車がやってくるまでの、内側と外側のストーリー
宮崎に来てから3ヶ月とちょっと。
ずっと探していた車が、最近、私の元へとやってきました。
気にかけて探してくれた方、情報を下さった方、
一緒に車を試乗しにきてくれたみんな(すごいたくさんの人巻き込んだな…)、意見をくださった方、そしてきっと無意識のレベルでもアンテナを張ってくださっていた方々に、
この場を借りてお礼を申し上げます。
皆さまとの集合意識が叶えてくれたこのお恵み。
本当にありがとうございます。
一人一台所有することがほぼ当たり前の宮崎において
車を持たずに生活する3ヶ月はとても長く感じられて
はじめのうちは、「早くゲットしなきゃ」と焦る時期もありました。
そもそも自分はどんな車が欲しいのか。
それに対する自分のマインドが、この3ヶ月の間に揺れ動き変化する様子を観察するのがとても面白かったんです。
まず「安く手に入ればなんでもいい」というマインドで挑んだ車探し。
最初に紹介していただいた3台ほどの車を全て試乗はしてみるものの、
「なんでもいい」はずが、「ちょっと狭い」「高速を乗るには不安」
「なんかしっくりこない」「もっといい条件のものがあるはず」
と、せっかくお話をいただい他にも関わらず、
全く「なんでもいい」くない自分がいることに気がつく。
なるほど。
なんでもよくないなら、少し希望の条件を決めた方が
探すのもスムーズになるんじゃないか。
そこで、「維持費が安い軽がいい」
「デザインは、レトロなのがいい」
「でも、軽の安っぽい感じがどうも好きじゃない」
「軽は運転し心地がよくない」と、
まあ出てくる出てくる、一度始めると止まらない「好き・嫌い」のゲームが(笑)
さらに周りからは「あまりに安すぎるものを買ったら結局後から修理代でお金がかかるから最初にそれなりに投資して長く安心して乗った方が長い目で見て経済的」という、
あまりにごもっともなご意見をいただいたりして、
まともに整備された車を買えるほどの予算はないため、ふむ・・じゃあ今すぐは車買えないな・・・
でも車がないと本当にどこも行けないし、困ったなあ・・・
と途方に暮れる時期もしばらくあり。
気づけば10日間、今住み込みしているカフェを出ていなかった時期もありました。
そんな中でやってきた、レトロで可愛い軽のオファー。
が、実際に買うか?買わないか?を迫られると、「車が小さいから友達が訪ねて来た時に荷物全然乗らないなあ・・」と、
自分の日常のことより、そっちが気になって決めきれない自分がいることにも気づく。
ここでも、人に相談すると、
(人の意見)「そもそも、人のことまで考えるべきなのか?」
(人の意見)「友達は自分でレンタカーしたりするから気にしなくていいのでは?」
と、自分の感覚とはまた別の意見をいただき、
私は「そうか、そこまで心配しなくてもいいのか。でも、やっぱり人が来た時困るよなあ・・・」と、堂々巡り。
そんなこんなで決めきれずにいた矢先、
・レトロで
・手頃で
・軽バン(広い!)
という、「条件」は完璧に満たしている車を発見。
試乗しにいくまでの日々は、その子が手に入ったら、一緒にあんなことして、こんなことして、、、と、妄想が止まらない。
が、実際に試乗してみると、「感覚」はピンと来ていない。
この子に乗りたい!という感覚が湧いてこない。
あれ???あれれ????
欲しいモデルの車だけど、厳密にいうと色と窓の配置が好みじゃないから?
