災害と魔女狩り

人間は浅はかな生き物で、自分の手に余るコトが起こると、関係ない相手を加害者に仕立てて魔女狩りを始めるという困った性質を持っている。

学問を普段仕事にしていない一般の人達にとって、どうやら学者というのは、全部御用学者でろくでもないモノに見えるらしい。そのことを阪神淡路大震災と東日本大震災では繰り返して体験させられることになった。

父は地球物理学者で、地震予知に関する仕事もしていた。そのせいか、1995年の阪神淡路大震災の時は、なぜか私に対して「人の不幸で儲けてよろしおますなあ」と揶揄された。私は少額ながら被災して損害が出ていたのだが。(この被害については全額自力で修復しており一切の補助は受けていない。)地震が起こった直後は「国の補助で儲けてる人達がいる」という誹謗中傷が普通に巷では流れていた。こういう精神性は私は理解できないのだが、どうやらこれが社会の民度というものらしい。

2011年の東日本大震災の時は、父の実名入りのツイートで誹謗中傷を繰り返された。彼は1991年に引退していて、2004年には亡くなっていたのだが。死んだ人間の責任まで問われるのだから、人間の感情というのはやっかいなものだと思う。まったく、地球物理学者、いや学者なんてなるもんじゃない。父は東日本大震災の時まで生きていなくて本当に良かったのだと思っている。

いわゆる研究者は政策決定にかかわることはあっても、政策そのものの決定権を持つことはない。政策を決めるのは政治家と実行する行政の人達の仕事である。それなのに、関連分野の研究をしているからといって、科学を知らない人達の怨念を向けられて、御用学者だA級戦犯だと魔女狩りの対象にされたら、たまったものではない。イタリアでは2009年の地震で科学者に対する刑事裁判が行われ2012年10月には有罪判決まで出てしまった。(これに関してはリンクの大木聖子先生のレポートが詳細かつ秀逸である。)

2011年の東日本大震災の時は、そういう私も教授の肩書きをもらってしまっていたから、2013年1月に京都大学を辞めるまでの間は、恐怖を覚えた。何か事件があると、関係があろうがなかろうが、一族郎党ケシカランというのが、一般の人達の普通の感情だからである。しかも相手が「大学の教授」とくれば、怨念をぶつけるには格好の対象であろう。原子力関係の先生方がとんでもない目に遭ったのは、ここであえて書くまでもあるまい。

いずれ、コンピュータ屋にも魔女狩りの猛威が襲ってくる時がやってくるかもしれない。その時にできることはほとんどないだろう。人間の人間に対するDDoS攻撃は苛烈で際限がないからだ。昨今のAIバブルが逆に回ったら、「よくわからない人工知能なるもの」に対する社会の不満が一気に爆発するであろうことは想像に難くない。

どんな災害でも被害者の人達の悲しみの感情について当事者以外は判断する資格はないと思うが、感情が怨念と化して魔女狩りが大規模に行われるのだけは抑止していく必要があると思う。

(初出: 2015年1月17日、阪神大震災20周年に関するFacebookの個人的記録、一部編集ずみ)

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