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滋賀一周ラウンドトレイルができるまで〜冬場の整備

冬になると1000m級の山々には雪が積もって、さすがに整備はできない。しかし、南部の低い山には雪は積もらず、冬でも入ることができる。

秋に整備作業が一段落し、冬はしばらく休めるかなと思っていたが、よく考えると奥伊吹エリア以外は全く手がついておらず、5月の開催を考えると休んでいる場合ではなかった。

幸い、コース管理チームの面々も整備技術が上がっており、コアメンバーの畝本さん、松田さん、山元さん、久保さんが集まれば、だいたいの道は整備できるチームになっていた。そして、整備メンバーはすでに週末に整備を行うのが日課のようになっていて、「次はどこをやるんですか?」と言わんばかりの状態になっていた。なんとも頼もしいチームである。

まずは久しぶりに京都から近い山に入ってみたが、まだ9月の台風の影響で倒木で道が通れない状態になっている箇所が残っていたため、できる範囲で整備を行った。

その調査の際、倒木の上で、ヨガインストラクターでもある仁下さんが突然ヨガを始めた。このインパクトある写真の影響で、コース管理チーム内ではその後、「倒木ヨガ」が流行り始めた。以後、倒木を見つけるたびに「とりあえずヨガしますか」というやり取りが繰り返されるようになってしまった。

瀬田周辺の整備

冬場に入って次に手を付けたのは、第8ステージに当たる大津市付近のトレイルだ。ここはもともと、笹間ヶ岳から北側に下り、ロードをしばらく走って千頭岳につなぐ予定だった。しかし、このルートだと長いロード区間を走らなくてはならない。

そんな時に、地元シガウマラ(滋賀県をベースとするトレランチーム。タラウマラ族をもじって名付けられたため、関西ではシガウマラ族と呼ばれている)の族長である奥村さんが、「もっとトレイル率を上げるコースがあるよ」と教えてくれた。

笹間ヶ岳から西に尾根を進み、立木観音から袴越山を通り、岩間山方面に抜ければトレイルをつなげられる、と言うのだ。

早速コースの目星を付けて下見に行ってみると、確かに大体トレイルがつながっているし、トレイルの無い区間も何日か整備すればコースにできそうだった。

そこで早速整備作業を開始し、3日ほどかけて通りやすいトレイルにした。シガウマラの奥村さんも作業を手伝いに来てくれた。しかし、奥村さんが想定していたルートは、僕たちが整備を行ったルートよりはもう少しロードを通るルートだったらしく、まさかトレイルが殆どない区間を道にしてしまうとは思っていなかったようで、その発想と整備力に驚かれていた。

奥村さんが驚いていたのは、具体的には袴腰山〜岩間山の区間を、稜線を伝って通したルートだったが、もともと薄っすらとマーキングと踏み跡があったし、岩間寺の御住職にも了解を頂けたので一番きれいに尾根を伝うコースにした。

「こんなところをコースにするんですか」と奥村さんは驚いていたが、整備チームのメンバーは、奥伊吹の笹ヤブに比べたら、もはやヤブのうちには入らない、くらいの感覚になっていた。

確かにこの頃はもう、山を進む時に、道があるかどうかなんて全然気にしなくなっていた。地形図を見て、通りやすそうな尾根があれば、それが道に見えてくるのだが、よくよく考えたら一般的な感覚からは随分ずれているかも知れない。

第7ステージの後半と、第8ステージの整備は、この後奥村さんやシガウマラの皆さんが引き受けてくださり、東海自然歩道の調査や、立木観音の迂回コースの調査、マーキング、試走など、全部を受け持って頂いた。とても心強かった。

比叡山から比良山のつなぎ

瀬田周辺の区間の整備が終わると、次は比叡山と比良山をつなぐ区間に手を付け始めた。ここは以前から、丸山さんや梶さんが担当してくださっている区間で、夏にも下見をしてもらっている。

基本的には、比良比叡トレイルさんがコースを策定されていて、できるだけそのルートを尊重して通らせて頂くつもりだったが、比叡山と比良山を繋ぐ部分で国道を数キロ通る区間があり、そのままでは大会で使いづらかった。そこで、比叡山の北端から比良山南端の霊仙山まで、うまくトレイルでつなげる道を探していた。

