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街角で本を売ること

11月23日の勤労感謝の日、「小さな小さな青空書店」を開きました。

※今回は「本と本をつなげる話」ではほぼないのですが、自分のための備忘録も兼ねて、ちょっとしたメモ的な記事として綴らせていただきます。

今回のイベントは、ご近所にあるユニークな出版社・エクスプランテさんのお誘いがきっかけでした。もともと仕事が縁で知り合って、「もんきり」のワークショップのお手伝いをしたり(その延長で、10年前にはバングラデシュの母子寮にてもんきりを行ったこともありました!)、地域に住む人たちが自ら管理している「くさっぱら公園」のイベントに関わったりと、楽しいご近所付き合いをさせていただいています。

くさっぱら公園で毎年秋に開かれる「くさっぱらまつり」。昨年、エクスプランテさんが務めるイベント本部の端を借りて、小さな「さるうさぎブックス」を出店させてもらいました。2017年のおまつりのキーワードに合わせて、“種と根”というテーマで本を集めて。

今年もできたらおもしろそう、と思っていたのですが、残念ながら都合により、くさっぱらまつりは「一回おやすみ」。ということで、今年の「さるうさぎブックス」は、夏の「本との土曜日#12」のみの出店で、また来期に向けてあれこれ考えようか、と思っていたところ、エクスプランテさんから「一日本屋さん、やりませんか?」というお誘いをいただいたのです。

それは「東急池上線全線まつり」というイベントの一環として、でした。東急池上線を挙げて行事で、各駅にてさまざまな行事が行われる一日。私たちは、池上線の両端・五反田と蒲田のちょうど真ん中に位置する御嶽山駅から歩いて少し、エクスプランテさんの本拠「本と工房の家」にて、もんきりにまつわるエクスプランテさんの本・品々と、エクスプランテさん所蔵の古本と私・さるうさぎブックスの本、そしてくさっぱら公園で取れたかりんでつくったかりん酒ほか、ちょっとしたものを並べるお店を開くことにしました。訪れるお客さんとのおしゃべりを楽しみながら、のんびり本を売る、そんなお店です。

直前まで目の回るような忙しさで、ようやく前夜に、手の届くところから急いで本を用意しました。これまでの古本市出店では、あるテーマにそって大半の本の選書をしていたため、なんとなく並べる機会のなかった本がありました。例えば、仕事や現在の自分の関心に近いところで、医療、サイエンス、生命倫理などの分野の本など。せっかくの機会なので、そうした本や、以前担当していた語学テキスト(イタリア語)の仕事にもつなげて翻訳文学モノなどを選び、並べることにしました。

エクスプランテさんのオフィス前には、芝生や植物のあるささやかな庭スペースがあるので、そこにテーブルをしつらえ、本やかりん酒、近くのお友達が持ち寄ってくれた干し柿を並べ、さらに子供たちも楽しめるように、主催チームの方のお嬢さん(中学生)が中心になって行うスライム作りワークショップも。

お昼頃からゆるゆると開店。駅前の商店街からつながる道に面したところ、という環境もあり、お昼時は人通りもそこそこあって、「何をやっているのかな?」という感じでフラッとのぞいてくださる方が少なくなく。「池上線全線まつり」で知っていらっしゃった方、エクスプランテ・もんきりのファンでいらっしゃった方などなど、さまざまなお客さんが来てくださいました。夕方まで、一気にお客さんが混むこともあれば、閑古鳥が鳴くこともあり(笑)、でもまた熱心に本を見て、話をしてくださるお客さんがたくさんいらして、とても豊かな時間を過ごすことができました。


印象的だったエピソードを2つほど。

クラフト市などにも近い雰囲気ということもあり、どちらかというと若い方(お子さん連れの方とか)、また女性のほうが興味を持ってくださった印象。その中ではやや珍しい、高齢の男性が、じっくりと時間をかけて丁寧に本を見ていかれて、最後にある作家の随筆3冊をまとめて購入してくれました。

聞けば、その本は持っていて読んだこともあるのだけれど、かなり古いもので(初版は1950年頃の岩波文庫)紙も黄ばんでしまい、読み難いので、改めて手に入れておきたかった、とのこと。かなりの読書家・蔵書家でいらっしゃるようで、ご自身の年齢のことや保管場所のことを考え、可能なものは文庫本に置き換えていっているとのことでした。そういえば先日、知人である80歳を超える学者の方が、同じように都心の自宅の蔵書はすべて文庫にして、天井までの本棚に詰め込んでいる、と言っていたことを思い出しました(別の場所に、さらに書庫的な場所を持っているのですが)。

帰り際に「これはいつもやっているの?」と尋ねられました。今回単発のイベントであること、くさっぱらまつりのこと、そして無理のない範囲でまた開いてみたいといったことをお伝えすると、「またあるといいね、楽しみにしてるよ」と言って、帰っていかれました。

続いて、陽も少しずつ傾き、終盤に近づいてきたころ。家族や友人たちと一緒に一人の女の子がやってくるのに気づきました。手には、図書館で借りたある人気作家の小説を持ち、指を挟んで栞にしながら、ちょっとした合間に顔をグッと近づけて読んでいます。心から本を楽しんでいるんだなぁ、と微笑ましくなる光景でした。初めは、入り口近くにある私の並べた本のあたりを丁寧に見ていましたが、前述のとおりノンフィクションと外国文学が多く、どちらかというと大人向けなセレクト。なので、エクスプランテさんが並べていた、ちょっと前の小説作品のあるほうに案内してみました。

