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滋賀一周ラウンドトレイルができるまで〜奥伊吹トレイルの整備・前編

実行委員メンバーとの出会い

コースを下見しながら、並行して、成田さんが中心となってNPO法人の設立を進めた。一周レースを開催するだけでなく、地域に根ざし、環境を守り、沢山の人に愛されるトレイルを維持していくためにNPO法人を設立することにしたのだ。

法人登記申請を行いながら、活動に協力してくれる人を集めるためにイベントを開催した。滋賀県を一周するトレイルを整備し、そこを舞台とした大会を開催する。そのプロジェクトに興味のある人を募ってイベントをしたところ、数十人の人が集まってくれた。

まだ何も形が無い中、コンセプトだけでこれだけ人が集まるというのは、滋賀一周のコンセプトの分かりやすさと魅力を象徴していると感じた。

トレイルの整備へ

そうやって集まってくれたメンバーの中に、トレイル整備を始める際のキーパーソンとなるメンバーが含まれていた。1人は余呉トレイルクラブのメンバーであり、ウッディパル余呉の支配人(当時)でもある前田さん。そして前田さんのお知り合いで余呉在住、林業を生業にされていて、何年かオリエンテーリングの日本チャンピオンになったという谷川さんだ。

谷川さんは普段仕事で木を切っていて、地元にお住まいで、しかも地図も読めるという、コース整備にこれ以上向いている人はいない、という人に思われた。そこで、谷川さんと日程を調整し、最初のコース整備に行くことにした。一体どうすればトレイルが作れるのかは分からないけど、まずは熟練者と一緒に、現場に行ってみよう、と考えた。

谷川さんはチェーンソーとのこぎりを持って、軽トラックに乗って現れた。林業で使っている作業着に身を包み、格好良い。チェーンソーが動いているのを生で見たことが無い僕は、ドキドキしながらその作業を見守った。

谷川さんは、まるで野菜を千切りするかのように、トレイルに立ちはだかる細い木をどんどん切っていき、それを僕たちがどけて、藪がトレイルに変わっていった。「なるほど、トレイルを作るというのは、木を切るということなんだな」と思った。

トレイル上に立ちはだかる木や草を切り、それをどけていく。そうすると、人が一人通れる幅ができる。よりレベルが上がると、急な斜面に階段を作ったり、ロープや鎖を張ったり、といった作業が出てくるのだろうが、まずは立ちはだかるものをどけないと道にはならない。一番最初は、木や草を切ってどけることなんだな、ということが分かった。

また、のこぎりなどの手動の道具に比べて、チェーンソーなどのエンジン付きの道具は、まるで作業の速度が違うこともわかった。できれば、整備チームに一台はチェーンソーや刈払機(草刈機)が欲しい。それがないと、まるで進まない。

さらに、上手に探せば、けもの道が見つかることがある。けもの道は、シカやイノシシの体の幅の分くらい道が踏まれている。しかし、人間の腰の高さくらいまでは木がないものの、その上は木が両側から覆いかぶさっていることが多い。けものは人間ほど背が高くないからだ。

けもの道は、尾根の一番高い場所を通らず、尾根から少し下の斜面を通っている場合が多い。(このエリアでは、ほぼ全区間に渡って、滋賀県側に下った斜面についていた)尾根は日がよく当たって木が生い茂っていたり、雪が深く、風が強いからだろうか。人間が通るルートとしては、斜めの道になるため滑りやすいなど、歩きにくい部分もあり、分かりやすさという点では尾根の一番高いところを通した方が迷いにくい。

しかし今回は、来年5月までに開通することが何よりも優先であるし、そのためには「使えるものは全部使う」くらいの気持ちでないと到底間に合わないと判断した。そこで、尾根から少し下にあるけもの道を、その後も積極的に使ってつなげていくことにした。

