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すご~く疲れたけれど、楽しかった!「第2回 母の刺繍展」報告


今回は2回目ということで、何だか前回とは、色々と感じ方が違った。

一番違ったのは、「楽しかったな~」と思えた事だ。

知り合いだから見に来てくれた方(義理)よりも、作品に惹かれて観てくれた方が、圧倒的に多かったことは、自信にもなった。

そして私が、「刺繍展」を開催する「意図」に、少し近づけたような気がしている。

とにかく、新しい出会いが、沢山あった。

大きい作品の功績~「通りすがりの人」を呼び込んだ!


今回、作品を搬送するのに「赤帽」を使うことにした。そのお陰で、大きい作品を運ぶことが出来た。さらに、前回よりもたくさん搬入できたため、展示した作品数は前回より多かった。

ギャラリー入口の側面に、大きい作品を飾ったことで、外から見た時、インパクトがあった。作品がパッと目に入り、それに惹かれて、入場してくれた方が多かったように感じた。

賑やかな感じで、入ってくる方が多かったような気もする。

「あら~ステキね~」とか「刺繍なんですね~!」とか言いながら、元気にギャラリーに入ってくる感じ。

開催期間の3日間、お天気も良く、ハロウィンという事もあり、仮装した子どもたちが、ギャラリーの前を通ったりして、それも楽しかった。

外が暗くなると、余計によく見えた。


いろいろやってみて、どうだったか~


◆「図案」の「有料頒布」をやってみて

前回同様に、来場者の方に感想を聞きたくて「アンケート」を用意した。

図案頒布については、「アンケート」を記入してくださった方の全員「今後も続けて欲しい」という回答だった。頒価についても、適当だという事だった。

「図案」は1枚ずつではなく、4~7枚ぐらいをパッケージにした。参考になるような写真コピーも入れた。あまり細かい金額を付けると小銭の扱いが、面倒なので、500円均一にした。

ハガキにも「有料頒布」の事は明記したので、それを承知で来場した方もいたはずだ。

日にちを間違えて、リピーターの方が、設営作業中にいらした。

私が送付したハガキで、今回の展示を知った方だった。
額は、殆ど飾り終えていたので、観て貰うことが出来た。この方も、「図案」を購入してくれた。


母が書き込んだメモ書きも、そのまま残した。


今回は、「刺繍」というキーワードに引っ掛かって、来場された方が、本当に多かった。それは「通りすがりの人」も同じだった。

「刺繍をされているんですか~?」と声を掛けると、たいていの方が何かしら「刺繍」をやっていた。そして、ご自身がされている刺繍について、話してくれた。

だから「刺繍トーク」が、弾んだ。

その流れで、「図案」が思った以上に掃けた。

こんな感じで、続けてみようと思っている。

展示してある作品の「図案」


エンピツも置いて「図案を写せる場所」を設置してみた。
男の子は、興味を示さなかったけれど、女の子は、写し絵が好きで、孫や、孫の幼稚園のお友達が、楽しそうに写していた。
写真のトレッシングペーパーに描かれているのは、私の6歳の孫が描いたモノ。


◆「書籍閲覧」をやってみて

前回よりも、本に「じっくりと目を通す方」がいたのが、印象的だった。

そして、前回と同様だったのは、昭和60年(1985年)雄鶏社から出版された「オープン・キャンバス」という刺繍専門書に対する来場者の意見というか、反応だった。
刺繍をやらない私からしたら、共有できない「刺繍を極めようとする人」だからこその「反応」だと思った。

この本を必要とする人とは、刺繍の「奥深さにハマった人」だと思う。

特に「アジュール刺繍」や「ハーダンガー刺繍」を学ぶ人にとっては、必要となる内容が載っている。

もし「刺繍カフェ」のような場所があって、そこに「この本」と「コピー機」があったら、一日がかりで「全部コピーしたい!」と、リピーター来場者の方から言われた。

「宝くじが当たったら、本気で考えます~」と、私は答えた。

現在、出版社から出されている「刺繍本」の中にも「刺繍ステッチの刺し方」を説明している本は、書店でも見かける。

それらの本と、「オープン・キャンバス」は、どう違うのかと、ある来場者の方に私が尋ねたら、「ここまで詳しく、わかりやすく書かれている本は無い!」という返答が返ってきた。

