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絵にもかけない美しさ

初めてnoteで何か書いてみようと思いたって投稿してから明日で2週間になる。

二週間のうちテキストを書かなかったのは、会社の飲み会で泥酔した日だけで、それでもなんとか書こうと呟きだけ残した(次の日内容を見てちょっと驚いた)

昨日もへとへとでベッドの中で朦朧としながらも書ききった。

毎回何か書こうとするたびに

「他の誰かが、もっとすごい誰かが、何度も書いてることをわざわざ私が今書く意味ってあるの?」

ともう一人の卑屈な私が囁くけれど、それでも私は私の視点で考えを綴って、それを世に出していいと言い聞かせている。

The artist wayもかなり佳境に入ってきた。

自分の創造性回復のために、noteでテキストを毎日書き、週末は写真を撮りに出かけ、別のSNSでアップすることをずっと続けている。

只ひたすらに、私自身のために。


私は最初に書いた通り、スマホで写真を撮ることにこだわっている。

カメラにこだわった方がいいんじゃないかとか、技術を学んでみたらもっと良いものが撮れるかもしれないとか、色々考えた時期もある。

平安時代の人がいとをかしと思い立った時に、さっと和歌を詠んだように、その時の感動をすぐ封じ込めたい。

色々構図や光の加減を考えるより、できるだけフレッシュな状態で撮りたい。

その気持ちが強くて、スマホでの撮影を続けている。

ほとんどのものはうまくいくのだけれど、このところずっと撮り逃しているものがある。

それは、我が家のベランダから見えるとても大きくて神秘的な満月。

満月の日になると、毎回ベランダに出て月見酒をしたり、暖かい日はベランダでご飯を食べる。

毎月本当に綺麗だからベランダで独り占めも嬉しいんだけれど、でも誰かに教えたくてたまらない。

だけど、スマホのカメラじゃ上手くいかないジレンマ。

色んなところで色んな経験をして、その時の五感や感動を少しでも残したいと思う心はどの時代もきっと同じ。

でもどんなに技術が発展しても、その美しい瞬間を完璧に残すことも、自分の感覚を100%伝えることもできないからこそ、今度は大切な人と一緒に経験したいと思うのかもしれない。

ぼやけた豆電球のような満月の写真を送って、今度は一緒に見ようと伝えよう。





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