彼女が読んでいた作家・作品から考えると、そこに並んでいる村上春樹とか川上弘美の作品なども、ちょっと背伸びかもしれないけれどおそらく味わえるはず。一冊一冊を手に取っては、文字通りキラキラした目で眺めています。特に、1960年頃に出版された平凡社の文学全集を見ては、現在の本にはなかなか見られないシンプルながらも品良く美しい装丁に、やはり興奮が止まらないようでした。

その子のお母さんに話を聞くと、彼女は現在、小学4年生。本当に本が大好きで、いつもちょっとした時間にも本を読んでいるそうです。エクスプランテさんのオフィスは、壁一面、上のほうまで本が詰まっているのですが、それが外からも見えるので、近所に住む彼女はそれがいつも気になっていたのだと言います。彼女にとって、今日のこの場は、思わぬ幸運な出会いのときとなったことでしょう。

そして、そんな様子を見ながら、また先ほどの男性や、この半日ほどの間に訪れたお客さんとのやりとりなどを思い浮かべながら、今回の小さな本屋活動の振り返りをぼんやりと。はじめに考えたのは、先ほどの女の子が来てくれるのであれば、村上春樹や吉本ばなな、伊坂幸太郎等、自分のストック棚にあった現代小説なども持ってきておけばよかったな、という今回の選書についてのちょっとした後悔でした。きっと、もっと気まぐれでよかったのでしょう。

以前に出店した「本との土曜日」、あるいは客として訪れたことのあるいくつかの古本市や本イベントの場合、本に対するスタンス・付き合い方はさまざまあると思いますが、いずれにしても訪れるお客さんの多くが“本好き”であり、その意味で、まさに“本にまつわる催し”と言えます。

でも、今回の小さな小さな青空書店、また昨年のくさっぱらまつりのように、例えば地域のおまつりのなかに“たまたま”ちっちゃな本屋を設けた場合。古本市などのときに比べて、お客さんの趣味嗜好はもっともっと多様で、そのおまつりを楽しみに来たなかで、“たまたま”本屋に出合った、というケースのほうが大半なのではないかと思います。

そのような場に本を並べるときは、コンセプトみたいなものはなくてもいい、いや、むしろあまりないほうがよいのかもしれません。本にまつわるイベントであれば、周りの出店者とともに、全体として多様性ある“本の生態系”が作られることが魅力であり、そのためにも自店の本棚に個性・カラーがあるのは大切なことでしょう。でも、いろいろな人が行き交う、多彩な特徴のあるイベントのなかのいち本屋としてある場合には、その本棚の彩りは豊かであるほうが、いろいろな好みを持つお客さんが、思い思いに気になる本を見つけ出すことにつながりやすいのではないでしょうか。

そんなことを考えていたら、こうして小さな本屋を開くことを、もうちょっとがんばってみようかな、という気持ちが少し湧いてきました。

ほんの数回だけですが本を売るイベントに参加してみて、またこれまでに客側として訪れた経験も振り返って、自分が本を並べる場を作ることの意味は何なのだろうか、ということを考えることがあります。

「こんなに楽しい本というものを、ぜひ多くの人に味わってほしい」 素朴な思いとしてはそこから。ではそれをどのように形にすればよいか。自分の持っている、あるいは知っている本を人につなぐこと、これが一番身近なやり方ですね。こうしてnoteを書いたり、自分が読んできた本を売りながら、そこから広がる本の話をしたり。でも、実際に本作りに携わっている身としては、それだけではやや物足りなさも多々感じています。

「本が身近なところにあって、その中から自分の読みたいものを選んで買うことができる」という環境が存在するためには、書き手から始まって書店まで、本を作り、届けることに携わる人や組織がその営みを続けていける、いわば“本を巡るインフラ”が整備・維持されていく必要があります。こうして私が細々と本を売る活動が、そのインフラを作り支えるうえで何の役に立つのだろうか?と考えると、正直その効果は甚だ乏しいもの(ほぼゼロ?)だと言わざるを得ません。それよりも、今携わっている出版の仕事を通じて、もっとやるべきことがあるじゃないか、という思いにいつも襲われます。

ただ、それは言うまでもないことと受け入れつつ、今回の小さな本屋に訪れてくれたお客さんたちのことを思い浮かべると、いわゆる“本好きが集まる場”とはちょっと違った場所に、本を並べ、届けることに、やはり何らかの意味があるのではないか、と感じられるのです。インフラが存在する意味は、インフラそのものを維持するためではなく、それを利用する人のためにこそあるべき。はっきりとは見えにくいけれど、潜在的に本との出合いを待ち望んでいる人はいるはずで、そのような人たちと、本を巡るインフラを結びつける機会を作るということを、もう少し試みてみてもいいのではないだろうか、と。

個人のそのような活動の力は、とてもとても微々たるものでしょう。でも、それが可能なことであるならば、同様の活動をつなぐことで、もっと大きな効果が生まれる可能性だってないとは言えません。無理、ダメを考えるよりも、できることからやってみようーーもうまもなく年の瀬を迎えるにあたって、今はそのように考えています。来年も、何か少しでも動いてみたいと思っています。

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