整備に通っていると、前回整備した道の上に、シカやイノシシやクマの足跡やフンが残っていて、作ったコースを通ってもらえていることが嬉しかった。(きっと彼らは「急に歩きやすくなったぞ」と驚いていることだろう)たくさんの生き物が歩けば、それだけ明確な道になっていく。この道作りは、けもの達との共同作業でもあると感じた。

鳥越峠から品又峠へ

こうして始まった整備作業。毎回谷川さんが来てくれれば、作業もはかどるのだが、いつも来てもらうわけにも行かず、実行委員会のfacebookページでイベントを企画して、有志のボランティアでコース整備に通う日々が始まった。実行委員会のイベントに来てくれた方々が、皆さん都合を合わせて整備作業に参加してくれた。

最初の目標は、鳥越峠から品又峠区間を開通させること。この区間は、まだそれほどヤブが深くないため、トレイルになるイメージがわきやすい。ボランティアで集まってくれた人たちは、皆思い思いの道具を持ち寄り、なかにはチェーンソーや刈払機を持っている人もいたおかげで、それなりに前に進むことができた。

それ以外のメンバーも、よく切れそうなカマやナタ、ノコギリ、剪定ばさみ、熊手など、思い思いの道具をホームセンターで買い求め、現場に持ち込んだ。

面白いのは、これらの道具の中で「これが一番使える」というものが1つに決まらないことである。生えている木の種類や、持ち主の握力、整備の際にどの位置で作業するかによって、必要な道具が変わってくるのだ。そのため、それぞれ「自分はこれを使いたい」という道具を持ってもらって、その道具に合ったポジションで作業してもらうのがちょうど良かった。

例えば、手首より太い木が生い茂るような場所では、チェーンソーやのこぎりが活躍するが、細い草や枝が多い場所では、刈払機やカマ、ハサミが有効になる。また、チームの先頭で切り拓くポジションの人は、チェーンソーや刈払機でとにかく切り続ける力が必要になるが、後方で作業する人は何も持たずに木や枝をどけたり、のこぎりで残った枝などを切ったり、熊手で地面をきれいにしたりする必要がある。

回を重ねるごとに、こうした役割分担が上手にできるようになり、作業の効率が上がっていった。

僕自身も、谷川さんに付き添ってもらって地元の機械店でチェーンソーを買い、次第に扱いに慣れていった。

最初の下見を5月に始め、コース整備に通い始めたのが6月。7月には、品又峠までの区間開通が見えてきて、7月中旬に、8回ほど通って鳥越峠から品又峠まで約5kmのトレイルが開通した。

区間開通した日は、2班に別れて両側から整備を行い、進んでいくと反対側からチェーンソーの音が聞こえてきて感動した。ちょうど小さいピークで2班が出会うことができ、反対側から現れた仲間たちと合流して達成を喜んだ。

この時は、たった2ヶ月ほどで最初の区間が開通したことで、「これなら今年中に国見峠までの開通はできるだろうし、なんなら奥余呉のエリアにも手を付けられるのではないか」と勢い付いていた。

品又峠から国見峠区間へ

しかし、品又峠から国見峠の区間に着手した初日、ブンゲンから南につながる笹ヤブ区間に手を付け始めると、それがあまりに楽観的な予想だったことを思い知らされた。この日、谷川さんも参加してくれ、刈払機とチェーンソーを持ち込んで、意気揚々と新しい区間の整備に入った僕たちは、猛烈な笹ヤブに行く手を阻まれ、切っても切っても前に進めなかった。

結局、朝から夕方まで全力で整備を続けても、たったの100mほどしか前に進むことができずに終わったのだ。しかも、刈払機の刃は欠けてしまい、最後はまともに笹を刈ることができない状態だった。

国見峠までは5kmほどもあるというのに、1日で100mしか進まない。単純に計算したら、50日かかるということである。それでは来年の開催に間に合わない。この日は、絶望感に打ちひしがれて山を降りた。

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