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滋賀一周ラウンドトレイルができるまで〜滋賀一周トレイル開通へ

余呉トレイル西部開拓

整備はまだまだ続く。

続いては、余呉トレイルである。自分で一周したときは、断続的なヤブが現れて閉口した区間である。奥伊吹の猛烈なヤブに比べたらマシだとは言え、レース中にあんなヤブが出てきたら辛いだろう、という状態ではあった。せめて、腕でかき分けないと進めないようなヤブは無くしておきたい。

自分が来た時は、行市山の北側の笹ヤブが激しすぎて、気持ちが萎えてしまい、そのまま下に降りてしまった。まずはこの区間の笹ヤブから片付けて、西の愛発越に向けて進んでいくことにした。

ここでもまた、強力な助っ人が登場。余呉トレイルクラブの前田さんが、新調した刈払機を携えて手伝いに来てくれた。さらに、丹羽薫さんも手伝ってくれた。

2日ほどかけて、柳ケ瀬から三方ヶ岳まで進んだ。季節は3月で、通常であれば積雪で山に入ることも難しい時期である。しかし今年は、2月の積雪が少なく、奇跡的にこの時期に整備を進めることができた。いろいろな奇跡が重なり、最初のシガイチを応援してくれているように感じた。

この行市山から柳ヶ瀬山にかけての尾根は、かつて織田信長が亡くなった後、その後継を巡って柴田勝家と豊臣秀吉が戦った賤ヶ岳の合戦の際に、柴田勝家軍の佐久間盛政が陣を構えた場所で、尾根の上には砦の跡が点在している。

恐らく、この尾根を武士や馬が駆け巡っていたのであろう。賤ヶ岳の合戦は1583年だから、もうかれこれ430年も前の出来事である。武士はみんな、今風に言えばトレイルランナーだったんだろう。馬が通れるように、ここは一定の傾斜になるように道を付けているんだな。などと、遥か昔の人々が通っていた頃に思いを馳せながら、いにしえの道を復活させていくのは面白かった。

孫兵衛さんとの出会い

東側から三方ヶ岳まで進んだその次は、新道野から反対向きに孫持山方向に入る。この時、新道野でお茶屋「孫兵衛」を営まれている西村孫兵衛さんにご挨拶ができた。聞けば、秀吉の時代から初代西村孫兵衛さんがここで問屋を営まれており、十数代目の「孫兵衛」を襲名されているということだった。

そもそも現在国道8号線となっている「新道野越え」は、この初代西村孫兵衛さんが「深坂越え」に代わるルートとして開拓した東近江路の道で、その峠に問屋を置き商売を始められたとのこと。それまで、近江から敦賀方面に抜ける道は、深坂越えがメインルートで、そこに沓掛問屋という問屋が置かれて繁盛していたが、より高低差が少なく歩きやすい新道野越えが開拓されると、みんながそちらを通るようになり、沓掛問屋は廃業に追い込まれたそうである。

ということは、孫兵衛さんは「トレイル開拓の大先輩」ということになる。秀吉の時代に、自ら山を切り開いて、多くの人が行き来する道を作ってしまったのだ。トレイルをつなげる活動を続けている身として、勝手に親近感と尊敬の念を覚えてしまった。

この「孫兵衛」には、その他にも面白いものがある。なんと松尾芭蕉の「奥の細道」の清書本が保管されており、国の重要文化財に指定されている。江戸から旅に出た芭蕉は、東北地方を巡った後に、最後は敦賀で旅を終えている。そこで製作された清書本が、回り回って西村家にたどり着いたそうで、ここに保管されている「素龍清書本」は、別名「西村本」とも呼ばれているのだ。

偶然であるが、僕が滋賀一周の旅に出る時に、

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
・・
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず。

という奥の細道の冒頭文を引いて、まさに「片雲の風にさそわれて」旅に出た。その「奥の細道」に、まさかこの場所で出会えるとは、と運命的なものを感じずにはいられなかった。

「孫兵衛」のある新道野を挟んで、東西に連なる山は、どちらも西村家の山である。(実際、新道野の東側の尾根を登りきったピークは「孫持山」と名付けられている。孫兵衛さんがお持ちの山だからこの名前になったのであろう)

孫兵衛さんに、山の整備をさせて頂くこと、大会で通らせて頂くこと、当日はエイドとして駐車場を使わせて頂くことをお願いすると、どれも快諾いただいた。ありがたい限りである。山は、数十年の契約で林業事業者に貸し出しているが、上手く経営が続かず放置されていたとのことで、整備をしてもらえるのはありがたい、ということだった。

孫兵衛さんのお墨付きも頂き、孫持山方面に1日、深坂越方面に1日整備を行って、県境の分水嶺をつなぐルートが出来上がった。深坂越方面につながる尾根道は、畝本さんが1人で整備したため、チーム内では「うね尾根」と名付けられた。(女性が1人でチェーンソーを持って山を整備した、というのもよく考えると随分極まってきている)

整備の後は、孫兵衛の名物「とろろ蕎麦」を食べて帰るのが楽しみだった。

滋賀一周トレイル開通へ

余呉トレイルの最西部、深坂越〜愛発越区間が開通すれば、いよいよ滋賀一周トレイルの開通が見えてくる。この区間にも2日間ほど通い、整備が完了した。

さらに、一番最初に手を付けた八草峠から金糞岳に向かう道の仕上げを1日行い、滋賀一周トレイルは開通する予定だった。

もう、季節は4月に入っており、大会まで2週間しかない。ぎりぎりのタイミングで、なんとか整備を間に合わせることができる、と思っていた時、衝撃的な事実が飛び込んできた。

鳥越峠の北側の林道が、斜面ごとごっそりなくなっているという。実際に行ってみると、確かに通行できる状態ではなかった。

この区間は、金糞岳の登山口から林道を通る予定だったし、林道の上にウォーターエイドを置く予定だった。その道が崩壊しているということで、考えられる策としては、鳥越峠の西側のピークから、県境稜線のヤブを開いてトレイルを数百メートル付けることだった。今の力であれば、1日あれば作業ができる距離ではあったが、大会2週間前の状態で現地には1m近い雪が積もっていて、作業ができない状況だった。

さらに、整備メンバーの予定も埋まっており、唯一作業ができるとしたら、大会の前日、4月27日しかなかった。その翌日から、激しい8日間が始まることを考えると、できれば大会前日の整備は避けたかったが、他に方法はなかった。

27日、朝6時には現地に集まり、早めの作業完了を目指して現場に入った。幸い、積雪はなくなっており、作業を進めることができたが、なんと雪が降ってきた。寒い雪の中、作業を続けること数時間、ついに、最後の整備作業が終わり、滋賀一周トレイルが開通した。

達成感はあったが、翌日から大会本番を迎える緊張感もあり、奥伊吹の開通の時のような「やり切った感」に酔いしれる気持ちにはならなかった。むしろ、大会にぎりぎり間に合ってよかった、というホッとした気持ちと、いよいよ明日から、全国から選手が集まり、本番が始まる、という緊張感が増してきた。

時間をかけて整備してきた道を、ついに選手たちが走ってくれる。その光景は、長い長い間、ずっと夢を見続けてきた光景だ。自分たちが整備した道を選手が走る姿を見た時、どういう気持ちになるのだろう。選手はどう感じてくれるのだろうか。

果たして、滋賀一周を完走できる選手は現れるのだろうか。大会はうまく回っていくのだろうか。

大きな期待と、不安と、ドキドキと、たくさん入り混じった気持ちを抱えながら山を降り、明日からに備えることにした。


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