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滋賀一周ラウンドトレイルができるまで〜大会の準備

それからは、定期的に集まって、大会に向けての準備が始まった。最初にミーティングをしたのは2017年の年末だった。そこから1年半後、2019年の5月あたりに、まずはプレ大会の開催を目指そう、ということにした。

当初から、これは1週間くらいのステージレースが良いだろう、ということを話していた。ステージレースとは、毎日スタートとゴールがあって、ゴール後は全員が同じ場所で眠り、翌朝またスタートし、合計タイムを競う、という形式のレースである。

通常のトレイルランニングレースでは、スタートしたらゴールまで一気に走るレースが多い。100マイル(160km)を一気に走るのが、ウルトラと呼ばれるレースの標準となっているし、それを超える超長距離のレース、例えばトルデジアン(330km)や、TJAR(415km)も、ステージレースという形式を取っていない。一度スタートしたら、あとは各選手が自分の判断で仮眠などを取りつつ、一気にゴールを目指す形式である。

このような形式にすると、宿や食事の手配などの負担は減るものの、先頭と最後尾の選手の間が毎日どんどん開いていき、運営が難しくなる。さらに、選手が夜通し走るため、運営スタッフを交代制にして夜間のシフトを組むなど、高度な運営が求められる。

少なくとも最初は、毎日ちゃんと眠れて、管理がしやすいステージレースが良いだろう、ということになった。

大会を運営するチームを作るために、手伝ってもらえそうな人に声をかけていった。成田さんがつながりの深いキリコさんや藪さん、長野を中心にレース運営経験の豊富な和地さん、普段から親しくさせてもらっている丹羽紀行さんなどに声をかけ、コアメンバーが集まった。丹羽薫さんにはレースアドバイザーになってもらうことができた。

集まったメンバーで、さらに構想を具体化していった。そんな中で、プレ大会を特徴づけるルールとなった「チーム制」のアイデアを丹羽紀行さんが出した。個人で参加するだけでなく、チームで参加できるカテゴリーを設けてはどうか、というアイデアだった。

滋賀一周のコースは、少なく見積もっても400km。これを毎日制限時間内に完走できる人はごく僅かしかいない。普通のトレイルランナーには、出場すること自体ためらわれる想定だったため、このアイデアは素晴らしい、と即採用になった。

チーム戦のルールは独自に工夫をし、毎日交代で走っても、複数人で出走しても良いことにした。複数人で出走した場合、そのまま一緒にゴールしても構わないが、少なくとも一人がゴールまで行けば、他のメンバーは途中で離脱しても完走扱いにすることにした。さらに、1人が1ステージを完走するのであれば、他のチームメイトがコースの途中から一緒に走る、なども認めることにした。

こうすることによって、チーム戦で参加する選手は、さまざまな戦略が考えられる。毎日1人ずつ交代で走って体力を温存する方法もあるし、一緒に走って体調が悪い方が離脱する、という安全策や、途中から合流してペーサーをする、という戦略もありだ。

このように、自由度のあるルールを設けることによって、選手が実際にどのような戦略を取るか。結果的にどのような戦略が有利となるか、も、見どころとなった。

その他には、1回30分まで選手に並走できることとし、応援に来てくれた人が選手と会話したり、励ましたりできるなど、僕たちなりのこだわりを、設計に加えていった。

コースを作る

そうやって、大会のイメージが少しずつ膨らんでいったが、最も大きな課題が待っていた。コースである。

僕が一人で走ったコースを辿れば、確かに一周はできるのだが、途中、レースコースにするにはどうにも格好がつかない部分があった。奥伊吹エリアの金糞岳から鳥越峠に下りた先は、県境稜線が深い藪に閉ざされており、一人で進むのは危険と判断して、僕は山を一度下りている。その後、20km以上ロードを走って、国見峠から県境稜線に復帰した。

もしも大会をするなら、この区間を20km以上ロードで走るのは、さすがに避けたい。これでは「滋賀一周トレイル」とは言えないだろう。なにせ「トレイル」なのだから。

さらに、僕が一周した時にもう一つ心残りだったのは、行市山から八草峠まで、県境稜線を通らずにショートカットしたことである。本来、県境稜線はもっと北まで延びており、中央分水嶺となって福井県敦賀市が見下ろせるあたりまで奥まっている。このルートは、最北の栃ノ木峠を過ぎた辺りまではまだ道があるが、下谷山を過ぎた辺りからは藪の連続で、無雪期に縦走するのはほぼ不可能であるという情報を事前に得ていた。僕が一周した際には、この区間は諦め、七々頭ヶ岳や横山岳をつないで、八草峠に向かったのだ。

