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本との台湾・台北

9月上旬、久々にゆっくりと書店を回る時間が取れた日のこと。とある大きめの書店を、新刊、話題書、フェア棚などから始めて、人文、社会、文芸、理工などを中心に、どの本を買おうかなとあれこれ思いを巡らしながら、のんびり書棚を回遊していました。

まず目に留まったのが温又柔『空港時光』。書評やSNSでその存在を知っていて、以前から買おうと思っていたのですが、夏に家族で旅行をしたり、「旅する本の雑誌」を読んだりしていたことで旅欲が刺激されていたこと、さらに昨年の台湾行からまもなく1年、旅先での記憶はもちろん、空港という場で感じる何とも言えない不思議な気持ちがふっと湧き上がってきたことで、今日はこれを買おう、と最初に決めました。

さらにしばらく回遊していると、新刊棚の人文系の本のところに、やはりいくつか気になる表紙やタイトルが。武田雅哉・編『ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい』など何冊かの本をパラパラと見てみていると、すぐ近くに、ほんのり淡い桃色のカバーとそこに描かれた女性の顔が印象的な本に気づきました。それが、野嶋剛『タイワニーズ』でした。

今からちょうど1年前、2017年の9月29日〜10月1日、私は台湾、台北の街を訪ねました。

小学生になった子供に、そろそろ一度、日本とは異なる言葉や文化の土地を経験させたいなと考えていたところ、折しも写真家の渋谷敦志さんから、台北で行われる文化人類学者の今福龍太先生とのトークへのお誘いを受けて、これはまたとない好機ということで、家族3人で初めての台湾に飛んだのでした。

外国を旅をするときには、基礎的な情報をインプットするため、また手続きとかインフラ関係でのロスをなくすためにも、やはりガイドブックを1冊は読むことが欠かせません。が、それと併せて、その地についての歴史や現代の事情について、たとえ入門的なものであっても予習をすることを習慣にしています。

今回、台湾に行くにあたって見つけた本が、先ほど挙げた『タイワニーズ』と同じ野嶋剛さんの書いた『台湾とは何か』だったのです。日本、中国との関係、そして東アジアという、より広い圏域における台湾の地政学的な位置について、細部にまでよく行き届いた見取り図が描かれます。複雑なバランスの上に成り立っている台湾社会についての、俯瞰的でとても冷静な分析。でもその端々から、著者の台湾に対する熱意が伝わってくるのがまたとてもよいのです。当時、まだガイドブックの基本情報にさえ十分に目を通していなかったのに、こちらを夢中で読んでしまいました。

あれこれと余裕がないながらも、ほかにも台湾を訪れる前に読んでしまった本があって、まずは藤本健太郎『タイポさんぽ 台湾をゆく: 路上の文字観察』。折よく旅の前にあった新潟出張の際、北書店さんにて見つけたものでしたが、こちらもまたツボにはまる、中毒的なおもしろさのある本でした。本書を読まずに台湾を訪れていたら、街に溢れる文字を、おそらく「ユニークな形だな」とは感じても、きっとそこまでだったと思われます。が、滞在中、すっかりさまざまな文字の形に魅了され、いつどんなところでも、目に楽しい時間を過ごすことができました。もちろん、台湾に行く予定がなかったとしても、ぜひこのマニアックなタイポグラフィの世界を堪能していただきたいと思います。

また、マニアックな、という意味では、「今、まさにおもしろい動きのある台湾、台湾の人の実像」をスタイリッシュな雑誌としてまとめた「NEIGHBORHOOD TAIPEI」も、台湾を訪れる前に読むことができてよかった1冊です。ガイドブックに載っているような、観光の場としてのわかりやすいイメージの台湾。そういう面も素朴に楽しみつつ、実際には、街にも人々にももっと多様な顔があるということを知っていて街を歩くと、目の前にある路地の奥への想像が広がって、ほんの少しですが、旅の奥行きが増すように感じられます。

そうして訪れた台北での滞在は、非常に充実したものになりましたが、その詳細はまた別の話。野嶋さんの『タイワニーズ』に話を戻しましょう。

ご存知のとおり……と言いたいところですが、私自身、台湾と台湾の人々が経てきたとても複雑な歴史について、年表的な事実としてはおよそは知っていたものの、それがどれほどの苦難や葛藤をもたらしたものであったのか、ということについて、真剣に考えてみたことはなかったと思います。今回、野嶋さんの『台湾とは何か』を読むことで、その問題をようやく初めて正面から見たのかもしれません。

『タイワニーズ』のサブタイトルは、「故郷喪失者の物語」。清朝以前の時代から、日本の統治時代、大陸から渡ってきた中華民国(国民党)の時代を経て、民主化以後の現代へ。その間、人が生きるうえでのアイデンティティの根幹となる言語の有り様にも大きなうねりがあり、世代間のギャップはときに家族の間にさえ大きな歪みを作り出すほど。そして、「日本は台湾を二度も捨てた」という帯文の通り、その歴史の経緯には日本が深く関与してきたわけですが、私自身の認識を省みても、そんな台湾の事情について、日本は驚くほど無関心であるように思われます。

そのような歴史に翻弄され、それぞれに浮橋を渡るように、しかし一歩一歩自らの道を開いてきた人物に焦点を当てて、政治、現代文学、芸能、食品産業、在日華僑といった多様な観点から、「タイワニーズとは何なのか」を描き出そうとするルポルタージュ。女優の余貴美子さんのルーツを辿っていった先のエピソードにほろりとし、私の家族も大好きな551蓬莱の起源の物語に心が温まったり。ちょうど昨日から放送が始まった朝の連続テレビ小説「まんぷく」の主題でもある、安藤百福氏のインスタントラーメン開発秘話に関しての、著者の推論と調査も非常に興味深いものでした。

