本と読書から発酵するもの

なかなか続かないこのnote。今年度はがんばりたい……と思ったもののさっそく4月は更新できず、いきなり先行きが心配です(汗)。

そんな頼りない感じではありますが、これまで同様「本から本へ」というコンセプトで、大まかに 1)仕事で毎月1冊、医療・健康に関わる本を紹介していますが、そこに収まらずこぼれてしまうネタ、またそこから他の本へと広がる話 2)縁あって時々行っている読書会や、本・読書に関わる会・行事関連のこと 等々について徒然に記していければと思います。

さて今回は、秋田・新屋で開かれた読書会「ビブリオピック」のこと。イベントについてのご紹介と、自分の選書からの本のお話です。

新屋は、新幹線の秋田駅から羽越本線で2駅のところにある町。雄物川の下流にあり、西にはすぐ日本海が広がります。水辺の町ですが、大森山にかけての緩やかな丘陵地には緑も多く山側の自然も豊か。そして砂丘地から湧き出る硬質の水こそ、この土地のいちばんの恵みなのではないでしょうか。醤油、味噌、しょっつる等々、古くから各種の醸造業が栄え、特によい水が決め手となる日本酒については、最盛期には十数もの酒蔵があったとも伝えられているそうです。

ただ、その後の酒造業の不振は全国的な流れと同様で、町にあった酒蔵は徐々に数を減らし、現在では一箇所のみ。また、住宅地の開発が進んだことで水質が影響を受けたり湧き水が細るなど、日本酒造りにとって決して容易ではない状況が続いているようです。

そんな新屋で開かれた、とてもユニークな催し「アラヤード・ピクニック」。「いろいろな土地から、いろいろな人が新屋という地に集い、語らう」という会の第1回に(※昨年9月に、プレの「第0回」がありましたが)、縁あってお誘いを受け、行って参りました。テーマは「発酵」

初日の4月22日は、現在新屋に残る唯一の酒造・秋田酒造の社長と、日本酒(だけでなく、さまざまな醸造品)に欠かせない“種麹”を作る秋田今野商店の方による、発酵を巡るトーク。これが実に豊かな内容で、登壇社のお二人の軽快かつ含蓄あるお話に大いに魅了されました。

先回りして本の話を入れると、このトークを聞くうえではやはり『もやしもん』は欠かせませんね。見えない世界でフツフツと動く小さなものたちを思い浮かべると、繰り広げられるお話がさらに膨らんでいくようでした。

そして翌23日は、いよいよ読書会「ビブリオピック」。聞き慣れない名称ですが、主催者によれば、

「設けたテーマに沿った本の中から、お薦めの一冊についてご紹介いただいたり、すでに同じ本を読んでこられた方々からご感想をかわるがわるお話いただいたり、という『読書会』。

近年は各地で『ビブリオバトル』が盛んですが、もう少しゆるやかなものを想定しています。「アラヤード・ピクニック」にふさわしく、ささやかな読書会として「ビブリオピック(biblio-pique)」と名づけてみます。

とのこと。ビブリオバトルは未経験ながら「バトル」と本、という形式にどうも馴染めなかった自分にとっては、これならぜひ、と思えるなんとも粋な仕掛け。

こちらもやはり「発酵」をテーマに、7名がそれぞれ持ち寄った本について話をして、その余韻が残るなかで、発酵と春をテーマとした美味しいランチを楽しむという会。

どの参加者も、本を選ぶセンス、そしてそこから広がるお話が実に魅力的で、うんうんうなずきあれこれメモを取りながら、充実した時間を過ごしました。他の方の発表についての詳細は控えますが、どなたも「発酵」というテーマからふわりと見事に飛んで、それぞれにとても実のあるお話を披露されました。人前でプレゼンする、という形にはちょっと躊躇もありましたが、主催者側のセッティングや差配が絶妙で、気持ちよく参加することができました。

さてさて、前置き?がだいぶん長くなりましたが、ここからが本のお話。

どんな本を選ぼうか? いつも自分が参加している読書会では、直前まで延々悩み、また決められないまま大量の本を持参する、ということをしてしまいます。今回は一応、プログラムに記載するタイトルを事前に提出する必要があったこともあり、せめて1週間前には絞り込もうと努めました。

テーマである「発酵」を辞書で調べると、狭義には「酸素のない状態で、糖類を分解してエネルギーを作り出すこと」とあります。身近に思い出すこととしては、パン、各種のお酒、チーズ、味噌、醤油、漬け物、ヨーグルト……改めて、自分は発酵物が好きなのだなぁ、と実感させられました。

また、起こっていることは同じなのに、それが有用ならば「発酵」、害になるならば「腐敗」と呼ばれる、というのも興味深いポイント。裏表の両面性とか、解釈が生み出す違い、といったキーワードが浮かびました。

あれこれ悩んだのち、茨城出身で、ご多分にもれず幼少の頃より愛好してきた「納豆」から選書をすることに。そこで選んだのが、高野秀行『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』(新潮社、2016)です。

