カフェで母と過ごせば。

久しぶりに母と二人でカフェに行ってきました。母と私は呑み友達ならぬ『カフェ友達』なのです。時々、思い出したように誘いあってカフェに向かう私達。

もちろん急な予定や気分次第でドタキャンも『アリ』なのは私達の暗黙のルール。お互いその辺りはサッパリしているので、「じゃあ、また時間があうときに」と言った気楽な感じ。そう言いつつも、母が私に随分とペースをあわせてくれているのは、私自身がよく知っているのだけど。

明るく世話焼きで、フットワークの軽い母。私がトレーニング用にと購入した、蛍光ピンクのadidasのシューズを「あら、履かないのぉ?それならちょっと貸して」と素早くかすめていったきり、全然返す気がない母。これは母がピンク好きだった事を失念していた完全な私のミスだ。

シューズ奪回にむけて「それ、最新モデルなんだよ。ソールも最先端の技術で作っているみたいで、値段も結構高かったんだから!」だから速やかにお返しくだされ。と訴えてみた所で効果なし。「やっぱり高いやつは違うわぁ」と感心している模様。

娘にシューズを返す気など全く考えていない。欲しかった物をやっと手に入れた、少女のように純粋で無邪気な母の横顔。もう完全に脳内で私物化されている。しょうがない、今回は諦めるか。と心の中でため息をつきつつも、胸の中は幸福感で満ち溢れていた。

例え最新モデルのシューズを一万足ほど揃えたとしても、足りない。とても足りなさすぎる程の大きな大きな愛情と力強い心の支えを、これまでの人生で私は母から受け取っているから。

〈私はカフェオレとワッフルをオーダー〉

不意に訪れた、父の病気、入院、休職。悪化はすれど完治はしない病名。「死にたい」と娘につぶやく父親。当時、学生だった私にこの言葉は刺激が強すぎた。

それからは家のドアを開けるタイミングで、首を吊った父親の姿が頭に自然と浮かぶようになってしまった。今日は生きているのかな。死んでいたらどうしよう。死んでるかもしれない。そんな風に呪いの言葉にとらわれ、首をしめられた気になっていたのは私の方だった。でも、そんな不吉な事を、想像上の事を、誰かに相談なんて出来なかった。それ以前に『自分が底のない沼に沈みかけている』事に気がついていなくて、助けを求めるという手段さえ思いつかなかったのだ。

たった一度の父の弱音を真に受けて、私は短期間で十キロ近く痩せることに成功した。どうしてあの時「お父さん、何言ってるの?大丈夫だよ」って明るく切り返せなかったんだろう。

それからも祖父母の介護。兄の死。逃れられない嵐のような日々を、乗り越えてきた母に対する気持ちは、共に戦った戦友と呼ぶのに相応しい気がする。私は商品化できる程度には、豆腐メンタルなので、母の右腕どころか小指くらいの役にもたたなかったけれど。

〈母はカレーライスと珈琲をオーダー〉

でも。それでも、ちょっとでも母の力になりたかった。大好きな母の支えになりたかった。あの時期、母の奮闘を一番近くで見ていたのは私だった。私だけだった。私だけが、口には出せない母の気持ちを理解していた。と今でも思うのだ。

そんな母と二人でカフェに行き、穏やかで普通の日々を過ごせる事が、何よりも幸せな時間だったりするのだ。

ちなみに父は溺愛する二匹のワンコに囲まれ、まあまあ元気に暮らしています。数年前にかなり効果のあるお薬と出会い、身体も楽になったようです。人生って本当にわからないものですね。
#エッセイ #コラム #家族 #病気 #母親 #カフェ #カフェオレ #珈琲 #写真



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月野つばさ

君と私のcafe time。

カフェでホッとひと息ついた時に、読みたくなるようなエッセイを中心に綴っています。語り手は私ですが、一緒にcafe timeを楽しんでもらえたなら何よりです。
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