できれば、これらの区間の県境稜線を整備してコースにしたい。奥余呉の20kmにも及ぶ区間の整備はさすがに難しいとしても、鳥越峠から国見峠の間の10kmほどは、なんとか通れるようにしたい。

滋賀一周を大会にするのであれば、この「鳥越峠から国見峠区間のトレイル開通」が前提となるだろう。

そうだとして、どうしたら良いのか。かつて、50年ほど前には、県境稜線を歩いた人がいる、という情報もあったが、今では通る人もおらず、深い藪に閉ざされている道。どうしたらその道を、コースにできるのだろうか。

あいにく、チームメンバーの中に、トレイルの整備を本格的にこなしたことがあるメンバーはいなかった。京北トレイルランでは、地元の林業家の方々が協力してくれ、整備を行ったとのことだったが、そのような林業家に助けを請えば良いのだろうか。しかし、誰がわざわざ滋賀の山奥で道の整備を手伝ってくれるのだろう。滋賀の地元の方とのつながりもあまりないし、一体どこから手を付ければ良いのかが分からなかった。

未開通区間の踏査へ

あれこれ考えても仕方がない。まずは行ってみよう、ということで、この区間を歩いてみることにした。2018年5月だった。

1日目は鳥越峠から品又峠まで。2日目は品又峠から国見峠まで。2日に分けてそれぞれ歩いてみて、まずは状況をこの目で見てみることにした。

鳥越峠から歩き始めてみると、想定とは違い比較的歩きやすい道が続いた。明確な道は無いものの、ブナの林の中を、藪こぎも必要なく、スイスイと歩けた。「これならそれほど苦労しなくても、コースにできるのではないか」と思った。

ところが、県境尾根が北に大きくふくらみ、東に曲がる辺りから、猛烈な藪が始まった。笹や灌木のヤブをかき分けながらしか進めない。和地さんと時森さんと3人で進んでいるが、少し油断するとお互いの姿が見えなくなり、一体どこにいるのかが分からないほどだった。

そのようなヤブが断続的に続いたが、どうにか明るいうちに品又峠に出ることができた。

翌日はその先、国見峠までの区間だ。この日は和地さんに冨島さん、田中さんと4人で山に入った。そして、今までの人生で最も激しい藪こぎを体験することになった。ブンゲンまではとても良い道がついている。しかしそこから、猛烈なヤブが始まった。太い笹が密集し、かき分けて進むにも、あまりに笹が多く、跳ね返されそうになる。笹が密集しているため、足を地面につけることができない。笹の茎の上に足を置きながら、どうにかこうにか笹の束をかき分けて、前に進むような状態が続いた。

1時間ほど笹と格闘するが、ブンゲンから数百メートルしか進むことができなかった。このペースだと、明るいうちに国見峠までたどり着けないかもしれない。もう少し進んで、これ以上進むとやばい、という地点で判断することにした。

昼頃まで進み、少し展望が開けた岩の上に出た。その先にも、まだ長い尾根がつながっており、国見峠の手前の虎子山は随分先に見える。本当にあそこまで行けるのだろうか。僕と和地さんの男性陣は「戻った方が良いのではないか」と考え始めていたが、冨島さんと田中さんは「あんなところ戻りたくない。行きましょう」となぜか前向きだ。そもそもこの二人は、「藪こぎ楽しい!」となぜかずっと笑顔だった。昨日の時森さんもそうだった。女性は藪こぎが好きなのだろうか。

根拠があるのか無いのか分からない2人の前向きな姿勢に押され、そのまま進むことにした。幸い、その先の1187mピークを過ぎて少し進むと、稜線の少し滋賀側に降りたところにけもの道があり、進みやすくなった。どうにか明るいうちに国見峠まで到着でき、無事に帰還できた。

これでひとまず、道の状況は分かった。猛烈なヤブである。それが分かったのは良かったが、一体どうしたら良いのだ?この時、あのヤブをどうにかして、トレイルにできるイメージは全く持てなかった。

自分はヤブを刈り込む方法を知らない。だけど、誰かに頼めば、きっと上手くトレイルにしてくれるだろう、くらいに思っていた。この時はまさか、自分たちで全部トレイルを整備することになるとは夢にも思わなかった。

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