高野さんといえば、デビュー作『幻獣ムベンベを追え』以来、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」(※ご本人のプロフィールより)をモットーに、破天荒で痛快な探検録・紀行文を書き続けているノンフィクション作家。自分は決して多くは読んでいませんが、『イスラム飲酒紀行』『謎の独立国家ソマリランド』など、膨大なボリューム感をものともせず一気に読ませる素材のおもしろさと文体のリズムには、クセはあるもののやはりおもしろいなぁと唸らされます。

『謎のアジア納豆』は、アジアを中心とする世界各地を回るなかで「これは間違いなく納豆!」という各文化の食べ物を経験してきた著者が、私たち日本人の意識にある「納豆は日本独自のもの」という観念を打破しようと、改めて(日本がルーツではない)納豆文化の広がり、またその源流を探すためのフィールドワークをしていく記録です。そのなかで、アジア各国の納豆の存在がはっきりと浮かび上がってくると、今度は逆に日本の納豆に目が向き、その源流がどこにあるのかを辿っていきます。

その調査の旅から浮かび上がってきた事実は、「納豆といえば茨城・水戸の藁苞に入った納豆」というステレオタイプ?なイメージをバラバラにほぐしていくのです(水戸も、藁苞も、それに白いご飯も、どれも必然じゃなかったなんて!)。偶然にも、資料レベルで辿り着ける日本の納豆の源流は、なんと今回の読書会が開かれた秋田でした(正確には大仙市あたりとのことですが)。

本書で特におもしろかったのは、各文化のフィールドワークを通じて著者のなかに芽生えた「納豆文化を持つ民族は、国内の辺境マイノリティ」という仮説を、改めて日本の納豆史に立ち返って遡っていくなかで、それまで積み上げてきたある可能性が、実はまるっきり反対であったのかもしれない、ということがきらりとのぞいた瞬間(発酵の「両面性」に通じるところもあるかもしれません)。

辺境とは、中心から遠くは離れ取り残された場所ではなく、むしろそこに世界の最先端、最も活発な何かがあるのかもしれない。確か冒険家・写真家の石川直樹さんもそんなようなことを言っていたように思います。とにかく、そのギリギリの地に立つことで、世界は一瞬でその様相を変えてしまう。

そのような状態が、「納豆」というごくありふれた、身近な存在について深く掘り下げてくとフッと生じてくる、というのが何ともおもしろいと思いませんか? 身近なところにある、何でもないごく日常的なモノも、全く違う視点や価値観にもとづく世界へ繋がるトビラになり得る——そういう意味で、文化史とか人類学というアプローチは、本当に魅力的だと感じています。

思えば、そのような「ごく身近なもの、意外なものも、◯◯に通じるカギになり得る」という考え方が好きで、読書でも学問でも、そのようなところの周囲をグルグル回っていたように思います。今回、次点扱いでリストには入れませんでしたが、会場まで持参したのが舟田詠子『パンの文化史』(朝日選書、1998)。パンという日々の生活の基本となるものについて、文化史的な意味での習俗等はもちろんのこと、その製法や化学的な特徴までも含めたパンという「文化」の総体を学問的に、丁寧に綴っています。

学生時代、研究テーマの核を探していた頃に出合ったこの本は、自分が進んでみたいと思う方向できちんと道を究めている人がいる、ということを知り勇気づけられた1冊です。そして縁あって、著者の舟田先生にはその後お会いする機会を得て、魅力的なお話を何度も伺うことができました。
※最近は講談社学術文庫にも入ったようですね。実におもしろく読み応えのある本です。ぜひご一読ください。

同様に学生の頃を振り返って思い出す本で、今回もう1冊持っていったのが、臼井隆一郎『パンとワインを巡り 神話が巡る』(中公新書、1995)です。おそらく、ではありますが、私が初めて読んだ中公新書がこの本だったように思います(神話学などに興味を持っていた、大学生になるかならぬかの頃)。

ワインとパンといえば、キリスト教における「血と肉」の象徴、というのはよく知られたことですが、その背景をもう一層も二層も掘り下げ、深層のところで何があったのか(と考えられるのか)を、歴史・文学資料や伝承を紐解きつつ論じていきます。原点にあるのは“犠牲”、神へ捧げる供物であり、それを共にする集団の儀式・祭祀における重要な機能を担うものとして、パンやワインはその存在を確立してきたのです。そこでは“発酵”というそれらの属性にも意味が読み込まれていたといいます。

語り続ければいくらでも膨らみ続けていきそうな、神話のパン種。

改めて、「発酵」というテーマ設定の妙を感じた今回の読書会とイベント。ある参加者の方は、人間の関係——それがふくらみ成長していくという営みも、まさに「発酵」と言えるのではないか、という非常に味わい深いコメントを残されました。

読書会も、また読書と本を巡る経験も、やはり同じだと言えるかもしれません。誰かの心に宿った種が、ある本との出会いを通じて増え広がり、またそれがその本を、あるいは連想でつながる他の本を介して別の人に届き、また広がっていく。本は、それ一冊で成り立つものではなく、必ず直接に間接に他の本との連環を持っているものですから。この一連の動きを「発酵」の例えで考えてみると、日々いろいろな本と出合うことが、何とも豊かな経験だと思えてきますね。

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Jun Kobayashi

Librerial Gravitation~本有引力~

本から本へつながる話 (※テキスト・画像の無断転載はご遠慮くださいね)
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