私が読んでも、専門用語ばかりで、ほぼ理解できない。


「スキャンしてみたらどうですか~」と言われ、「あ~なるほど!」と私は思った。

絶版になっていて、出版社も現存していない。

おそらく再版はされない。

「紙」では無く「別な媒体」で残しておくことは、やってもイイかもしれない~そんなことを思った。

本の厚みは3cmはある。かなり分厚い。

本当にやるとしたら、けっこうな作業になるけれど~。


観てくれた人達に「何か」をあげれたような、そんな気がした


高齢のお母様と娘さんの二人連れが、たまたま通りかかり、入場された。

お話を聞くと、お母様の方が「フランス刺繍」を長年されていて、自宅に「作品」を飾っているとのことだった。

展示してある「母の作品」を前に、「こうやって見ていると、何だかまた、刺繍をやりたくなっちゃうわ~」とそのお母様が言った。

そして「これぐらいならできるかも~」と言って、「リボン刺しゅうキット」が入っている「お楽しみ袋」を購入してくれた。

母は、90歳を過ぎてから、同じ「キット」をサッと作り、いつも行っているデーサービスに持っていった。正直、その「キット」は、私には作れない。

でも、刺繍をやってきた人ならば、そんなに難しい事ではないのだろう。

娘さんが「お母さん、良かったわね~元気になって!」と言いながら、仲良く帰っていった。

何だか嬉しかった。

*******

今回の「刺繍展」には、孫の幼稚園のママ友が、何人か観に来てくれた。

最終日にも、年中さんの娘ちゃんを連れて、ひとりのママ友が来てくれた。

彼女は、「手芸部」という「幼稚園のサークル活動」で、私の娘と一緒に活動しているママ友だ。

いろいろ、お話していると「私、日本刺繍をやっていたんです~」と唐突に彼女が言った。

しかも、

たまたまその時、noterの敬子さんが、いらしてくださっていて・・・・

しかも、

敬子さんは「日本刺繍家」なのだ。

ママ友の「日本刺繍やってた」という言葉に、思わず「この方、日本刺繍の先生なんですよ~」と敬子さんを紹介した。

ここからは、私には分からない話を、お二人でされていた。

「日本刺繍」の事は、私にはよくわからない~~。

会場に展示されている「母の作品」を観たことで、そのママ友は、自分の中に残っていた「思い」に気が付いたのかもしれない~と私は思った。
彼女の言葉に「日本刺繍をやっていた自分」に対する、しっかりとした自尊心を、私は感じたからだ。

芸術って、見方を変えると無駄遣いだ。

生活上、絶対必要なものでは無い。

母の刺繍作品も同じだ。

何の役にも立たないけれど、人間には、美しい芸術を創りだす「凄い能力」があって、それによって人は、癒されたり、満たされたりする。

「刺繍」であれ、「ピアノ」であれ、技術を習得していくという事は「自己向上」の手段だと思う。そのプロセスにこそ、普遍的な価値があって、理屈では無いように思うのだ。

だからこそ、何かを「創り出そう」とする意欲は、その人の「証し」でもある。

「母の作品」を観てくださった方々が、何かしらの「刺激」を受け、「創作意欲」を搔き立てられたのならば、やった甲斐があるというものだ。

この道はどこに向かうのか~


最終日、最後の来場者の方が「喪服」だった。

近くで法事があり、その帰りだそうで・・・でも、まだ間に合うと思って、足を運んでくれたのだ。

「こんな格好で、ゴメンなさ~い」と言いながら、一つ一つの作品を、じっくりと観てくれた。

有難いな~。

来場してくださった方々には、感謝しかない!

記帳ノートに名前を残してくれた方や、アンケートを書いてくれた方の名前を見がら、「この人とは、こんな話をしたな~」とか思い返し、私のできる事を模索している。

回を重ねてみると、「やる意味あるのかな~」という気持ちにも、なってくる。

それでも、まだ全部を展示していないので、私は、3回目をやる気でいる。

そこまではやろう!と思っている。

やれば、きっと新しい風景が見えてくるのかもしれない!

noteでも、「スキ」をしてくれたり、コメントを下さったり、本当に励まされました。
ありがとうございました(⋈◍>◡<◍)。✧♡












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