階級のものであり 貴族、寺社、武士などの中で
意味を持つものであり、
庶民には縁のないものでした。
色とは お金と時間を掛ける贅沢なものだからです。
 
江戸期になり ようやく町人階級にも
お金を使って”色”を所有できる人たちが現れ
次第に一般町人にも 装飾品への関心が高まり
広がっていくようになりました。
しかし この時代の色には
生地の染料の安価、染色の地味、という制約がありました。
高価な紅花染めや紫根染めは庶民には
禁じられていたのです。
花魁が赤い襦袢は、
内に着込んだ禁色の赤を見せるためで
その色は禁裏に上がることのできる正五位の格式を表していました。
高位と富の象徴である紅と紫は
庶民にとって手の出せない憧れの色でした。
そこで本物の紅、紫よりも安価な
蘇芳や他の植物で染めた「似せ紫」(にせむらさき)等が
作られ庶民の欲求を満たしたのです。
  
これに対して 制限外であった
茶系、鼠系などの中で多くの流行色が創られて行きました。
俗に「四十八茶、百鼠」と言われるように
茶系なら 利休茶、江戸茶、路考茶、媚茶・・・・など
人名、地名、物象名などを付けて増えていきました。
茶や鼠の名前を名乗りながらも
派手な色目もありますが
それは贅沢を禁じられた庶民の知恵から出た
逃げ道だったのかもしれません。
 
好きな色を好きに着られる・・・・
今の時代のありがたさを感じます

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