丸山さんや梶さんに声をかけて、候補となるルートの下見に行った。比叡山の北端の宮めずらから還来神社までの区間は、事前に丸山さんたちが目星をつけておいてくれたおかげで、すんなりと良いルートが見つかり、そこをコースにすることにした。

さらに、還来神社から霊仙山までは、久保さんが以前から個人的に調査を繰り返しており、大体のルートの目星をつけてくださっていた。実際に行ってみると、そこが一番良いルートだと思われたので、そちらも久保さんの案を採用することにした。

こうして比叡山から比良山をつなぐ区間もコースが決まり、整備は丸山さんたちに引き続きお願いして行ってもらった。丸山さんは還来神社や地区の方ともお話をしてくれたおかげで、本番には地元の方が応援にも来てくださった。

また、ちょうど同じ期間に、比良比叡トレイルの方々も整備を行われたようで、尾根のルートが分かりやすくなっていた。そちらもありがたく通らせて頂くことにした。

伊吹山の麓をトレイルに

コース管理チームはさらに、次の区間の整備に進む。次に手を付けたのは、伊吹山から下り、鈴鹿山脈の霊仙岳につなぐ区間のロードである。この区間はもともと、伊吹山からメインの登山道を下り、柏原の奥のトレイルの入口まで、約9kmほどロード区間になっていた。

正直なところ、自分で滋賀一周をした際には、伊吹山を下って、ロードに出た時にほっとしたことを覚えている。おそらく選手もここまで来ると、「たまにはロードを走らせて欲しい」と思うんじゃないかという気もした。(そして実際、大会期間中には、「あの里山は要らないでしょ!」という声が複数聞こえてきた)

しかし、これから「滋賀一周トレイル」として整備を続けていき、多くのハイカーさんにも楽しんでもらうとしたら、9kmもロードがあるのはやはり完成度という点では下がってしまう。あくまで「トレイル」にこだわりたい、と考え、山を通るルートの調査に入った。

この区間の調査は、伊吹山や霊仙岳でトレイルランのイベントを開催されていて、伊吹山付近を拠点に活動されている安田さんにも参加いただき、いろいろと教えてもらいながら進んだ。

地図や各種記録で目星を付けていたルートを辿っていくと、大体想定通りのルートでうまくトレイルを辿ることができそうだった。上平寺から長久寺まで、大きく2つほど山をつないで進み、長久寺で一度中山道に下りる。

その後JR東海道線と国道21号線を渡って、すぐに鈴鹿山脈の北端の尾根に取り付き、そのまま100kmの鈴鹿山脈縦走路に入る。霊仙岳につながる県境尾根も、比較的歩きやすい状態だった。安田さんが米原市や林業組合の方とお話してくださり、こちらでも成田さんが米原市と、コース管理チームで地区長さんなどとお話し、コースにすることができた。

この長久寺は歴史のある集落で、かつては中山道の宿場町として栄えた場所である。集落の中には三重・岐阜県境の碑が立っていて、かつては近江と美濃の国境だった。その国境を挟んで、奥州へ落ち延びた源義経を追う静御前が、壁越しに美濃側の宿にいた義経の家来の源造と話したという、「寝物語伝説」が残っている場所である。

また、長久寺の手前にそびえる「野瀬山」には「長比(たけくらべ)城」という山城の跡があり、今でも「狼煙(のろし)駅伝」と言って、山城の上で狼煙を順番に上げて、琵琶湖を一周するイベントが行われているそうである。

滋賀県には、それ以外にも歴史ある街道がたくさん通っている。滋賀を一周すると、どこかでそうした街道と交差する場所があり、その土地その土地で歴史を感じられるのも滋賀一周トレイルの魅力だ。

長久寺から少し関ヶ原に進んだ場所には、かつて「不破の関」があり、鈴鹿山脈を南下していくと、東海道の関所である「鈴鹿の関」(現在の鈴鹿峠)がある。また、高島トレイルの最東端は「愛発(あらち)の関」が置かれていた場所であり、これら3つの「関」が「三関」と呼ばれていた。「関西」とは、この「三関」の西側、という意味で、その「三関」全てが、滋賀一周トレイルの近くにあることになる。

まだ雪が降る寒い季節だったが、2日間ほどでこの区間の整備も行い、最低限通れる状態にできた。


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