力武 健次 プロフィール

力武 健次(りきたけ けんじ)の自己紹介をします。

1965年東京都世田谷区生まれです。1990年よりコンピュータ屋(ソフト屋)とインターネット屋の人生を始めて今に至ります。今は主に情報セキュリティのコンサルティングと、研究開発のお手伝いをしています。かつてはOSのライブラリも書きましたし、ネットワーク構築もやりましたし、Webサイト製作もしました。

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以下、である調で。

1974年9歳のときに米国コロラド州ボールダーに1年3ヶ月渡米。この時にFORTRANのコーディングを始める。最初に書いたアプリは摂氏と華氏の換算表だった。こんな感じの子供だった。この写真は帰国直前にサンフランシスコのケーブルカーで撮ったもの。

日本に帰ってきてからは、権威主義と強制同期社会主義にまみれた日本の文化になじめず、今に至るまで疎外感を持ち続けている。病気持ちなので移民はかなわないが、どうやって国境を越えるか、それが人生通してのテーマだ。

1975年にはアマチュア無線の免許を取るが、自力で念願の海外交信ができるようになったのは2002年からだった。最近は仕事が忙しいので無線にかけられる時間は減っているけど、今でもラジオは大好きだ。

そして1985年よりパソコン通信にハマる。1986年から1992年までは無線のパケット通信で遊んでいた。これは1986年末ごろの写真。今とあまり変わっていない。

1990年には日本ディジタルイクイップメント株式会社という外資系のコンピュータ会社でキャリアをスタート。その後縁あって、結婚とほぼ同時に1992年夏より大阪府豊中市に移住。これ以来今に至るまで、リモートワーク中心の生活を続けている。

1992年から8年システム管理屋としての仕事をしていたが、それだけではどうにもならないと限界を感じ、2001年〜2012年まで情報工学/情報科学の学術研究の世界に身を投じる。この間、2005年に遅まきながら大阪大学大学院情報科学研究科の博士後期課程を修了して博士(情報科学)の肩書きをもらう。社会人博士というやつである。

2010年〜2012年の間は京都大学情報環境機構というところで教授の肩書きをもらって仕事をしていた。あまりハッピーな生活ではなかったけど。教授の仕事を辞めた時の状況はこんな感じだった。

そして2013年9月にサラリーマン強制終了。2014年からは力武健次技術士事務所所長として、どうやって食べていくかという人生最大の課題を模索している。2001年に技術士(情報工学部門)の資格を取っておいたのが役に立った。とはいえ技術士では名称独占しかできないので、他のフリーランスの人達と何も変わることはない。収入は不安定だし、いつも新しい技術と闘っていないといけない。最近使っている言語システムは、C, C++, C#, PHP, Python, R, Ruby, awk, Erlang/OTP, Elixirとなんでもござれである。何か頼まれた時に「これもできますけどいかがですか」と言えないといけないのがフリーランスの厳しいところである。

とはいえ今の人生はそんなに悪くないと思うこともある。やはり人間は自由に過ごせるのが一番だし、自分で自分のことを決められる方が幸せだ。これは2018年5月にストックホルムに行った時の写真。この時はキツめの仕事から解放されたばかりだったので、随分リラックスした顔をしている。

Noteは日本語の空間なので、今後も好き勝手なことを書いていくつもりだ。

(記事タイトル写真は本人。Photo courtesy of builderscon from Builderscon tokyo 2018 Day 1 archive, licensed CC-BY-NC-4.0, edited from this photo)

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