わたしは、そこまですききらいが激しくなってしまったのか?……
そして気づくと、そのある特定のモデルに意識を向けているからか、周りでその車を持っている人に連続で出会うという出来事が起こり始める。
が、その車に乗せてもらっても、なんだか自分のものになる感覚、がしてこない。
おかしいなあ…
そうやって、また自分がよくわからなくなり決めきれずにいる私を見ていた友達は半ば呆れモード。
そうなると自分を責め始める自分。
周りに人にこれだけ手伝ってもらったり相談乗ってもらってるのに、
コロコロほしいものが変わったり、決めきれずにいる自分が
情けなく思えてくる。
(今思えば、そんなの気にしなくていいのにね。)
毎晩、ネットで情報を探しては、寝不足の毎日。
もう、車探しをすること自体が苦しくなってきた。
そんな中参加した、熊本でのアースバッグアシュラムづくり2週間のキャンプ。
宮崎から離れ、車探しからも一旦離れることのできた、心安らかな時間(笑)
しかもこの期間中に、「俺の知り合いの車屋さんに探してもらうからどんなのがいいか言ってみ〜」と、車探しを委ねられる人を紹介してくれる救世主が現れる。
自分のできること全部やって、それでも物事が動かない時は、天に委ねる。
そうすると、神様が必ず差し出してくれる助け舟。
「ひとまず、私は手放そう。そして、このプロの方に、お任せしよう。」
そう思いながらアースバッグキャンプを終え、宮崎に帰ってくる。
宮崎に戻ってしばらくたち、そういえば、そのプロの方からの連絡はない。
「やっぱり条件が(というか予算が)厳しすぎるよなあ…」
でも、その時ふと気がついた。
「あれ、私さいきん、車なくても困ってないじゃん」と。
仕事の日はそもそも外に出る時間はないし、
オフの日は誰か友達が訪ねて来てくれて、
行きたいところに一緒に行く、というありがたい流れができていたのもある。
そして「車がないと困る」から「車がなくても困らない」というマインドの変化は、
「今ここにないものを欲する」マインドから
「今ここにあるものに目を向ける」マインドへの変化でもあった。
「出かけられないなら今ここにあるもので何ができるか考えよう」
「今、その買い物をしに出かけられないということは、数日後に誰か友人と一緒にいけるタイミングがきっとベストタイミングなんだ」と、
もっとゆったりとした、大きな時間の流れで物事を捉えるようになっている自分に気がついた。
今、望みが叶わないことには理由がある。
宇宙は、完璧なタイミングで、必要なものを与えてくれる。
だから、私はリラックスして、ただその時を待ってればいいんだ、と、
はじめの頃は「早く手に入れなきゃ」とガチガチだった心をやっと緩められるようになった3ヶ月目。
そうすると、再度、オファーが何件か連続でやってきた。
どれも魅力的だけど、ドンピシャでヒットしない。
うーむ・・・惜しい、惜しいんだけどなあ・・・
そんな中、ある日、友人から一件のメールが舞い込んできた。
「順子さん、もう車は買われましたか?」
「友人が、格安で譲る方を探していて。」
ここからは、早かった。
早速見せていただき、予算的にも、車の広さも完璧だ。
売り手の方も、「この人が乗っていた車を引き継ぎたい」と思える方だった。
私が苦手な、軽特有の加速の弱さも、
こちらはターボなのでむしろ良すぎるくらい。
何より、車を触らせてもらった時の感覚で
「この子だ。」となった。私が乗っているイメージができた。
年季の入っている子だから、色々と不具合はあり、
他の人だったら気にするであろうそういったimperfectな部分もひっくるめて、すべてに愛着が湧いた。
売り手の方が「不具合、こことここと、こことありますが…」とおっしゃるのに対し、
「私、それ、全然気にならないです。」と、
考えるより先に言っている自分がいた。
見た目や、色も、探していたものとはかけ離れているけれども
頭で考える「いい・悪い」を超えた、
「なんだかわからないけどこの子を迎え入れます」という感覚。
「こんな車がほしい!」という欲を、たとえばがんばって貯金して満たす、のではなく、
「自然な流れで巡ってくるものを受け入れる」という流れが、
なんとも自分らしいなあ、と、腑に落ちて、
今までの悩みはなんだったのか?と思うくらい、
今回は悩むことなく、すんなりと心が決まっていた。
後から振り返ると、その車がやってきたのは、
会いたい人が宮崎に来た次の日だった。
なるほど。「さあ、この車で会いに行っておいで」
と、神様がそっと差し出したくれたようだ。
そう考えれば全てがmake senseする。
どうして3ヶ月間もの間、私は車を手にすることができなかったのか。
それは、神さま(宇宙)が与えてくれた、
自分は何を求めているのか、車探しを通して自分を知るという経験でもあり、
人の意見と自分の感覚の境界線を学ぶというレッスンでもあり、
自分一人では行きていけないこと、人に頼り、頼られ、助け合いの中で生きているということを実感する経験でもあり、
そして「必要だ」と思い込んでいるものが果たして本当に「必要」なのかと
もう一度問い直すことでもあり、
最終的には、何も心配しなくても、「本当に求めていることはしかるべきタイミングで叶う」ということを通して、宇宙への信頼をまた一つ確実にする体験でもあった。
こうして私の元へやってきたVamos (バモス)は、
スペイン語で”Let’s go”という意味で、
カリフォルニアに住んでいた頃、私が好きでよく使っていた言葉でもあった。
Let’s go
on an adventure
Let’s go
to where our hearts take us
これから、心の赴くままに
ハートがうずく方へ
共に冒険に行こうね
Vamos!
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