そして、いちばんのインパクトは陳舜臣さんのこと。恥ずかしながら彼が台湾の人であることさえ失念していたけれど、私は、陳舜臣著の中国史ものを愛読していた時期があったのでした。小学校高学年の頃に吉川英治『三国志』(六興出版版のワイド版)に出合って以来、中国史のスケールの大きさに惹かれて、それまで好きだった日本のいわゆる戦国時代を完全に放棄。中学生の頃にかけて、吉川栄治、司馬遼太郎、陳舜臣、宮城谷昌光らの中国歴史小説にどっぷりとはまりました。『中国五千年』『諸葛孔明』、そしてなかでも『小説十八史略』は特にお気に入りの作品で、繰り返繰り返し読み、いまやカバーの背の色がすっかり退色してしまっていますが、本当に思い出深い本です。

この文章を書くにあたって、改めて司馬遼太郎『街道をゆく40 台湾紀行』を読みましたが、そもそもこの紀行文が書かれるきっかけの一つが陳舜臣さんの一言だった、というのはとても印象深いエピソードです。同窓の二人が言葉を交わし、そして一緒に台北の町を訪れ歩いている様子は、今想像してもなんとも贅沢な組み合わせで、またきっと本当に気の置けない間柄の楽しい時間だったのでしょうね。

さて、『タイワニーズ』では、現代文学をテーマとした章で、東山彰良温又柔という2人の作家を取り上げています。恥ずかしながら寡読にして、これまでお二人の作品はちゃんと読んだことがありませんでした。東山作品は、遠からず『流』から始めて読みたいと思いつつ、今回は、温又柔さんについて少しだけ。

作品は未読ながら、お名前や出自については一通り耳にしていて、第157回芥川賞(2017年上半期)の際の某評者の発言には、私自身大いなる失望を感じてもいました。そして昨年末に、たまたまこの記事を目にする機会に恵まれ、「なぜ本を、文章を書き続けるのか」、その強い意志のこもった文章に、非常に胸のすく思いがしたことを覚えています。

この記事の冒頭に挙げた「空港時光」、そして初期の作品である「好去好来歌」「来福の家」『来福の家』所収)を読みました。温又柔さん自身の経験や実感、そして温又柔という人間をかたちづくっている、その根っこにある滾るものが作中の登場人物に投影されていて、言語、文化、アイデンティティなどにかかわる絡まり合った問題を、ときに激しく、ときにふわりと、この世に叫んでいるような。そんな印象が、どの作品からも感じられます。

初期の作品のほうは、主にはある一人の人物が内側に抱えている問題を核としながら、やや長めの作品のなかで、ゆらゆらと文のリズム・人格・時間が揺れ動いていくような。一方の「空港時光」のほうは、人も場面も物語の雰囲気も、パタパタとカードをめくるように短く移り変わっていきますが、その個々の物語や言葉が重なり合うことで、もう一つ大きな物語が読み取れるような感覚があります。

あくまで個人の好みという面もあるかとは思いますが、「空港時光」のこの多層的な語りはとてもよく練られていて、先述の芥川賞選評を超えていくあり方の一つのかたちなのでないか、というふうに思いました。改めてノミネート作の『真ん中の子どもたち』も読んでみたいと思っています。そして、個々の物語のなかには、「タイワニーズが抱えるジレンマ」に留まらず、現代社会で生きるさまざまな面でのマイノリティが抱える多様な葛藤がテーマとして織り込まれていて、温又柔さんの作品を、言葉を、もっともっと読み込んで、それぞれの問題についてちゃんと立ち止まって考えてみたいと感じています。

著者も、書かれた年代も、ジャンルも、それぞれ全く異なる本をとりどりに手に取りましたが、読み進めるほどに、台湾に対する自分の無知や無関心を掘り起こされていくようで、もはや素朴に観光の地としては享受できなくなってしまったな、という感覚があります。(これはどこか沖縄に対する感覚にも通じています。今回の旅とそれにまつわる読書を通じて、風土も文化も、歴史的に置かれた境遇も、沖縄と台湾は非常に近似しているのではないか、ということを強く感じました。この点についても改めて、考察や議論をしてみたいものです)

やや重たい締め方になってきましたが、一年前の台湾の旅は非常に素晴らしいものだったし、こうして本を通して学ぶことで、ますます興味を惹かれています。私はまだ台北の街のごく一角を目にしただけで、言葉とコミュニケーションについての関心も高まっています。「Spectator」23号、“2011年春・夏 - 台湾横断 自転車旅行…”を見て、まだ訪れていない南部から、台北に向けて、いつか自転車旅行をしたい!……なんて夢想をしたりもしています(ちなみに、今はすっかり休業中ですが、私は元々バックパッカーで、また自転車ツーリストでもあります)。

また、今回は、誠品書店(地下鉄中山駅の「誠品R79」と、松山文創園区の「誠品生活松菸店」の2店舗)と、件のトークイベントが行われた田園城市風格書店、それにごく普通の町の書店を2件ほどしか見ることができませんでしたが、台湾、台北の書店、出版カルチャーもすごく気になっています。それこそ現状の国の枠を超えて、台湾、台北がハブになって、東アジアのユニークな出版カルチャーが生まれることもあり得るのではないか?などとも考えたり。

そんな折に、ちょうどこんな魅力的な本が出るようです。前作のソウル編を見れば、否が応でも期待が高まります。今はまずこの本を読んで、台北の街に思いを馳せ、同時にあれこれと掘り下げるべきテーマについて考え続ける。そしてまた遠からず、じっくりと現地の空気を味わう旅に出たい、そう願っています。

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