見出し画像

夏空 - Natsu Sora -Opposite

 さっきまで降っていた雨も上がってしまったが、帰りが遅れた言い訳には使えるだろう。半ば願望交じりではあったが、そんなことはたいして重要ではなかった。

 駅から続く地下道のこの場所は、特に理由もないが個人的なお気に入りのようなもので、週末予定がないときにはここにきていた。いやむしろ、予定を合わせて来ていた。

 特に何かを期待してのことでもない。ただの暇つぶし。ここでストリートミュージシャンの演奏を聴く。週末のひととき、ただなにをするでもなく、しなければならないでもなくするべきでもなくただそこにいる。ただそうしたかった。どこの誰でもなくなりたかった。

 仕事帰りのサラリーマンやOL.家族連れ、或いはこれから遊びに行くのか帰るのか子供たち。週末の地下道で立ち止まる人もまれで、そんななかで目立ってしまうのは避けなければならなかった。あくまでも通行人、そのうちの一人。しかし、目の前を通り過ぎては戻ってくるというわけにもいかない。難しいところだ。

 なぜそうまでして聴きたいのか、実のところ自分でもよくわからなかった。例えば大勢で踊りながら歌うような流行り歌も、カラオケにでも行けば周囲に合わせて歌うことも苦にはならなかったが、特別そのうちのどれかに入れ込むようなこともなかった.。

 歌も歌えなければ何か楽器が演奏できるわけでもない。音楽の成績がよかったことなどないし、曲の良し悪しなどわかりはしない。ただギターを弾き歌う彼の前を通り過ぎる人々に、どうにか紛れ込みながら聴く。そうして、ただ聴いていられればよかった。

 持ち歌をあらかた歌い切って顔を上げた彼と、目が合った。まずい、と本能的にそう思った。何がまずいのかはわからない。ただ、彼に話しかけて仲良くなりたいわけではない。もちろん積極的に悪く思われるようなことをするつもりもないのだが、知り合いや友達ではなく「彼」の演奏を聴いていたかった。

 顔を伏せ、足早に歩き去って人ごみに紛れる。さすがにあとぉ折ってくるようなことは無かった。それを残念に思っているのか安心しているのかは自分でもわからなかった。ただ、来週も来よう、とは思った。

 再び歌い始めた彼の歌声が、遠くなっていく。

言葉探して
並べ唄うよ
僕は唄うよ

途切れないように繋ぎ続けて
翳る記憶を失くさないように
迷わないように手を伸ばして
揺れる感情 宿し放つよ
夏の空に

声嗄れて
言葉さえも失う日まで
僕は唄うよ





あるいはこちらが



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?